113.迷惑なんていくらでもかけてくれてもいい。だけど、心配だけはかけさせないでくれ


 シャインスピリッツシティには時計広場とは別に、大型展示ホールが存在する。

 ビジネスショーや物産展、キャラクターイベントのほかにも同人誌即売会も開かれることがあり、伊織はこの場を見て『コスプレか……』と真剣な表情で呟いていた。

 ここはシティ内の僻地にあり、何も催し物がない時は今のように閑散としている。人目を避けて休むには絶好の場所とも言えた。


「大丈夫か? ほれ」


 隼人はペットボトルのお茶を差し出し、そして春希の隣に腰かける。


「あ、うん、ありがと……あれ、海童や森くんたちは?」

「姫子や伊佐美さんと合流してからこっちに来るってさ」

「……そっか」


 どうやら色々と気を遣われたらしい。

 互いに何も言わず、そっとお茶に口を付けた。


 木陰になるよう計算され植樹されたベンチに、そっとビル風が吹きつける。

 空を見上げれば流れ行く白い雲。周囲を見渡せば月野瀬とは違って木々や山でなく、無機質なビルや人工建造物に囲まれている。

 目に映る光景はかつてとは違う。だけどかつてと同じ様に、隼人が何も言わず寄り添ってくれている。


 ――あの日、再会して新たに交わした約束通りに。


 ちらりと横顔を見る。

 特別で一番になりたいと、強くなりたいと、そんなことを宣言していながらこの体たらくである。なかなか上手くいかない。そんな自分が情けない。大きなため息を1つ。


「……んっ」


 よし、とばかりにお茶を呷り、弱気な気持ちも一緒に呑み込んでいく。

 だが隼人はそれを許してくれなかった。


「――田倉真央、か?」

「んぐっ!? げほっ、けほけほけほ、うぐふっ……」

「す、すまん、タイミング悪かった!」

「けほっ、だ、大丈夫……っ」


 不意打ちだった。思わず咽てしまい、春希涙目で隼人を睨む。

 だが心配そうにこちらを見つめる瞳が飛び込んでくれば、気まずい表情で目を逸らしてしまう。


「春希……」


 隼人の瞳は春希を思い憂う色を湛えていた。嬉しくもあり、同時に申し訳なくも思う。

 そんな負い目もあって、春希はとつとつと先ほどあったことを呟いていく。


「……ボクもね、よくわかんないんだ。さっき佐藤愛梨のイベント会場でボクと田倉真央を知ってそうな人に声を掛けられて、わけがわかんなくなっちゃって、それで……」

「そうだったのか……」

「あはは、やっぱり上手く説明できないや。ボクの存在なんて知ってる人なんて月野瀬の人以外だと限られるはずだしさ、頭が真っ白になっちゃって、その……」


 それは春希の忌憚ない気持ちだった。あははと俯き乾いた声が漏れる。我ながらどうかとも思う。だが、上手く説明もできない。

 相手のことも――そもそも母のことも、ロクに知らないのだ。眉をひそめてしまう。


「……母さんがさ、倒れて入院したのって2度目だったんだ」

「え、隼人……?」

「その、命に別状はないんだけど後遺症というか、手先が麻痺まではいかないけど、上手く動かせないんだ。今必死にリハビリしているところだけど」

「…………」


 突然の話題転換だった。

 しかも、他人・・にはおいそれと話すような内容でもない。

 春希は瞠目し、隼人の顔を見上げるも、その目はどこか遠くの方へと向けられていた。そして続きを紡ぐ言葉は、どこか早口だ。


「きっとリハビリが終わっても、前みたいな生活ができないかもしれない。色々振り回されるとも思う。でもそういうのは別に構わないっていうか、その、あー、なんていうかだな!」

「わっぷ、隼人ーっ!?」


 そこまで口早に言い切った隼人は、その心境を表すかのようにぐしゃぐしゃと春希の頭をかき混ぜる。

 突然のことに春希が抗議の声を上げれば、隼人は相変わらずそっぽを向いたまま、顔を耳まで真っ赤にしてぶっきらぼうに言い放つ。





「迷惑なんていくらでもかけてくれてもいい。だけど、心配だけはかけさせないでくれ」




「へ? あ……あぅぅ……」



 それは隼人の素直な気持ちが込められた言葉だった。

 先ほどの春希の説明同様めちゃくちゃで、だけど、どこまでもその本心が伝わるものだった。

 だからするりと春希の心に入り込んでくる。それがよくわかる。胸を満たす。


「……」

「……」


 頭に乗せられた隼人の手のひらから伝わる熱はあまりに暖かで、春希の冷えていた心を溶かしていく。体全体に伝播し熱くなる。直接触れている頭は茹だってしまう。

 でもそれがどうしてか嬉しくて、だけど気恥ずかしくて、どうしていいか分からず身動みじろぎしてしまう。このままの空気に浸っていたくなる。


 2人して、顔を真っ赤にしてそっぽを向いていた。だけど手のひらと頭でだけ繋がっている。その光景は、想像しただけでも滑稽だった。

 だから春希と隼人は互いに笑みを零す。

 それは幼少期から幾度となく紡いできた光景とも同じであった。

 変わらないやり取りに空気が緩む。


 それに気を許した春希は茶化すように、誤魔化すように、そして甘えるように悪態を吐く。


「あーもう隼人ったらまた、ボクをひめちゃんと同じ様に扱ってるでしょ」

「……そうだな、生まれた年も早生まれで1つ違うしな」

「生意気っ……まぁいいけど。でもこんなの他の人にやっちゃだめだからね? 迷惑・・かかっちゃうし」

「やんねーよ。春希はその、俺にとってその、とっくに特別・・になっちまってるから」

「っ! そ、そっか……」

「あ、あぁ……」


 より一層くすぐったい空気が流れる。どこか強張っていた互いの表情も溶けていく。胸はこそばゆい。だが悪くない。


「はるちゃーん! はるちゃんはるちゃんはるちゃん、あのね、凄かったの、近くでね、当たらなかったけどね、握手、初めてで、ほんもので、芸能人で!」

「「っ!?」」


 そこへ興奮気味の姫子の声が聞こえてきた。慌てて弾かれたように距離を取りそっぽ向く。

 よくよく見れば、手をぶんぶんと振っている姫子だけでなく、一輝に伊織、伊佐美恵麻の姿も見える。どうやら合流できたらしい。


 ガリガリと頭を掻いて立ち上がった隼人が手を差し伸べてくる。


「俺たちも行こうか」

「……うんっ」


 そして春希は子供の様な笑みを浮かべて、その手を取るのだった。

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