279.文化祭⑰友達


 脇目も振らず全力疾走。

 初めて訪れる学校で勝手も分からず、見失うともう二度と会えないかもしれない――そんな焦燥が愛梨の背中を押す。

 幸いにして柚朱は校舎の角を曲がってすぐの、体育館の裏手へと伸びる小径で見つかった。

 その寂しげにも見える彼女の背中に、鋭い声を浴びせる。


「高倉さんっ!」

「っ、佐藤、さん……?」


 まさか愛梨が追いかけてくるとは思わなかったのだろう。

 柚朱はビクリと肩を跳ねさせ振り返り、目をぱちくりとさせている。

 愛梨は逃さないとばかりに彼女の腕を掴みつつ、乱れた呼吸と心を整えるため深呼吸を1つ。真っ直ぐに柚朱の目を見つめながら、言葉を紡ぐ。


「聞きたいことがあるの」

「……何かしら?」

「一輝くんの好きな人について」

「……それは」

「…………」

「…………」


 その問いかけに柚朱は一転、纏う空気を冷たいものへと変化させ、真意を探るかのような鋭利な視線を向けてくる。愛梨は負けじと、目にグッと力を込めて見つめ返す。

 焦れるように睨み合う。

 一体彼女は何を知っているのだろう?

 そもそも恋敵なのだ。同じ想い人の情報を、タダで教えてもらえるとは思っていない。

 これ以上ないく集中力が、刹那の時間を引き延ばし、思考を巡らす。

 最近の一輝は変わった。

 それは共通認識だろう。先ほどの彼女の一輝への態度がそれを示している。

 切っ掛けは秋祭り、姫子や沙紀から聞いた通り、過去と決別した件に違いない。

 だがそのことは、彼女はまだ知らないはず。

 ならば、柚朱が変わった理由として認識していることは、姫子や沙紀が知り得ない情報となる。

 すなわちこの学校で、好きな人が出来たと判断する何かがあったのだ。

 ……しかし正直なところ、愛梨はその可能性が低いと思っている。

 だけど柚朱の目がたがうことも考えにくくて。

 仮に好きな人が出来たとして、一体誰なのか?

 一輝はそつなくこなす様に見えて、そうじゃない。取り繕うのが上手いだけ。その本質は不器用なのだ。

 それに、散々異性から好意を向けられるのにも慣れている。あしらう方も。

 また、一輝は中々自分の心に踏み込ませない。そして自分も踏み込まない。

 今ならその理由がわかる。

 案外憶病なのだ。

 そんな怖がりな一輝が自分から歩み寄ろうとする相手がいるとしたら……それなりに交流を重ねているに違いない。隼人たちのように。

 その隼人たちの中で一番仲が良く、交流が深い相手となれば春希だ。

 愛梨自身、彼女と何かあると睨んでいたが、それは否定された。それも、本人の口によって。あの時聞いた春希の声色に、ウソはなかっただろう。

 ――なら、誰が……

 そんなことをぐるぐると考え込む。

 目の前の柚朱は人を寄せ付けないような、険しく冷たい怜悧な表情をしていた。

 きっと、愛梨も似たような顔をしているのだろう。

 だってお互い、譲れないものがあるのだから。


「…………」

「…………」


 状況は拮抗、あるいは停滞していた。

 会話もなく、視線を刃に見立てて切り結ぶやりとり。

 さてどうしたものかと、ギチリと奥歯を噛みしめ、拳を握り――しかしその時、どうしたわけか、姫子と沙紀の顔が脳裏を過ぎる。

 あぁ、彼女たちは眩しかった。

 裏表なく、真っ直ぐに自分の想いに突き進む彼女のようになりたいと憧れ、だからこそ今この姿でいるのではないか。


(…………ぁ)


 すると途端に、こんな駆け引きがバカバカしくなってくる。

 こんな時、最近知り合ったこの友人たちならばどうするのか?

 そのことを考えるとフッと肩の力が抜けていき、思わず笑みが零れる。


「ふふっ」

「……っ!?」


 いきなり変わった愛梨の態度に、柚朱は驚きつつも不審な目を向けてくる。

 元来、駆け引きとか腹の探り合いなんて好きじゃないのだ。

 なにより、胸に秘めるこの想いを偽りたくない。

 愛梨は憑き物が落ちたかのような晴れやかな笑顔で、唄うように言葉を紡ぐ。


「一輝くんね、秋祭りの時に喧嘩したんだって」

「え、喧嘩?」

「うん、喧嘩。中学の頃さ、彼が体よく利用されていたのは知ってるでしょ? その相手と、顔が腫れ上がるくらいの大喧嘩。で、過去とケリを着けて前に進み始めたってわけ。これが私の知ってる、最近の一輝くんが変わった理由」

「そう、なの……」


 愛梨は知ってることを一息で言い切る。目の前がすっきりとした感覚。まるで胸のつかえが下りたかのような、清々しさにも似たものがあった。

 柚朱は愛梨の言葉が意外だったのか、戸惑いで瞳を揺らす。

 別によくよく考えれば隠すようなことではないのだ。

 それに得られるものなんて、せいぜい彼女に対し、同じ想い人のことで知らないことを知っているという、ちっぽけな優越感。

 なんてバカバカしい。

 ふぅ、と自嘲交じりのため息が零れる。

 愛梨はこれで話はおしまいとばかりに、柚朱を掴んでいた手を離す。

 確かに柚朱の一輝に好きな人がいるという根拠は気に掛かるが、別に無理して聞きださなくてもいいだろう。


「それだけ」

「っ、待って!」

「…………高倉さん?」


 愛梨がその場を去ろうとすると、今度は柚朱が腕を掴んできた。

 柚朱は、自分でもどうしてこんなことをしたのかわからないといった表情で、逡巡することしばし。

 一瞬の躊躇いの後、彼女はそっと目を逸らし、少し気恥ずかしそうに口を開く。


「……文化祭準備中の時のことだったわ。たまたま一輝くんがクラスの子に告白紛いのことをされてるのを見てしまって……その時の断り文句が、他に好きな人がいる、だったわ」

「それって、断るための方便でなく?」

「そうかも、と思いたかったわ。けどあの時、とても今までと違って嘘を言っているようには思えなくて」

「……あなたがそう感じたのなら、本当なのでしょうね」

「あら、信じるの?」

「当たり前でしょ」


 そこに関しては、柚朱に対する確かな信頼があった。

 愛梨が断言すると、柚朱は目を丸くし、堪らないとばかりに肩を揺らす。

 そしてやけに優し気な表情になり、眩しそうに目を細め、まるで諦めにも似た不思議な声を零す。


「あなた、変わったわね。正直、今まで百花さんの腰ぎんちゃくとしか見てなかったわ」

「あら、辛辣。でも以前までのことを思えば、仕方がないかも。依存……じゃないけど、頼り切ってたのは確かだから」

「えぇ、それが今は……一輝くんの好きな人があなたならって、納得するくらいに」

「……残念ながら違いますね。じゃなきゃ今、こんな風になりふり構ってなんかいませんもん」

「ふふっ」

「あはっ」


 愛梨が肩を竦めてそう言えば、互いに見つめ合った後、共に吹き出した。

 それにしても不思議な感じだった。

 一輝に自分や柚朱、その周囲にいる人以外で好きな人がいる――そのことを知って焦りや嫉妬よりも先に、どんな人かが気に掛かる。

 そして仲良くなりたいだなんて思ってしまう自分が、よくわからない。

 きっと一輝が好きになるくらいなのだ、素敵な人なのだろう。

 そんなことを考えていると、ふいに柚朱がしみじみといった風に呟く。


「あなたは、どうしてそんな風に変われたのかしら? 一輝くんみたいに、何か切っ掛けでも?」

「友達ができたんです。ちゃんと私を私としてまっすぐ見てくれる、そんな素敵な友達が」

「一輝くんのように?」

「うん、一輝くんのように。そこは同じかも」

「ふふっ、羨ましい」

「ね、私たちも同じように、友達になれないかな?」

「……………………ふぇ?」


 柚朱はその申し出に、驚きのあまり彼女らしからぬ素っ頓狂な声を上げる。

 愛梨もまた自らの口から飛び出した言葉が、信じられないとばかりに目を見開く。

 だけどそれは、確かに愛梨の本心からのものだった。

 それが正しく伝わったのだろう、柚朱はそれまで掴んでいた手を離し、胸に当てて瞳を揺らす。

 彼女の困惑と動揺がありありと伝わってくる。

 どうして言ってしまったのかという気持ちはある。

 だけど、どうしても彼女に伝えておきたかった。

 それぞれがありのままの自分を晒し、見つめ合うことしばし。

 ふいに柚は、フッと口元を緩めた。


「バカなことを言うのね」

「だってバカですから。じゃなきゃ、一見立ち回りが上手そうに見えて、自分を殺して勝手に傷だらけになる放っておけないややこしい人なんか、好きになるわけないし。それに、あなただって同じでしょ?」

「ふふっ、そうね、そうだわ。あはっ、あははははははっ」

「あははははははははっ」


 さもおかしいと、2人の大きな笑い声が重なる。

 そして柚朱はこれが返事とばかりに手を差し出す。愛梨はすかさずそれを掴む。

 柚朱の顔はやけに晴れ晴れとしており、彼女にしてはあどけなく、しかし見惚れてしまうほどに美しく、思わず息を呑む。


「柚朱、でいいわ」

「私も愛梨、と」

「そう、よろしくね愛梨」

「こちらこそ、柚朱」


 ひとたび素直になって心をぶつけ合えば、なんだかやけにくすぐったくも気恥ずかしい。

 こんなに簡単に彼女と仲良くなれるならば、もっと早くこうしておけばとさえ思う。

 その時、こちらへと手を振りながら駆け寄ってくる人影があった。一輝だ。


「愛梨、高倉先輩!」


 一輝は硬く、複雑な表情を浮かべていた。先ほどまでの自分たちを考えれば、当然だろう。

 それが何だかおかしくて、愛梨と柚朱は顔を見合わせくすくすと笑う。


「えっと、2人は何を……」

「何かしらね?」

「何だと思う?」


 愛梨と柚朱の仲良さげな反応に、困惑の表情に変わっていく一輝。

 そして柚朱は彼女らしからぬ悪戯ぽい、しかしとても魅力的な笑みを愛梨と一輝へと向け、まるで挑むかのように謳う。


「これから私が劇で渾身の舞台を魅せるから、是非見に来なさいって言ってたのよ」

「そうそう! そういうわけだから行こう、一輝くん!」

「え、あ……っ!?」


 それに不敵な笑みでもって応える愛梨。

 一輝はただ、やけに仲良くなった少女2人に、翻弄されるかのように手を引かれていくのだった。

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