77.裏切者


「こっちだ、外まで一気に行くぞっ」

「ちょっ、隼人ーっ!?」


 あまり人に使われることのない階段を2段飛ばしで駆け降りる。勢いよく階下へと向かう様は転がり落ちると言ったほうが良いかもしれない。

 随分と行儀の悪い姿だろう。そんなこと知ったことかと外へと目指す。いや、気にする余裕がないと言ったほうがいいだろう。誰かに見られていないのが幸いか。

 そして大通りに出る頃には、隼人も春希もすっかり息が上がってしまっていた。


「はぁっ、はあっ」

「ふぅーっ、ふぅーっ」


 そんな場所で膝に手をつき息を荒げる若い男女の姿は、随分奇異に映るのか通り過ぎる人々の好奇の視線を集めてしまう。

 春希が恨めしそうに少し困った顔でねめつければ、隼人はバツが悪そうに頬を掻く。


「…………ごめん」

「別に謝ってほしいわけじゃないんだけどな。……けど、ありがと」

「……おぅ」


 そう言って春希は頬を緩めた。

 先の隼人の行動は反射的なものだった。姫子と海童一輝もさぞ驚いたに違いない。言い訳を考えると頭が痛い。しかしその春希の姿を見れば、隼人はホッと胸を撫でおろす。


 どこかピリピリしていた空気が弛緩する。


 そして不意に春希は眉を寄せたかと思えば、隼人に向き直った。


「でもね、さっきは突然のことでビックリしたけどさ、これからは大丈夫」

「…………え?」

「ボクね、頑張るって決めたから」

「どう、いう……」


 春希の瞳はやけに真剣だった。それと共にどこか意志の強さを感じさせられる。

 何故? どうして? 本当に大丈夫か? 隼人の脳裏に様々な疑問の言葉が浮かぶが、そんな春希の瞳が質問の言葉を紡がせない。

 いつもよく見る悪戯っぽさやどこか寂しさの滲むもの、他人との壁を作っているどこか無機質な猫被りのそのどれとも違う視線を受ければ、どうしていいかわからなくなる。隼人は少しばかり困惑しつつも真意を探ろうと見つめ直す。


(……綺麗、だな)


 だがそんな感想を抱いてしまった。目が離せなかった。

 パッチリとした大きな瞳は深く澄み渡っており、そのくせ底が見えないほど深い。だから吸い込まれるかのように魅入ってしまう。


「だからさ、これからのボクを見ててよ」

「っ! ……あ、あぁ……」


 そして不意に前から覗き込むかのように微笑まれれば、ドキリとしてしまうのも無理はない。そして胸元から黒いレースがチラリと見えた。

 隼人は自身の知らない感情に支配されていた。心臓は有り得ないほどに早鐘を打つ。だから慌てて身体ごと目を逸らし、ガリガリと頭を掻く。


「おにぃ、はるちゃんも! 急になにさ、もぉーっ!」

「姫子……」


 隼人が丁度身を逸らしたところで、姫子と海童一輝の姿を見止めた。どうやら追いかけてきたようだ。

 姫子は突然の行動にお冠で、腰に手を当てもぉもぉと鳴きながら詰め寄ってくる。もぉ。


「あの後大変だったんだからね! 残されたあたし達もやたらと注目されるし、舞台挨拶の俳優さんの移動がどうとかでややこしい事になるし、ていうかちょっとそれを見に行きたかったし――って、聞いてる、おにぃ?!」

「はいはい、悪かったってば」


 隼人は姫子を宥めつつも胸を撫で下ろしていた。助かったとさえ思っている。

 だが姫子はそんな兄の態度が気に入らないのか、ますます眉の端を吊り上げていく。真実それは、隼人の誤魔化しである。当然だ。


「まぁまぁひめちゃん、アレはアレだったから。そのアレでアレになるから落ち着いて?」

「その姫子、アレはアレでさ、その、お昼おごるから機嫌直してくれ」

「ぐぬぅ、2人して昔からもう……――うん??」

「……どうした、姫子?」

「ひめちゃんどうしたの?」

「いや、何か見られていたような……?」


 ふと何かが気になったのか、姫子は辺りをきょろきょろと見回した。

 隼人と春希も周囲を伺うも、大勢の人が流れるようにどこかへ向かっていく光景があるのみ。騒いでいたためか少々耳目を集めているとは感じるが、別段可笑しなものは見当たらない。姫子も首を傾げてしまう。


 そこへ空気を読んで場を仕切り直すかのように、海童一輝が割って入る。


「とりあえず移動しようか。あれだけ騒げば誰かに見られることもあるだろうしね」

「うぅ~ん……でもそだね。お腹も空いちゃったし……あ、そだ、あたし行ってみたいお店あったんだよね。ええっと……」


 そう言って姫子はスマホで検索を開始する。

 それを余所目に、今度は海童一輝が隼人と春希に話しかけてきた。


「ところでアレって何?」

「…………さあ?」

「何なんだろうね?」


 3人は顔を見合わせて笑うのだった。




◇◇◇




「え、うそ、勝手に空いてるところに座っていいの?! って、メニューないけど注文は……タブレット?! ど、どう使うの?!」


 やってきたのは若年層に人気の、低価格で有名なイタリアンのファミレスだった。

 ファミレス自体が初めての姫子は「これちゃんと注文出来てるの?!」「ドリンクバーって本当にどれだけ飲んでも金額変わらないの?!」といった、いかにも初心者然とした姿を晒していた。いつぞやの隼人の姿の焼き直しである。


 そしてファミレス2回目の隼人はそんな姫子に代わって「不安なら履歴で確認出来るぞ」「代わりに飲み物取って来てやろうか?」と言えば、姫子は恨めしそうに「うん」と頷く。春希もこっそりとメロンソーダと呟いた。


「ぐぬぬ、ていうかおにぃさ、何でそんなに手慣れてるの?!」

「ホントだよ、隼人なのにビックリ!だよ!」

「そりゃ初めてじゃないからな」

「おにぃなのに!?」

「隼人なのに!?」

「……お前らな」


 驚く春希と姫子のジト目と声が重なり合う。

 ちなみにその春希はと言えば一見澄ました顔をしているものの、やたらと周囲が物珍しいのかキョロキョロと視線を彷徨わせており、姫子のそれと変わらない。


 海童一輝はそんな彼らの様子を見守っており、その視線を受けた姫子と春希は気恥ずかしさから縮こまってしまう。しかし料理が届くや否やその目と表情を輝かせた。

 きゃいきゃいと騒ぎながら互いのパスタの味が気になるのか、一口ずつ交換したりする。ちなみに隼人は問答無用で2人から一口ずつ収奪されたりしていたが、それよりも「これで300円?! 下手すれば家で作るよりも安いじゃないか!」と戦慄していた。


 和やかな空気だった。

 春希や姫子が騒いで話題を提供し、隼人はその2人から茶々を入れられたり突っ込まれたりして、海童一輝はそれらを見守りつつも時折フォローしたり仲裁したりする。調和がとれていると言っていい。そんな中、海童一輝はしみじみといった様子でポツリと呟く。


「霧島くんと二階堂さんって、いつもこうなのかな?」

「うん?」

「何があったのかわからないけれど、映画館で凄い剣幕で走り出してたし……僕にはわからないけれど、とても大変な事があったんだと思う。でもさ、ほら、今はもう笑ってる」

「それは……そう、だな……」


 隼人はそういえばと思い出す。先ほどのことは随分と突飛な行動だったと思う。気にならないはずがないだろう。


「そうだよね。確かにさっきのは無いよね。あたしはおにぃとはるちゃんだからって流しちゃったけど、傍から見れば異常だよね」


 そして代わりとばかりに姫子が、パスタを頬張りながら呆れたように相槌を打つ。


「ま、俺も春希によくいきなりのことで振り回されるし」

「む、それはボクの方がこそと言いたい」


 姫子の言葉に乗っかる形でそんなことを口にすれば、春希が唇を尖らせて抗議する。

 そんな実兄と幼馴染の姿を目にした姫子は、心底呆れたとばかりにため息を吐けば、海童一輝も堪らないとばかりに笑い出す。


「仲が良いんだね」


 だがその言葉を聞くや否や、隼人と春希は互いに眉をひそめて顔を見合わせる。


 ――仲は悪くはないだろう。だけど良いとは言い切れない。


 本当に良いならば、何でも話せて今のような状況に陥っていない。

 だからその表情はどちらも強張っており、続く声色はぶっきらぼうでどこか他人事だった。


「……ボクたちって仲が良いのかな?」

「さてな。悪くはないだろうよ」

「おにぃ、はるちゃん……」

「ははっ、そうかい」


 だが傍から見ればそれは照れ隠しで恥ずかしがっている様にしか見えない。

 姫子は呆れたようにフォーク片手に頬杖を突き、海童一輝は眩しそうに目を細める。


 隼人は微妙にニュアンスが伝わっていないと感じ、訂正しようと口を開こうと――した時のことだった。


「あれー、こんなところで珍しい。裏切者・・・の海童じゃん」


 突如、そんな言葉を浴びせられる。

 声の発信源を見た海童一輝はピクリと肩を震わせ、みるみる表情を強張らせていくのだった。

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