282.文化祭⑳皆が見ているもの
皆に手伝ってもらい、衣装の着替えとメイクをばっちりと決めた春希は、姿見の前へと立つ。
目の前に映るのは吸血鬼の真祖の姫、の格好をした自分。
くるりと自らを見回し、その仕上がり具合に内心、ヨシと呟く。メイクを手伝ってくれたクラスメイトやB組の女子たちも、きゃあ! と喝采を上げている。
しかし、これでは不完全。ただ吸血姫ブリギットの格好をしただけのもの。
春希は頭の中で、最近作り上げたブリギットの仮面を検索し、手に持つ。そして睫毛を伏せ、深呼吸。
そしてその仮面を被ると共に、纏う空気を一変させた。
「征こう!」
「「「「――っ」」」」
そんな春希の一声で、B組にいる全ての者が息を呑むと共に、緊張の糸が張り巡らされていく。皆の顔付きが変わる。
彼らを見て大仰に頷き、カツカツと靴を鳴らし歩き出す。他のスタッフも自然と後に続く。
その様は正に威風堂々、彼らの上に君臨する者。
ドアの前に立てば、恵麻がさも当然とばかりに従者のごとく恭しく開け、廊下へ顔を出す。
すると騒がしかった周囲はたちまち、春希を中心に波紋が広がるように静まり返っていく。まるで魔法が掛けられたかのようだった。
春希が足を踏み出せば、皆はまるで傅くかの様一歩下がり、顎を引く。
そんな中、泰然とステージへと向かう。
誰もがそれに呑み込まれ、固唾を呑んで見守っている。
今にも何かが破裂しそうなじれったさを、吸血姫たる春希は前方に片手を開いて向けると共に、それを合図にして世界を変革させる呪文を紡いだ。
『千年華~♪』
前口上もなく、いきなりの歌い出し。
演奏も慌てて少し後を遅れてついてくる。
するとたちまちこの場が、決戦前夜の城塞の広場へと塗り替えられていく。
春希の目には、最初虚を突かれていたかのような皆の表情が、みるみる変わっていくのがよくわかった。
故国の危機を前にしての不安や恐れ、そしてこの理不尽な状況への怒り。
彼らが戴くこの国の姫とて、それは同じ。
戦いなんて嫌だ。
どうしてこんなことに。
誰も傷付いて欲しくないし、大事なものを壊されたくない。
だけどこのままだと、愛するすべてが奪われてしまう。
ゆえに春希は、彼らを統べる吸血鬼の真祖たる姫は、そんな憶病で怖気づく心をそうはさせてたまるかと、必死になって奮い立たせ、震える足で皆の前に立つ。
そんな健気な姫の姿に、心を打たれない者はいない。
誰もが熱狂、高揚し、1つの大きなうねりが生まれ、それを1つに束ねて導いていく。
それは今までで一番の盛り上がりを見せていた。
――春希の
そのことに春希は内心、してやったりとほくそ笑む。
パズルのピースをぴたりと当てはめていくような、ゲームで敵の挙動を見てしっかりとカウンターを決めたような、そんな自分の思い通りに事が進むことで得られる爽快感。
こうした舞台で得られるそうした類のものは、嫌いじゃなった。
それに興奮、高揚し、楽しんでいるのは春希だけじゃない。
今、この場の目の前にいる観客たちも、春希扮する吸血姫ブリギット、それに臣従する者たちとなって、困難に立ち向かっている。
えも言われぬ一体感が身を包む。
ちらりと視線を走らせてみれば隼人や沙紀、みなもに姫子、もちろん恵麻や伊織といったクラスメイトたちも一緒になって楽しんでいる姿が見えた。
いつの間にか廊下の窓も開け放たれており、校舎の外へ漏れ出た唄に何事かと足を止め、こちらに聞き入っている人たちも見える。
それだけ、このライブの盛り上がり具合を示していて。
最初はあまり目立ちたくないという気持ちが強かったけれど、しかしこれまで皆と一緒に準備してあれこれ苦労したことを思い返せば、この大成功が嬉しくも誇らしく思う。
『黄金の日々~♪』
あとはこのまま、皆が望む通りの吸血姫ブリギットを演じ切ればいい。
それにこの真祖の姫は、春希も大好きなキャラクターだ。
このライブを切っ掛けにこの作品やキャラを好きになってくれればとも思う。
するとその時、窓の外に柚朱の姿が見えた。舞台衣装から着替えたのか、制服姿だ。その隣には愛梨と一輝。
ドキリと胸が跳ねそうになるも、何とか踏みとどまる。上手く誤魔化せたと思う。
柚朱たちを窺うも、外からだがこのライブを楽しんでいるように見えた。
彼女たちから見ても、このライブは掛け値なしに楽しめるものになっているのだろう。
だけど春希はどうしてか、先ほどの柚朱の舞台を思い返してしまった。
拙いともいえる演技が、何故あれほどの熱狂を生み出したのかだなんて、今更問うまでもない。
アレは柚朱自身の心から飛び出した言葉だったから。
だからあれだけど、多くの人の心を響かせたのだ。
それを言えば、月野瀬における沙紀の神楽舞だってそうだ。
あれらはこのライブと同じく、誰かを演じてのもの。
だというのにどうして、これだけ違うのだろう?
2人とも、眩しいほどに輝いて見えた。
自分には無い、本物の熱と色があった。
翻って、今の自分はどうだろう?
これはただ、吸血姫ブリギットをトレースしただけのもの。このキャラならこういう時、こうするだろうというのをなぞっただけ。
太陽の様に自ら輝く熱いものでなく、ただ月の様に本物からの光で照らされているだけの紛い物。
そこに自ら生まれた思いは無く、ただ滑稽にも仮面を被って唄い踊っているだけ。
するとたちまち、今していることがとんだ茶番に思えてきた。
口から零れる唄が、想いを表した振り付けが、どこか心を空滑りしていく感覚。
だけど、これこそが
それは母が、周囲が望む
(――――ぁ)
一瞬くらりと眩暈がすると共に気付く。気付いてしまう。
ここにいる全ての人の目には、吸血姫ブリギットの姿が映っている。
だけど――
――誰も、ボクを見ていない。
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