144.本物の熱と色


 気付けばはるき・・・は、薄暗い灰色の空間に立っていた。

 周囲を見回すも何もなく、世界にただ1人ぼっち。


 どこか息苦しさを覚える。

 それから逃れるように、ここではないどこかへ行きたかった。

 だけどどうすればいいかわからない。

 身体に纏わりつく重苦しい空気の中、俯いたまま藻掻くように必死に手を伸ばす。

 しかし何も掴めない。

 そんな無為なことを繰り返す。

 目に映るものは何もなく、心は摩耗していく。


『はるき、こっちだ!』

『――え?』


 その時、不意に手を掴まれた。

 戸惑うはるきなんてお構いなしに、強引に引っ張られていく。

 一体誰かと思って顔を上げると、光が差し込み――


「――夢」


 そして春希の意識が浮上した。

 夜明け間もないのか、遮光カーテンの隅からはうっすらと登ったばかりの弱々しい太陽の日差しが滲む。

 寝起きのぼぅっとした頭で周囲を見回すと、薄暗い見慣れぬ和室の女の子の部屋が目に映る。

 ローテーブルの上にはエプロンとスマホケース。

 結局昨夜は遅くまで、沙紀と一緒に完成まで作っていたのだった。


「そっか、そうだった……って、あれ、沙紀ちゃんがいない……?」


 そこでようやく春希は沙紀の部屋に泊まっていることを思い出す。

 一応春希用の客間も用意してもらっているのだが、寝落ち寸前まで沙紀の部屋で一緒に作って、そのまま寝ることが多い。

 だがその部屋の主が居ない。

 布団は丁寧に畳まれている。

 時刻を確認するとまだ6時前。

 二度寝してもいい時間でもあるが、生憎と眠気はない。

 それよりも、沙紀がどこへ行ったかが気になった。

 そろりと部屋を抜け出す。


「暗っ……」


 小声で呟く。

 廊下はまだ暗くしんと寝静まっており、足元も覚束ない。

 春希は壁に手を付きながら、周囲を窺いつつ歩く。

 しかし、どこかの部屋で誰かがいる気配はない。

 そして玄関にやってくると、沙紀の草履が無いことに気付いた。


「外に出たのかな……っと、うわっぷ!」


 玄関を開けた瞬間、ごうぅっと強風に煽られ春希の長い髪が舞った。

 空を見上げれば、どんよりとした雲が南から駆け寄ってきている。


「そういやこないだみなもちゃんも言ってたけど、台風が近づいてきてるんだっけ……」


 春希は風に攫われそうになる髪を抑えながら境内を歩く。

 ザァザァと木々が不安そうに騒めき、古めかしい社がみしみしと唸り声を上げている。まるで台風の訪れを怨むかのように唄っていた。


 どこか山が不気味な様相を見せている中、拝殿が泰然と佇んでいるのが目に入る。

 春希はそこへ、吸い寄せられるかのように足を踏み入れ――


「っ!?」


 ――そして一瞬にして神聖な空気に塗り替えられ、息を呑んだ。

 視線の先は拝殿の奥、一段高い場所にある祭壇前の板張りの間。

 そこで神楽を舞う巫女装束の神秘的な少女――沙紀が作り出す世界に意識が呑み込まれていく。


 清廉に舞う袖、厳かに運ばれる足、合間に鳴らされる凛とした鈴の音。そして、千変万化な沙紀の表情。

 神事。祭神へと奉じる舞。

 そのはずなのだが、どうしてか春希にはドラマに見えた。

 この地を訪れ豊かにし、そして去っていく天神に、慕情を抱いた地祇の奇譚。

 別れがあると分かっていても焦がれる想いを抑えることが出来なかった少女の、恋の物語。


 身を焦がすような想い、立場に悩むもどかしさ、避けられない別れへの恐れ。

 それらがただ1人、沙紀によって鮮明に描き出されている。


 圧倒される。

 呼吸すら忘れ、見入ってしまう。

 その場に縫い付けられたかのように硬直し、目が離せない。


 あぁ、隼人が褒めるはずだ。


 そこにはただの演技計算では作り上げられない、本物・・の熱と色があった。

 あれと比べれば、自分のそれがいかに薄っぺらいものだろうか? 

 沙紀が放つ輝きに身を焼かれてしまう。

 思い返すのは、昨夜の言葉。


『……褒めて、もらえたんです』


 そしてあの時の沙紀の顔はとても綺麗で可愛くて、正に女の子・・・という形容がぴったりだった。

 もし仮にその表情を演じようと思ってもまがい物にしかならないだろう。

 ――そう、本能的に悟ってしまっていた。


 何故なら、そこに込められた想いは――


「――ぁ」


 春希の胸がドクンと跳ねる。

 痛いくらいに騒めき出す。

 歯を喰いしばり、ぎゅっとシャツの胸を掴み、そしてその拍子にガタリと立てかけられていた箒を倒してしまった。


「っ! 誰かいるの~っ!?」

「……っ!」


 沙紀がこちらに気付く。

 頭の中は台風の様に荒れており、まともな思考も難しい。

 別に見つかったからといって、どうということはない。

 しかし春希はどんな顔を見せていいかわからなかった。


 だからその場を、逃げ出すように駆けだしてしまうのだった。

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