206.――たとえ、もう同じノリで接することが出来なくなったとしても


 それからしばらく後、社務所近くの手水。

 その一画で腰を降ろした一輝は腫れた頬を濡れたハンカチで冷やしつつ、姫子に怒られていた。


「一輝さん、いきなり何やってるんですか!? ビックリしましたし、頬もメチャクチャ赤くなってるし!」

「あはは、口の中も相当切れちゃってるし、明日からしばらく口内炎に悩まされそうだ」

「笑いごとじゃありません!」


 腰に手を当てぷりぷりと起こる姿は、隼人にとってもよく見慣れたもの。

 もしかしたら、いつも出掛ける前文句言われながら髪とか弄られる姿はこんな感じなのかもしれないと、苦笑いを零す。隣の沙紀も微笑ましくも困った笑みを浮かべている。

 そんな沙紀と目が合うと少しばかり拗ねたような、もしくは咎めるような顔を返された。


「私もびっくりしましたよ。お兄さんもあんな喧嘩、するんですね」

「いや、あれはその、勝手に身体が動いてしまったというか、何ていうか……」

「お兄さんまでケガとかしたらどうするつもりだったんですか、もぉ~」

「えぇっと、あー……ごめんなさい」


 挑発した自覚があるだけに肩を縮こませ、バツの悪い顔を作る。

 そんな隼人に沙紀と姫子も呆れたため息を零す。

 しかし一輝は、少し照れくさそうに胸の内を語る。


「でも僕は嬉しかったよ。うん、本当に嬉しかった。バカだとは思ったけど」

「……バカで悪かったな」

「でも実際殴り掛かっちゃった僕が1番バカだったんだけどね」

「そうだよ、俺もビックリした」

「僕もね、勝手に身体が動いちゃったんだよ。あぁ、そっか――」


 一輝はそこで言葉を区切り苦笑いを1つ。やけに真剣な表情を作る。

 隼人、姫子に沙紀、そしてこの騒ぎのことを説明している春希や伊織、恵麻の居る社務所の方へ目をやり、朗々と自らの想いを謳う。


「きっと僕は自分で思っている以上に、隼人くんや姫子ちゃんたちのことが大好きだったんだ」

「か、一輝っ!?」「一輝さん!?」「は、はわっ!?」


 そのストレートな物言いに、言葉を詰まらせる隼人に姫子。

 沙紀だってあわあわとしきりに一輝と霧島兄妹の顔を交互に見やる。

 一輝の顔は、どこまでも晴々としていた。


「中学の頃、色々あったんだ。ちょっとした人間不信になっていて……けどさっきみたいに飛び込んできてくれる隼人くんや、いつもなんてことない風に接してくれている姫子ちゃんに救われてたんだ。だから――」


 そこで一輝は言葉を区切って立ち上がり、腫れあがっている頬をこれでもかと真っ赤にして、どこまでも真剣な声色で姫子に向かって真っすぐに手を伸ばす。


「僕は姫子ちゃんとも友達になりたい。友達の妹、兄の友達じゃなくて、ちゃんとした友達に」

「~~~~っ!?」


 突然の申し出に、頭から湯気が出そうなほど真っ赤になる姫子。「ぇ……」「あぅ……」と母音を漏らし、ぐるぐる目を回している。隼人と沙紀も同様だ。

 一輝の伸ばした手が宙に彷徨う。くしゃりと表情も歪ませるも一瞬、それでも一輝は1歩前へと踏み出した。


「姫子、ちゃん――」

「か、一輝さんはっ!」

「は、はいっ」

「そんなことわざわざ言わなくても、もうとっくに友達だって……ってその腕、どうしたんですか?」


 姫子はまるで叩きつけるかのように勢いよく一輝の手を取るも、袖口から見える痛々しい擦り傷に気付き大声を上げる。

 一輝はそれに今気付いたとばかりに、どこか他人事のように言う。


「あ、これ地面に突き飛ばされた時のやつかな?」

「かな? じゃなくて! あぁもぅ、絆創膏じゃ無理っ! おにぃ、沙紀ちゃん、コンビニ行こっ!」

「え、おぅ」「わ、わ、待ってよぅ」

「……ぁ」


 そう言って姫子は身を翻し、隼人と沙紀の手を取り駆け出した。

 すると丁度その時、社務所から戻ってきた春希と出くわし、すれ違いざまに早口で言葉を投げる。


「はるちゃん、一輝さんをお願いっ!」

「……ひめちゃん?」




◇◇◇




 姫子たちは怪訝な顔をする春希と一輝を、この場に置いて去っていく。

 春希は何とも言えない表情でやけににこにこしている一輝にジト目を向ければ、いつもの調子で肩をすくめられた。


「あれ、二階堂さんだけ? 伊織くんと伊佐美さんは?」

「2人は社務所の方でさっきの説明というか言い訳してる。ボクはその、乱れた浴衣を直して、途中から口を挟むのもなんだし戻ってきた」

「そっか」

「……で、ひめちゃんに何したのさ?」

「友達になって、って頼んだだけだよ」

「いつぞや隼人に言ったように?」

「そうだよ?」


 それが何か、といった様子できょとんとする一輝。

 何となくその時の光景が想像でき、はぁ、と呆れた大きなため息を吐く。


「前から思ってたけどさ、海童ってバカだよね」

「自分でもビックリだよ」

「顔だって随分男前になってるし」

「あはは、当分は腫れあがったままかな」

「……ボク、海童はああいう時、もっと無難にやり過ごす奴だと思ってた」

「そうだね、今までの僕だったら多分そうしてた。暴力がいけないことだってわかってる。けど……」

「けど?」

「隼人くんたちがバカにされて、姫子ちゃんたちに手を伸ばされた時、頭が真っ白に……なっちゃ、って……」

「ふぅん……海童?」


 どうしてか語尾がどんどんと小さくなっていく一輝。

 怪訝に思った春希が眉を寄せて顔を覗き込めば、目を大きく見開き右手を凝視している。何かを確認するかのよう思い返し、ポツリと言葉を漏らす。


「あの時、あいつらが手を伸ばして、汚されるとか触れさせたくないとか許せないとか、色んな感情が渦巻いて何も考えられなくなって……さっき手を取ってもらった時も……」


 どんどん辛そうに顔を歪めていく。

 そして何かに気付き、呑み下すかのように息を呑む。

 凝視していた右手を胸に当て、くしゃりと皺を作る。

 明らかに尋常じゃない様子だった。一輝の纏う空気が豹変する。


「……二階堂さん、どうしよう」

「な、なに? もしかして傷が痛むの?」

「傷じゃないけど、痛い。胸が、とても痛い。あぁ、そうか――」

「え、どういう……」


 どうしてか春希の胸が早鐘を打ち、警鐘を鳴らす。

 嫌な予感がする。本能が聞くなと叫ぶ。

 一輝の表情の変化は劇的だった。


 丁度その時、花火が上がった。

 夜空に咲いた花に照らされた一輝の顔は、今にも泣きだしそうな迷子のそれ。

 しかし、自分の中で生まれてしまった想いを認める言葉をポロリと零す。


「僕は今、生まれて初めて誰かを本気で好きになったんだ……」

「――――ッ」


 息が詰まる。

 足元がふらつく。

 動悸が収まらない。

 春希を見つめる瞳は、まるで君はどうするの? と問いかけているかのよう。


 唐突な告白だが春希には一輝の葛藤が手に取るようにわかる。わかってしまう。 

 きっと。

 一輝はこの一瞬の間に様々なものを心の中の天秤に載せ、それでも決定的な方向へと傾けさせたのだ。


 ――たとえ、もう同じノリで接することが出来なくなったとしても。




※※※※※※※※


これにて、てんびん5章終わりです。

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にゃーん。


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