280.文化祭⑱
文化祭の喧騒を遮断するかのように、暗幕が降ろされた体育館。
緊迫感にも似た空気が支配されている中、この場にいる人々は皆一様に胸を躍らせながら、ステージを眺めている。
そんな中にあって春希だけは、信じられないとばかりに瞳を動揺と困惑の入り混じった色へ染め上げていた。
『いつも言っているではないか。一芸に熟達せよ、多芸に欲張るものは巧みならずと! それと同じ! この本懐を果たすこと以外は全て些事だ!』
誰もが舞台に立つ1人の華麗かつ燦然としている少女――柚朱を中心に紡がれる世界に魅入られている。
正直なところ、芝居の質という点では学生の域を出るものではない。
しかし柚朱という一際煌めく星の光と熱に当てられ、まるでその情熱の火が燃え移るかのように他の役者にも伝播している。
一体何がそこまで皆を引き込んでいるのかというと、彼女の熱の込められた言葉や表情だった。
『たとえ如何な艱難辛苦に見舞われようと、この誓いを果たすまでは絶対あきらめないと、決めた。決めたのだ!』
どんなに苦境だろうと、どれだけ絶望的だろうと、自らに誓ったこの想いだけはもう決して裏切らない。成し遂げてみせると。
そんな柚朱の鬼気迫る不屈の意志が込められたセリフや表情が、見る者を全てを魅了し、心を打つ。
隣の姫子も胸の前で両手で握り拳を作り、ハラハラした顔で柚朱演じる姫武将がどうなるのかを見守っている。
春希はそれほどまで迫真の想いを表現できる柚朱が、信じられないでいた。
(なん、で……)
あの日、確かに一緒に目の当たりにしたのだ。思い知ったはずだ。
一輝の心が他の誰かに向いているのだと。
この想いが成就することはないのだと。
あの時、それを痛切した柚朱の蒼白した顔、魂が抜け落ちたかのような声、いくら望んでも叶わないことを悟った姿は忘れられそうにない。
そのことを、春希もよく知っている。思い知っている。
だというのに、何故?
春希の目に今の柚朱はまるで、一輝への恋心を決して諦めないと宣誓しているといわんばかり。
いや、真実そうなのだろう。
しかし、先日と比べあまりにもの豹変。
一体彼女に何があったというのか。
『この宿願を遂げるまで、私について来てくれ!』
そして舞台は、盛り上がりが最高潮を迎えるところで終わった。
演者全員が出てきて頭を下げれば、たちまち沸き起こる万雷の拍手に、黄色い声で奏でられる喝采。そしてそこに含まれる、僅かなもう終わってしまうことへの不満が感じ取れ、演目の大成功を示している。
春希も周囲に倣い、しかし気の抜けたような顔で手を打ち鳴らす。
だがその胸の内はぐるぐると、複雑な感情が渦巻いている。
呆然することしばし、やがて柚朱たちが退場すると共に、興奮冷めやらぬ様子の姫子が話しかけてきた。
「あ~~~~っ、すっごく面白かったね、はるちゃん!」
「う、うん、迫力あったね」
「あの、主人公の白雪姫若子が決して諦めない姿! そりゃ皆も影響受けて心変わりしちゃうよ」
「っ! そ、そう……」
そう言って目の前で両手を組み、劇中の柚朱を思い返しているのか、うっとりとしたため息を吐く姫子。
一方、その心変わりという言葉にドキリとしながら、曖昧に頷く春希。
確かに柚朱の姿には、心を響かせるものがあった。もしかしたら一輝の想いを揺るがしかねないと、思ってしまうほどに。
だけどあの秋祭りの日、偶然垣間見えた一輝の身を焦がすほどの想いが変わるとも思えなくて。
まずますわけがわからなくなっていく。
春希がくしゃりと顔を歪ませていると、姫子も同じような表情を浮かべ、少し残念そうな声色で呟いた。
「う~ん、それにしてもさ、これからっていうところで終わっちゃったね~。続き、どうなるんだろ?」
「それは……元ネタになった山中鹿之助は捕まって処刑されちゃったし、長曾我部元親も戦に負けて臣従することになったから、一番いい感じのところで締めたんじゃないかな?」
「えぇ~、負けちゃったの!?」
「も、モチーフにした人はね! あの物語ではどうなるかわからないから! そういうのも想像に任せるためにそういう終わり方をした、のかなぁって」
「そっかぁ。上手くいくといいね!」
「う、うん」
心の底から
それはきっと、観客としては正しい姿だろう。
だけど、もし柚朱の願いが上手くいくとすれば、最終的に討ち果たされるべきは姫子になる。
なんとも複雑な心境で誤魔化す様に笑みを浮かべる春希。
周囲はまだ騒めきつつも、暗幕も開けられ、徐々にこの場を後にする人も多く、文化祭の喧騒へと戻っていく。
その時、春希のスマホがメッセージを告げた。恵麻からだ。
『今どこ~? 廊下で待ってるお客が凄い数で、ちょっと時間が早いけどライブ始めたいと思うの。どう、かな……?』
時刻を確認すれば、まだあと30分以上は余裕がある。
恵麻は当日のスケジュールの調整を買って出ており、朝からてんやわんやしているのを見ていた。皆が思い出を作れるようにと、骨身を削っている姿を。
恵麻がこうして連絡を寄越してくるということは、それだけ現場は大変なのだろう。そのことにくすりと笑みを零す。
これは、
それに、今は余計なことを考えたくもなかった。
咄嗟に意識を切り替える。スッと胸の奥が冷えていくような感覚。
「何だったの、はるちゃん?」
「恵麻ちゃんから。ボクのクラスのライブ、早巻きで始めたいってさ」
「わ、行く行く! はるちゃんのライブ、楽しみ!」
本心から楽しみだとはしゃぐ姫子。
その姿に、春希はひどく被りなれば
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