147.心を読むんじゃねーよ


 月野瀬を囲む山、それらを越える峠道の1つ。

 その曲がりくねった登り坂を、隼人は歯を喰いしばりながらペダルを漕いでいた。


「うぐおぉおおぉぉおおぉっ!」

「大丈夫? ボク、降りようか?」

「いや、いい! ていうかここで春希を降ろすとなんか負けた気がする!」

「あはっ、そう言われると何となくわかるだけに何も言えないやっ!」


 ハブステップの上に立ち、隼人の肩に手を置いた春希が笑う。


 初めて通る道だった。

 林道だか県道だかわからないがろくに舗装も整備もされておらず、時折バスケットボール大の落石が行く手を阻むこともある。

 そんな険しい道を、何が可笑しいのか春希と隼人は笑いながら自転車を走らせていく。

 眼下にはどこまでも広がる谷と川、そして木々。

 知らない景色に胸を躍らせる。自然と笑いがこみ上がる。

 正にこれは冒険だった。


 東の空はまだ澄み渡るように青く、中天へと登り始めた太陽の光が木々の合間を縫って降り注ぐ。

 時折吹き付ける南西からの風も追い風だ。


「うわっ!?」

「きゃっ!?」


 その時ガサリと山から鹿が飛び出してきた。

 隼人は慌てて急ブレーキを掛け、春希も後ろへ飛ぶようにして降りる。

 鹿も驚きその場に固まり、互いに見つめ合う。

 しかしそれも一瞬、鹿はこちらを一瞥するとそのまま谷側の茂みの中へと身を躍らせていく。

 どこか唖然としていた隼人がポツリと呟く。


「……まさか鹿に煽り運転されるとはな」

「ぷふっ! 何言ってんのさ隼人、鹿の煽り運転って!」

「月野瀬だからこそ、のやつだな、ははっ」

「うんうん、田舎道だもんね、あはっ!」


 春希は隼人と顔を見合わせ笑い合う。

 これはきっと都会に戻った時の、いい土産話になるだろう。


 そしてひとしきり笑い終えた後、自転車を立て直して再び走らせようとする。

 だが登り坂での2人乗り発進は中々に難しい。


 悪戦苦闘と試行錯誤を繰り返し、春希が後ろから荷台を押して加速してから飛び乗るという、曲芸じみた方法で再び走り出した。


「器用だな、ていうか猿だな!」

「むっ、誰がサルでゴリラで粗忽モノだって!?」

「そこまで言ってねぇ!」

「いいや言ったね、心の中で言ってたね!」

「心の中を読まれてたまるか! 読めるなら、今俺が考えてること読んでみろ!」

「『原付だったら登り坂も楽だろうなぁ……やっぱさっさと免許取って原付買おう、中古の安いやつ!』、かな!?」

「……大体合ってる、ていうかよくわかったな」

「ふひひ、ボクも今同じようなこと考えてたからね」

「そうかよ! ま、原付があったら自転車よりも簡単にもっと遠くへ行けるようになるだろうな」

「……それって、向こうとこっち都会と田舎行き来できるくらいに?」

「それは……どうだろうな」


 隼人は即答することが出来なかった。

 新幹線やバスを乗り継ぎ約半日。車ならほぼほぼ丸1日。

 原付でも行けないことはないだろうが、どこかで1泊しなければならないだろう。移動だけでも、ちょっとした旅行だ。

 それだけ、都会と田舎で離れている。

 それだけ、はるき・・・はやと・・・は隔てられていた。

 そしてそれだけ、数日もしないうちに沙紀との距離が出来てしまう。


 ふいに先ほどの沙紀の神楽舞を、その時の表情を思い出す。

 一体どれだけの想いを込めて舞っていたのだろう?


 かつて都会に引っ越したばかりの頃を思い出す。

 ロクに帰ってこない母親。

 1人きりの暗い家。

 大勢の中に居るにもかかわらず孤独を感じる小学校。

 居場所が無かった。

 はやと・・・に会いたかった。

 身を焦がすほどの想いと共に膝を抱え、それらを誤魔化すように勉強、ゲーム、趣味へと没頭していくどこか歪んだ滑稽な日々。


 だけど。だけれども。

 渇望、孤独、焦燥、そして絶望――それらを抱えてなお、沙紀はあの神楽を舞っている。純粋な心を込めて。

 一体どれほど隼人のことを想っているのだろう?

 そのことを考えると胸が軋む。他人とは思えない。


 目の前には車輪を必死に回す隼人。

 肩に置いた手のひら越しに、筋肉の躍動が伝わってくる。

 大きな背中だ。

 思えば幼い記憶を探れば、この背中をよく見てきた。

 知らず、ギュッと肩に置いた手を離しはすまいと力を込める。思いが零れていく。


「……月野瀬ってさ、やっぱり遠いよね」

「そうだな、遠いな」

「学校が始まっちゃうとさ、沙紀ちゃんと気軽に会えなくなっちゃうね」

「次は冬になっちまうな」

「4か月は長いよね……」


 そう言って春希は空を見上げた。

 南西から迫ってきている薄雲が空の半分くらいを占めている。それらから逃れるように東を目指す。

 会話はなく、シャララと車輪が回る音だけが響く。


 そんな中、隼人がポツリと言葉を零した。


「春希は村尾さんと、その、随分と仲良くなったんだな」

「……へ?」

「まぁ、うちじゃなくて神社に泊まってるくらいだし、他にもなんか色々とやってるみたいだし……」

「隼人……?」

「なんていうかその、みなもさんもそうだけど、友達が増えるのは悪いことじゃないから、あぁ、もうっ!」

「うわっ!?」


 どこか拗ねた声色だった。

 そしていきなり立ちあがり、より一層勢いよくペダルを漕ぎだす。心なしか耳が赤い。


 春希はきょとんとその様子をみているに、理解が及ぶと共に胸に湧き上がってくる情動があった。口元が緩んでいく。


「あは、あははははっ! なぁに? もしかして隼人、ヤキモチかな? かな?」

「なっ!? ち、違ぇよ、その、何ていうかだな……っ」

「んー、これは『女の子同士集まってて、何か仲間外れにされてるようで釈然としない』、かな?」

「……心を読むんじゃねーよっ!」

「ふふっ、あはっ! 隼人にも可愛いところあるんだねーっ」

「あぁもう、うっせぇ!」


 春希が笑うと、隼人は躍起になって自転車の速度が上げる。

 完全に隼人の照れ隠しだった。

 ガタガタと自転車の上で2人、肩を揺らす。

 いつしか笑顔がもどっていた。


 加速した自転車が山の頂上に達し、峠を抜ける。


「これ、は……」

「……すっご」


 そして目の前に飛び込んできた光景に、思わず息を呑んだ。

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