278.文化祭⑯待って!
彼女の名前を呟く。
柚朱のことはよく知っている。
そもそも愛梨が、一輝の偽装恋人を持ちかける切っ掛けになった人なのだ。
かつての目標。
たまたま百花と街を歩いている時にスカウトされた時、彼女を巻き込んで芸能界に飛び込んだのは、モデルという肩書で武装し、彼女に対抗するため。
その柚朱はいえば振袖袴に陣羽織、刀を差して鉢金に見立てたリボンといった、姫であると共に武将ともいえるような出で立ちだった。聞かずとも、演劇か何かの衣装だと分かる。
愛梨の目から見えても華やかで、立ち姿も様になっており、舞台映えをしそうだと見惚れてしまう。
柚朱はといえば驚き目を大きくするも一瞬、愛梨をまじまじと見つめ、スッと目を細めた。
「その声……佐藤愛梨さん、だったかしら?」
「……えぇ、そうです」
まるで射貫くような視線。美人の凄む姿というのはやけに迫力があり、思わずたじろぎそうになるも、グッと奥歯を噛みしめて堪え、負けじと見つめ返す。
柚朱もまた、愛梨のことを知っているだろう。
自分が収まりたいと思っていた場所へ、一度は収まった女。
仮初の、ということは知らないだろうが、疑ってはいるだろう。今向けられている視線は、まるで査定され真贋を確かめられているかのようなのだから。
ごくりと喉を鳴らす。
愛梨の瞳に映る柚朱は、相変わらず鮮烈なまでの美貌を誇っていた。
中学時代も百花と人気を二分するほどの渦中の人だったが、しばらく見ない間にその美しさにはますます磨きがかかり、仕事で見掛けるモデルや芸能人が霞みかねないほど。それこそ、愛梨の隣に並んでも遜色がないほどに。
まるでけん制し合うかのようなにらみ合い。
場に紡がれた緊張の糸が張り詰められていく。
「…………え?」
するとその時、柚朱の口から間の抜けるような驚きの声が上がった。いきなりの柚朱の反応に、思わずビクリと肩を跳ねさせる。
彼女の視線の先が一輝であることに気付き、「あぁ」と苦笑を漏らす。
「もしかして一輝、くん……?」
「えぇ、そうですよ高倉先輩。どうですか、これ?」
「ふふっ、よく似合っているわ。一瞬誰だか分らなかったくらい。百花さんにちょっと似ているなとは思ったけれど」
「姉さんに? その、髪型や服とかかなり違うものにしたと思うんですが……」
「目元、それに雰囲気かしらね? どこか百花さんを彷彿とさせて……それよりも一輝くんの方がって思って見ているうちに、本人にしか見えなくなっちゃって」
「そう、なんですか……初めて僕だと見破られて、ちょっと悔しいかも」
「あはっ、そこは自信を持っていいわよ。だって、こうして見てみると、どこからどう見ても女の子にしか見えないもの!」
柚朱は上品に口元に手を当て、ころころと鈴を転がすような声でおかしそうに笑う。まるで童女のようにあどけなく。正直、少し意外な姿だった。
そして愛梨はあれだけ周囲を欺いてきた一輝を見破ったことに、目を丸くする。
きっと、普段からよく彼のことを見ているから分かったのだろう。
それだけ、彼女の一輝に対する想いは本物なのだ。
愛梨の胸に負けられないという熱が渦巻き、キュッと唇を強く結ぶ。
しかし身構える愛梨とは裏腹に、柚朱はふわりと優し気な微笑みを浮かべ、目尻に溜まった涙を拭いながら口を開く。
「そういえば私のクラスでも、1年の女装キャバクラがキワモノっぽく見えるけど、本格で嵌っちゃうくらい凄いって話を聞いたわ。それかしら?」
「えぇ。ま、僕自身もイロモノ企画だと思いますよ。だけど、だからこそ悪ふざけを本気で、真剣に取り組んだら面白うそうだなぁとも思いまして」
「へぇ、てことはもしかして、一輝くんから積極的にそうしようって言ったの?」
「そうです。よくわかりましたね」
「ふふっ、ほんと……一輝くんは変わったわね」
「……変わりたい、っていう気持ちがありましたから」
そう言って一輝ははにかんだ。
それはいつもとは全然違う容貌に、ともすれば同性になっているけれど、気負いなく自然と零れてしまったその笑みは今までより魅力的に映り、思わず見惚れてしまうほど。
過去に決着をつけた一輝は変わった。
愛梨も柚朱の意見の通りだと思う。
だというのに柚朱はくしゃりと表情を悲しそうに歪め、愛梨と一輝を眺めながら切なそうに謳う。
「それってやっぱり、本当に心から好きな人ができたかしら」
「……っ」「……えっ!?」
予想外の言葉に、一瞬意識を固まらせる愛梨。
しきりに目を
困った様な、何とも言えない曖昧な笑みを浮かべる一輝。
その様子を見た柚朱は、自分の予想が外れたとばかりに、目をぱちくりとさせる。
やがて柚朱はフッと薄い自嘲を込めた笑みを零す。
「一輝を変えたのはてっきり……ごめんなさい、どうも私の勘違いだったわ」
「あっ……!」
そう言って柚朱は踵を返し、片手を上げて去っていく。
ただただ唖然と、その後ろ姿を見送る愛梨。その胸の中は嵐の様に騒めいている。
――一輝に、心から好きな人ができた。
それが、彼女のただの勘違いとは思えない。
柚朱は、本当にちゃんと一輝を見ているのだ。
契約カップルの時も、どうにも仮初だということを見抜いていた節もある。
あの発言にも、愛梨の知らない、彼女なりの根拠があるに違いない。
一輝はただ、言葉もなく立ち尽くしていた。
その顔に張り付けられている笑顔が、胸の内を誰にも悟られまいとして被っている
「待って!」
「っ、愛梨!」
一瞬の躊躇いの後、居ても立ってもいられなくなった愛梨は、柚朱を追いかけた。
※※※※※※
本日スニーカー文庫35周年番組で発表されました通り、てんびん、アニメ化企画進行中です。
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