145.気に入らねえぞ、っと!


「……何やってんだろ」


 神社を飛び出した春希は、宛てもなく月野瀬を歩いていた。

 都会と違い舗装されていない道には、小石が転がっている。

 目に付いたものをつま先で軽く蹴飛ばせば、あぜ道の雑草の中へと消えていく。


 はぁ、とため息を吐いて空を仰げば、やけに澄んだ北の青い空が、南西からの湿った空気と共にやってくる薄雲に侵食されている。

 陽射しは弱く、村はやけに静かだ。

 いつもは喧しい鶏小屋の傍を通りかかるも、気配はあれど寂然としていた。


「…………ぁ」


 当てもなく歩いていたはずだった。

 月野瀬各所に伸びる5つの道が交わる道辻、空き地の一画、村唯一のポスト。

 ぎゅっと、シャツの胸に皺を作る。


 ここはかつて幼いはるき・・・が行き場を求め、でもどこにも行けず、膝を抱えていた場所。

 そして――


「春希?」

「隼、人……?」


 その時、キッという自転車のブレーキ音が響く。

 音の出処へと視線を向ければ隼人の姿。

 互いに鳩が豆鉄砲を食らったような顔で、目をぱちくりさせる。


「一体、こんな朝早くにどうしたんだ? 散歩か? 思いっきり部屋着って格好だけど」

「ん、あはは、なんとなくちょっとね。隼人こそ、こんな朝早くにどうしたのさ?」

「源じいさんの畑が気になって。ほら、源じいさん1人暮らしだからさ、台風の時はいつも対策手伝ってんだ」

「へぇ、そうなんだ。隼人らしいね」

「俺らしいってなんだよ」

「そのままの意味だよ、あはっ」


 そう言って春希はくすくすと笑う。

 自転車の篭を見てみれば、自前のものと思われる軍手と移植ごて。

 隼人は不思議そうに眉を寄せる。


「そういやみなもちゃんも台風対策するって言ってたなぁ。ね、対策って具体的にどういうことするの?」

「土を寄せて苗が倒れないようにしたり、水はけをよくしたり、防風ネット立てたり、支柱を補強したり、あと収穫できるものは収穫したり、まぁ色々だ」

「なるほどねー」


 春希は腕を組み頷く。

 聞いただけでも大変そうだった。

 となれば手はいくつあっても無駄ではないだろう。

 それに何の言伝もなく神社を飛び出してきているのだ。

 畑の台風対策を手伝っていたと言った方が、沙紀の家に戻った時、言い訳も立つ。


「ね、はや……隼、人……?」


 春希が顔を上げて向き直れば、隼人の視線がポストの隣に向けられていることに気付く。

 その眼差しはやけに真剣で鋭く、そして郷愁の色があり、ドキリと胸が騒めく。


「…………」

「…………」


 どうしてか何も言えなくなってしまった。

 お互い黙ってその場を見つめる。

 きっと、同じことを考えるのだろう。


「昔、ここで初めて春希と出会ったんだよな」

「……うん、よく覚えてる」

「ここ、ある意味月野瀬で一番目立つところだし」

「こんなところで見てくれと言わんばかりに膝を抱えててさ、バカみたいだったよね」

「見た時、なんだコイツ? って思ってた」

「……あはは」


 そう言って隼人が苦笑を零す。

 かつてのことを思い返した春希も、釣られて赤い顔で苦笑い。

 子供だったといえばそれまでだけど、随分と幼稚なことをしていたと思う。

 辛くて、息苦しくて、何も信じられなくて、でも誰かに助けて欲しくて。

 あの時はここでそうする以外、他にどうしていいかわからなかった。

 そして初めて隼人に声を掛けられた時、どう思ったのだったか。


「あの時さ、俺はるき・・・のこと、すっげぇ気に入らなかった」

「隼人?」

「何を諦めたような顔をしているかだとか、何を不幸そうな空気をだしているのかだとか、まったくもって何に苛立ってるんだ、だとか」

「それは……」


 ふいに隼人が顔を覗き込んでくる。

 先ほどと同じやけに真剣で鋭く、郷愁に彩られた瞳で。

 そしてしばらく見つめた後、ニッと悪戯っぽい笑みを浮かべた。


「そしてなんか、今の春希も気に入らねえぞ、っと!」

「み゛ゃっ!?」


 強引に腕を掴まれ引き寄せられる。

 そして無理矢理自転車の荷台へと座らされたかと思うと、戸惑う春希なんてお構いなしに漕ぎ出していく。


「ちゃんと掴まっとけよーっ!」

「隼人ーっ!?」

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