146.だからさ


 自転車に春希を乗せた隼人は、意気揚々とペダルを漕ぎ出した。

 十分に舗装されていない道はガタガタと不安定に揺れる。

 そのくせ隼人は結構なスピードを出す。

 ポストがあっという間に遠ざかっていき、代わりに青々とした田園風景に囲まれていく。

 春希は振り落とされまいと隼人の腰に回した手にギュッと力を籠め、そして抗議とばかりに声を上げた。


「ちょっ、隼人、速いよっ!?」

「速くないとバランス保てないからな!」

「って、どうしてわざわざ農道の方を走るのさ!?」

「そりゃ公道を2人乗りで走ったら、ケーサツに捕まっちまうだろ!」

「ここ警察どころかパトロールは地元の自治体のボランティアだし、そもそも最寄りの交番ですら山をいくつか越えないと無いよね!?」

「ははっ、確かに!」

「まったくもぉ~っ!」


 そんな話をしている間にも、自転車はどんどんと春希と隼人を運んでいく。

 すると目の前に小川が見えてくる。

 川面まで物置ほどの高さ、幅は2車線の横断歩道くらいの長さの、このあたりでは珍しくない小さな生活用の橋だ。


「そういや春希、昔あの橋からよく川に飛び込んでたよな! 変なポーズ決めて!」

「う゛っ! あ、あれは……て、テレビの番組見ててその……っ」

「ははっ、俺も一緒に飛び込まされてびしょ濡れになったっけ!」

「け、結構な爽快感だったし、これは隼人にも教えなきゃって!」

「今思うと結構危ないことしてたなーっ!」

「こ、子供なんてそんなもんだしっ!」


 揶揄うような声色で子供の時の話を振られれば、春希はギュッと隼人に回した手に力を込める。

 そんな春希がおかしいのか、隼人は肩をくつくつと揺らしながら橋を通り過ぎていく。

 川を背にしながら山際の道を、都会のある東へ向かって走る。

 すると今度は、トタン屋根で出来た学校ほどの大きさのあるボロボロの廃工場と資材置き場が見えてきた。


「懐かしいな、あそこ! 元々は木材の加工場かなにかだっけ? よく中に潜り込んで探検とかしたよな!」

「確か隼人、廃材で木刀づくりとかに嵌ってなかったっけ?」

「そうそう色んな剣とか作って、というか春希も相当装飾とか凝ったもの作ってなかったっけ? 確か暗黒星輝剣クラウ・ソラス=アスカロン村正!」

「ぎゃーっ!!??!? かつてのボクながら痛々しいというかよくそんなの覚えてたというかって、隼人もミストルティン=ジャガーノートX1OAなんてもの作ってたでしょ!? X1OAはどこから出て来たのさ!?」

「っ!? そ、それはアレだ、アレ、アレ! っていうかお互い忘れよう!?」

「隼人から振ってきたクセに、もぉーっ!」

「ははっ、あははははははっ!」

「…………あはっ!」


 そしていつしか廃工場を通り過ぎる頃には笑い合っていた。

 かつてと同じように。


 その後も下らない話をしながらも車輪を回している。

 自転車から見える景色から、どんどん民家が少なくなっていく。

 やがて村はずれに、山道への入り口付近にあるある辻堂が見えてきた。

 ずいぶん昔からある六地蔵を屋根で囲っただけの、小さなお堂だ。

 月野瀬を囲む山の麓であり、その背後には鬱蒼とした木々が広がっている。

 隼人はそこで一度自転車を停めて降り、春希もそれに倣う。

 そして隼人は目を細め、どこか懐かしそうな声色でポツリと呟く。


「そういや、逃げた源じいさんの羊を追いかけてここまで来たことあったっけ。山の方に逃げられなくてよかったよ」

「辻堂にある六地蔵だけど、人里の境界にあって村を見守るって言われてるね。だからめぇめぇもここまでしか来なかったのかも」

「かもな、っていうか詳しいな、さすが優等生。そういやあの時源じいさん呼びに行った姫子、途中で迷子になったっけ」

「そうそう、泣いてるところを源じいさんに見つけてもらって、そのまま軽トラで一緒に来たんだよね」

「あの後さ、家に帰っても『ひつじー、まいごー、うわーん』って泣き止まないから、妹を泣かすなって怒られた」

「あはっ、その時の様子、思い浮かぶよ」


 目を閉じて瞼の裏に映るのは、母の真由美に叱られ涙目になっているはやと・・・と、その隣で泣き止まないひめこ・・・

 きっと、どの家庭でもよく見られるような光景。想像しただけでも微笑ましい。口元が緩む。 

 しかし翻って、あの頃の自分はどうだったか?


『またこんなに汚して帰ってきて! 洗濯が大変になるの、わからないのか!』


 叱責と共に飛んでくる祖父母の拳。

 熱くなる頬に、暗い廊下。

 無機質に見下ろされる4つの瞳。

 ロクな記憶が残っていない。

 何度夜に昼間の残滓を求めて家を抜け出し、神社にある秘密基地・・・・へと向かったことか。

 知らず、拳を握りしめる。

 俯く顔の眉間に皺が刻まれる。

 そして目を開けると、自らを覗き込んでくる隼人と目が合った。


「俺さ、春希が居なくなってから自転車乗るようになったし、身体も大きくなって体力も付いて、地理もわかるようになった。どこにでも行けるようになった。……けど、それだけだった。1人じゃなにもしなかったし、出来なかった」

「え、あ……うん?」

「考えてみたらさ、この辻堂もさっきの廃工場も山の中の至る所も……向こうの都会でだってそうだ。カラオケ、映画館、プールにバイト。どこか初めての場所に行ったり、新しいことをするときは、いつだって春希と一緒だった」

「隼、人……?」


 隼人は少しばかりの自嘲の色を乗せて呟き、ふいに眉を寄せたかと思うと、ガリガリと頭を掻く。そして視線を村を隔てる目の前の山へと向ける。

 その表情は春希から見えない。

 同じように視線を山へと移す。大きな山だ。都会で目にしたどの山よりも高く、外界と月野瀬を隔てている。


「俺さ、きっと1人じゃ何もできないちっぽけな奴なんだよ。でも……いや、だからさ、今からこの山の向こう行ってみようぜ、相棒!」

「…………え?」


 突然のことに、春希は目をぱちくりと刺せた。

 いきなりで、そして支離滅裂な提案だった。

 こちらへ振り返った隼人は無邪気で子供の時と同じ悪戯っぽい笑みを浮かべている。

 まったくもってわけがわからない。

 だけど相棒・・と呼ばれて手を差し出されれば、迷いもなく反射的に掴んでしまう。断れるはずもない。


 そして何より、ドキドキと胸が高揚していく自分が一番理解できなかった。


「よーし、行くぞーっ!」

「え、ちょ、待ってよーっ!」


 腕を引かれ、再び車輪が回り出す。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る