281.文化祭⑲いっちょ盛り上げますか!


 恵麻からの呼び出しを受け教室の方へと戻ってきた春希は、朝とは全然違う様相に、頬を引き攣らせながら目をぱちくりとさせた。


「何、これ……」

「わ、すっごい数の人……」


 隣の姫子も目を丸くし、息を呑む。

 どうやらカフェとしての営業は終了し、ライブに向けての準備をしているようだった。それはわかる。

 どうしてか春希たち1-Aの教室の扉や窓は全部取っ払われていた。ステージは黒板前から窓際の中央に移され、廊下からでもよく見えるだろう。

 それだけでなく、広さを確保するためにいつの間にやら調理や着替えのスペースも撤去されている。廊下にまで立食用のスタンドまでが設置され、まるで吸血姫カフェが教室を飛び越え隣のクラスまで侵略しているかのよう。

 事実、そうなのだろう。

 既にそれだけの人数が押し寄せており、廊下では彼らに対応しようと血眼になって列の整理と誘導をしているクラスメイトたち。誰もが必死の形相で、余裕が感じ取れない。

 各所からは「リハーサルとは断然完成度が違うから!」「皆、口を揃えって見とけって言うけど」「映像で見たけど、ほんっとすごかった!」「あれは生で見るべき!」といった、ライブへの期待感を膨らませた言葉が、まるで洪水の様に耳に入ってくる。

 その仰望の熱気は先ほどの柚朱の劇にも比肩しうるほどだった。否、体育館と違って狭い教室ということもあり、その昂り具合の密度は上かもしれない。

 そんな中、ワッフルとカスタードの甘い匂いが充満しているのが、なんともちぐはぐだ。

 春希が少々目の前の光景に気圧されていると、こちらに気付いた恵麻が、すぐさま駆け寄ってきた。姫子は恵麻の衣装に目を輝かせるも、その必死な剣幕に空気を読んで、咄嗟に口を噤む。


「よかった、来てくれたのね春希ちゃん! もう、まだかまだかっていう圧が凄くって!」

「恵麻ちゃん、これ隣のクラスにまで広がっちゃってるけど、色々大丈夫なの?」

「うん、そっちは話がついてる。ていうか、むしろ向こうから打診があって協力してもらってる!」

「そ、そうなんだ」


 よくよく見てみれば、列を整理したり慌ただしくステージの準備をしている人の中には、ちらほら浴衣姿が混じっている。

 確か隣のB組の出し物は和風喫茶みやび。特筆すべきところがない、オーソドックスかつ王道で手堅いものだが、今年は目を惹くものが特に多く、地味で目立たないというのが正直なところ。

 そんなB組の面々は準備を手伝うだけじゃなく、並んでいる人たちへ抹茶や番茶、飲むわらび餅といったものを販売している。なるほど、上手い役割分担だと思った。

 吸血姫カフェは午前の段階で入場料代わりのワッフルを焼くのに全力を傾けており、ドリンク類にまで手が回っていない。これは双方に利益のある提携だろう。


「とにかく、着替えて準備して! あ、うちらのクラスじゃなくて、B組で!」

「う、うん」

「あ、姫子ちゃんも悪いんだけど、手伝ってくんない?」

「え、あたしもですか!?」


 そう言って恵麻は春希の手をとり、B組へと引いていく。こくりと頷き、付き従う春希。

 申し訳なさそうに頼みごとをする恵麻に、可愛らしい眷属衣装を着られるかもと声を弾ませ了承する姫子。

 春希はそんな2人を見て、予備の衣装あったかなと苦笑を零す。

 B組の教室は、いつの間にやら春希たち吸血姫カフェの準備室へと塗り替えられていた。

 和風喫茶の机や椅子などは隅に追いやられ、運び込まれた調理器具などでワッフルやドリンクがせっせと作る眷属衣装に浴衣、普通の制服を身に纏った人々。

 各所からは「カスタード切れそう! 氷も!」「た、種班もうすぐ終わります!」「カスタードは切らせませんよ!」「かき氷やってる部活の先輩から分けてもらう話は!?」「OKだって、今からもらってくる!」「あぁ、衣装にほつれが!」「俺、ソーイングセット持ってるから見せて!」「浴衣の帯が解けてきちゃった……」「私、着付けできますので!」といった悲鳴にも似た怒号が飛び交っている。

 誰もがカフェライブの成功に向かって向かって一丸となっていた。

 この縁の下ともいえる中心になっているのが隼人だった。

 調理や材料の残りの把握、急な衣装のアクシデントへの対応は正に見事。どうしたわけか沙紀やみなももここにおり、伊織たちと共に隼人の指示を円滑に進めるための補佐をしている。

 そんな隼人の姿はさながらオカンか、頼れる兄貴分か。

 どちらにせよ、高校生離れした生活力溢れる隼人の見せ場だった。水を得た魚のように活き活きと指示を出し、また皆も頼りにしているのは一目瞭然。

 隼人は昔からそうだ。一度走り始めたら、ついつい周囲も巻き込んで引っ張っていくところがある。 きっと沙紀やみなもも、隼人に巻き込まれたに違いない。それに、どれだけあの時・・・の自分が救われたか。

 周囲の混沌具合を見る、これはきっと、隼人だからこそ指揮できているのだろう。

 それが相棒・・として誇らしくも少しおかしくて、自然と笑みを零す。


「春希ちゃん来てくれたよーっ!」


 その時、恵麻が春希の到来を告げた。するとたちまち皆から視線を向けられると共に、ワッと歓声が上がり、駆け寄ってくる。


「二階堂さん待ってたよ!」「こっちの準備はもう出来てるから!」「もぅ客からいつ始めるのか聞かれてばかりでさ!」「うちらも生で聞きたいし!」「楽しみにしてるぜ!」「早く早く!」

「え、えっとその……」


 怒涛の勢いで話し込まれ、彼らに呑まれてしまう。どうやらスタッフサイドも、客に負けじと熱気を見せている。

 ゴクリと喉を鳴らし、後ずさる春希。

 さすがにライブの成否が自分の肩に掛かっていると改めて自覚すれば、プレッシャーを感じてしまう。先ほどの柚朱の舞台を見ていたから、なおさら。あれほどの熱量のあるものを見せられるかどうか、弱気が滲む。

 するとその時、隼人と目が合った。

 隼人は幼い頃から見慣れた茶目っ気たっぷりの笑みを浮かべ、口を開く。


 ――ぶちかましてやろうぜ、春希!


 声は周囲に掻き消されて聞こえなかったけれど、確かにそう心に伝わった。

 まるで一緒に遊ぼうと、楽しもうかと言われたかの様。

 あぁ、これはいつもの悪ふざけやお遊びをしようと言っているのと同じなのだ。ちょっと、規模がかつてよりも大きいだけ。

 カチリ、と気持ちのスイッチが切り替わる感覚。

 心が高揚し、わくわくしてくる。

 春希は僅かな躊躇いを呑み込み、隼人同様いつもの悪戯っぽい笑みを浮かべ、片手を突きあげた。


「いっちょ、盛り上げますか!」

「「「「うぉおおぉおおぉおぉっ!」」」」


 春希が意気揚々と宣言すれば、割れんばかりの喝采が上がるのだった。


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