76.こっちだ!


 それはとても大きな建物だった。

 学校の体育館のゆうに倍はある敷地面積に、12階建てと言う大きさは見上げれば首が痛くなってしまうほどで、その威容に圧倒されてしまう。


「でっけぇ……」

「すご……」

「あはは、ボクもこれは予想外というか……」


 グランシネマスピリッツ――ここが本日彼らが訪れたシネマコンプレックスだった。

 国内最大級の巨大スクリーンの他、体験型シアターやカフェ、グッズショップなど様々な設備を擁するそこは、ある種のアミューズメント施設と言える。


「霧島くん、入らないのかい?」

「あ、あぁ、すまん。その、こういうの初めてでな、ビックリしているのと入口がどこかわからなくて……下の方は色んな施設が入っててさ」

「1階から3階は各種テナントが入ってるね。ええっと……映画館は隣のエスカレーター登って4階が入口、こっちだ。上の残り全部がシネコンみたいだ」

「っと、行こう、春希、姫子」

「……むぅ」

「う、うん……っ」


 そんな彼らの中、海童一輝だけは平然としており、呆気に取られている3人を微笑ましい目で見つつも彼らを促す。

 その視線は隼人と姫子にとっては引っ越し以来度々向けられ慣れている視線だ。月野瀬との違いに驚いた時によく向けられるものである。


 しかし春希にとっては違う。

 普段の擬態もあってそんな視線にさらされたのは初めてであり、少し不機嫌そうな表情を浮かべ先を行く隼人と海童一輝の間に身を滑らせる。


「ちょ、ちょっと驚いただけだし」


 するとより一層愉快気な顔になった海童一輝と目が合い。フンッとばかりに目を逸らした。

 ちなみに隼人と姫子はキョロキョロと4階まである巨大なエスカレーターから周囲を物珍しそうに見回しており、その様子に気付いていない。完全に絵に描いたかのようなお上りさんである。


「わぁ!」

「へぇ」


 シネコンのエントランスも、これもまた度肝を抜くものだった。

 上階と吹き抜けになっている円形状フロアに、全体的に近未来的なデザイン。流線形を意識した施設内を、多くの人が流れるように行き交っている。


 当然ながら隼人と姫子はこういう場所は初めてだ。そして長年都会に住んでいるもののぼっちを拗らせている春希も初めてであり、3人ともどうして良いか分からず立ち呆けてしまう。

 そんな彼らを見て喉を鳴らした海童一輝は隼人に話しかける。 


「あーその、見るのは決まっているのかい?」

「あ、あぁ。Faith劇場版第3章だ」

「アニメの?」

「意外か?」

「少しね。今なら『那由他の刻』がクラスでも噂になっていたから、てっきり」


 呆けていた春希の肩がピクリと反応する。

 『那由他の刻』、それは春希にとって地雷とも言える話題だ。

 不機嫌そうな顔を隠そうともしない春希に気付いた隼人は、慌てて財布からお札を取り出し海童一輝に押し付ける。


「海童、その、俺使い方とかわかんねぇから、任せていいか? ほら、春希と姫子の分」

「オッケー、適当に4人並べるところでいいかな?」

「あぁ、助かる」


 海童一輝も春希の空気を敏感に感じ取っていたようだった。

 そして隼人に合わせるかのようにお金を受け取り、少し眉をハの字にしつつもニコリと爽やかな笑みを浮かべ去っていく。


 隼人は、随分と人のそうした機微に聡いと感心する。なるほど、モテるのも頷ける。遠めからもスムーズな所作であっという間にチケットを購入してきた。電車の券売機でもたつく隼人とは大違いである。


「す、すいません! うちのおにぃ、頼りなくて」

「お前に言われたくないぞ、姫子……」

「はは、どういたしまして。それに普段から霧島君はこういうのが苦手だって聞いてるしね」


 そう言って無邪気とも言える人懐っこい笑みで気さくに応える海童一輝は、人見知りの姫子の態度を軟化させるのにも成功していた。人と打ち解けるのが上手い。隼人は彼のその人当たりの良さに感心しつつも、何とも言えない顔を浮かべる。


「スクリーンは7、てことは8階ね。どうせならエスカレーターで歩いて行きましょっ!」

「あ、はるちゃんっ!」


 春希はそんな海童一輝がお気に召さないようだった。ぐるると唸り声を上げながら彼と姫子の間に身体を滑らせて、強引に姫子の腕を取る。

 そんな春希を見た海童一輝は笑顔をそのままに肩をすくめ、宥なだめすかすかのように通り過ぎる横顔に声を掛ける。


「大丈夫、どちらも取ったりしないよ」

「~~~~っ!!」

「あ痛っ!」


 図星なのか耳まで真っ赤に染め上げた春希は、海童一輝をねめつけながら思いっきり彼の脛を蹴り上げた。無駄に良い運動神経から繰り出される容赦のない一撃だ。

 海童一輝は思わずうずくまり蹴られた場所を押さえるが、その顔は涙目だがどうしたわけか可笑しいとばかりに笑顔を崩さない。


 隼人はガシガシと頭を掻きながら、呆れたようにため息を吐く。


「海童、お前バカだろ」

「そうだね、自分でもびっくりだ」




◇◇◇




 姫子が期待していた768人入れる巨大スクリーンではなかったものの、それでも優に400人を超える収容規模であり、隼人や姫子、そして春希を大いに驚かせる。

 そしていざ映画が始まれば、何とも気難しい空気を醸し出していた春希もすぐさまそれを霧散させた。それだけ映画にのめり込んでくのだった。


 映画の出来は素晴らしかった。

 作画のクオリティもさることながら、シリーズ物の途中から見始めた隼人をぐんぐんとストーリーに引き込んでくる。

 春希に至ってはハラハラするシーンでは息を飲み、心揺さぶれるところでは鼻をすすり、画面に前のめり。


 最後まで見終えてスクリーンから廊下フロアに出れば、満足気な表情でその感情を爆発させた。


「すん~~~~っごい、良かった!!」


 くるりと身を翻し、胸の前で拳を握りしめながらキラキラした目で力説されれば、隼人でなくても釣られて笑顔になってしまう。


「想像以上だったよはるちゃん! これもう前作とか色々気になっちゃう!」

「でしょ、ひめちゃん?! 今度色々持っていくから」

「春希、姫子は受験生なんだ、ほどほどにな」

「うぐ、分かってるって……」

「ははっ、でも確かに面白かったね。特に終盤でのバトルでの即席コンビにもかかわらず、信頼感のあるあの台詞とか」

「む、そこに目を付けるとはやるね海童! あそこは原作にはなくて――」


 そして同じ話題で盛り上がれば先ほどまでの空気もどこへやら、すっかりと上機嫌になるのだった。


(ったく、単純なやつ)


 隼人はそんなはしゃぐ春希の姿を見ては目を細める。


「――それでね…………ぁ」


 そしてグゥ、とお腹の音が鳴れば、隼人はいよいよ堪えきれないとばかりに笑いが零れた。

 隼人の視線に気付いた春希は、恥ずかしそうにしつつも恨みがましい目で睨みつけ、口を尖らせる。


「……最近ダイエットしてたんだもん。それに今朝は髪とか服のせいで食べられなかったし……隼人のせいなんだからねっ!」

「はっ、それはすまん。で、最上階に見晴らしのいいカフェテラスがあるみたいだな。昼も近いし行ってみないか?」


 そう言って隼人は宥めるかのように春希の頭をひと撫でして、そそくさとエスカレーターへと向かう。

 撫でられた春希はますます顔を赤くして頭をおさえ、だけど不満そうにしつつも足取りは軽やかにその背を追う。


「もぅ、誤魔化されないんだからっ!」


 そんな2人を見ていた姫子と海童一輝は、お互い顔を見合わせ苦笑いを零す。


「僕たちも行こうか。置いていかれてしまう」

「あはは、そうですね。待ってよ、おにぃ、はるちゃーん!」




◇◇◇




 グランシネマスピリッツはシネコンというよりかはテーマパークと言った方が近い。

 エントランスが近未来的なSFデザインだとすれば、他は西部劇、中世欧州、幕末日本といったように階層によって様相を変える。それは見ているだけでも目にも楽しい。

 前を行く隼人だけでなく、春希も姫子も、そして海童一輝も歩きながらあちらこちらへ視線を彷徨わせ、時に指を差して声を上げる。移動するだけでも自然と賑やかになる。


 楽しくも有意義な時間だった。

 時刻はまだ昼前。この空気を共有しそれぞれの新たな一面を知った彼らは、午後からは何をしようか互いに笑顔で算段を付けている。


 春希は人一倍浮かれていた。先ほどの映画の興奮もあるのだろう。

 手を広げ全身で喜びを表しながら皆の前を行く。


「だからそこは――…………え?」


 それだけに春希の変化は顕著だった。

 急に立ち止まったかと思えば興奮で紅潮していた頬は一気に冷え込み、表情は青褪め唇も白い。


「……はるちゃん?」

「どうしたんだい、二階堂さん?」

「……っ!!」


 どうしたことかと訝し気に春希を見る姫子と海童一輝のその横で、隼人だけがその異変の原因に気付く。


(田倉真央……っ!)


 突然のことで呆然自失としている春希の視線の先には、やたら存在感を放つ妙齢の秀麗な女性――田倉真央の姿があった。

 現在隼人達が居るのは、シネコンの目玉である768人が収容できる巨大スクリーンがある12階。チラリと周囲に視線を巡らせれば、あちらこちらに『那由他の刻』のポスターが貼られている。


 どうやら舞台挨拶か何かと推測できた。

 春希の姿を見とめた田倉真央は、春希同様目を見開き、しかし春希と違ってみるみる表情を険しくしていき、チッ、と舌打ちすらする始末。


 ――あれは良くないものだ。


 人付き合いが苦手な隼人でさえ理解してしまう。

 春希の方に視線を移せば、今にもへたり込みそうに身体を震わせ、心は今にも泣き出しそうにしているのがわかる。


「春希、こっちだ!」

「……えっ?」


 それは反射的な行動だった。

 隼人は堪らないとばかりに春希の手を取り、人気の無い階段の方へと駆け出して行った。

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