第6章 ――今までと変わらないノリで、笑顔を浮かべて。
6-1
207.変化した日常の始まり
秋もすっかり深まり、朝は布団を出るのが億劫なくらい肌寒い。
夜も長くなり、太陽が顔を出すのも随分のんびりとしている。
「……6時、かぁ」
春希は自室のベッドで寝転びながらスマホを確認し、カーテンの端から滲む柔らかな朝陽を見やり、そしてゴロリと寝返りを打つ。目の下には少しばかり出来ている隈が、あまりよく眠れなかったことを示す。
事実、ここのところよく寝付けないでいた。
原因だってハッキリしている。
今だって秋祭りでの一輝の言葉を思い返しては、何が、どうして、といった言葉がぐちゃぐちゃになって胸で渦巻く。
「海童は――」
そこまで口にして、考えを追い払うかのように軽く
わざわざ「起きよ」と呟き、洗面所に向かう。
鏡の中の自分は、随分と険しい表情をしていた。
◇◇◇
早朝の霧島家のキッチンに、じゅわっという小気味のいい音が響く。
「よっ、と」
隼人の機嫌の良い掛け声と共に、フライパンの上で卵液が舞う。
作っているのはツナと大葉と秋らしくたっぷりのキノコを入れたオムレツ。
過ごしやすい気候になり、夏場と違って火を扱うコンロの前に立つのもさほど苦じゃない。
実りの秋であり、食欲の秋。調理する側としても捗りそうだ。
「姫子、朝飯出来たぞ――って」
「待って、おにぃ! まだあともうちょい!」
「……冷めないうちに食えよー」
姫子はといえばリビングの姿見でしきりにチェックしていた。衣替えした制服が気になるらしい。
爽やかさと可愛らしさが前面に押し出された夏服と違い、前開きボタンが特徴的で色合いとしても落ち着きと品があり、どこか大人っぽい雰囲気だ。
方向性が変わって髪型のちょっとした細かいところだとかソックスの長さのバランスだとか気になるようなのだが、隼人は今一つピンとこない。ここ数日衣替えして以来、毎日繰り返されているから、なおさら。
隼人は零れそうになるため息と一緒にコーヒーを喉の奥へと流し込んだ。
◆
姿見の前で粘っていた姫子を急かし、朝食を掻き込ませ、マンションを出た。
頬を撫でる空気はひんやりとしており、見上げた空は天井が抜けたように高く、青い。
脇道の雑草は朝露を湛え陽光を煌めかせており、あちらこちらの木々の葉からは色が抜け落ちつつある。
季節はすっかり秋へと移っていた。
「姫ちゃーん、お兄さーん!」
「あ、沙紀ちゃん! おはよー!」
「おはよ、沙紀さん」
待ち合わせ場所には、既に沙紀が待っていた。
こちらの姿に気付くなり、駆け寄ってくる。
「沙紀ちゃん、そのカーディガンってこないだ買ってたやつ?」
「うん~。ここ数日、急に冷えて来ちゃって~……お兄さん、どうですか?」
沙紀は姫子でなく隼人の方へ1歩詰め、狐色のカーディガンの裾を持って意見を求めてくる。
その距離は月野瀬に居た頃には考えられないほどとても近く、ふわりと彼女から漂ってくる甘い年下の少女の香りが鼻腔をくすぐれば、思わずドキリとしてしまう。
「あーえっと、髪の色とも合っていて、よく似合ってるよ」
「そうですか……えへ、嬉しいです!」
「っ!」
未だ慣れない無邪気に喜ぶ沙紀の笑顔を向けられれば、やけに胸が落ち着かなくなる。
だけどにこにことした彼女から目を背ければ、妙に意識しているということを認めてしまう気がして、目を離せない。
そして頬に熱を帯びていくことを自覚しながら、あることに気付く。
「あれ、沙紀さん寝不足?」
「……えっ!?」
「あ、沙紀ちゃん目が赤いね。どうしたの?」
「もしかして夜遅くまで勉強していたとか? まぁ受験生とはいえ、本番はまだ先だ。今から根を詰め過ぎないようにな。……姫子はもうちょっと焦った方がいいと思うけど」
「さ、最近はちゃんとしてるし!」
「あ、あはは……、これはえっと、そのぅ……」
しかし沙紀は歯切れが悪く目を泳がせている。
姫子が「沙紀ちゃん?」と、きょとんとした様子で顔を覗き込めば、沙紀はわずかに後ずさりつつも、少し気恥ずかしそうに告解する。
「じつは昨夜遅くまでゲームをしておりまして……」
「「ゲーム?」」
「あ! もちろん勉強はちゃんとしてますよ!?」
沙紀とゲーム。
あまり想像と結びつかない事柄に、隼人と姫子の霧島兄妹は顔を見合わせる。
「へぇ、沙紀さんがゲームね。何のゲームしてるの? 俺、最近モンスターを狩るやつちょくちょくやってんだけど」
「おにぃ、沙紀ちゃんがアクション系とかできるわけないでしょ。そういやプチモンの新作が発売されたばかりだっけ?」
「え、えっと、そういうのじゃなくて、春希さんから借りたノベルベースのシミュレーションゲームといいますか……」
「「シミュレーション?」」
シミュレーションゲーム。
沙紀のその言葉から戦国時代や三国志の武将になって天下統一を目指したり、ファイヤーな紋章を巡るRPG要素の詰まったファンタジーゲームを想像する霧島兄妹。
反射神経を使う類のものでなく、また、キャラが人気で女性ファンを多く獲得していることから、どこか納得した顔になる。
しかし沙紀は気まずそうな顔をして曖昧に目を逸らす。
沙紀がやっているものは春希から借りた、シミュレーションの前に恋愛という枕詞が付き、何ならレーティング規制で本来沙紀がプレイしてはいけないものだったりする。
「おはよーって、ボクが最後だったか」
そこへ春希がやってきた。
すると姫子はパァッと目を輝かせ、ジロジロと春希を、正確にはその制服を見る。
「はるちゃんおはよ……って、ん~っ、セーラー服もいいけどやっぱブレザーも都会っって感じがしていいねーっ!」
「うちの制服って結構可愛いって評判みたいだしね。よく目立つデザインしてるし」
「うんうん、スカートとの色合いもいいし、縁取りのカラーもいい感じでオシャレだし、人気あるのもわかる!」
「進学校だってこともあって、その筋ではかなりの高額で取引されているらしいよ?」
「て、なんでそんな知ってるんだ、春希」
「以前ちょっとした好奇心で調べてみてね!」
「あ、あはは……春希さん……」
不適切なことを言い出す春希に、ツッコミを入れる隼人。沙紀も思わず苦笑を零す。
しかし姫子は目をぱちくりさせたかと思えば、表情を輝かす。
「制服の取引、ってことは買える!? わー、可愛い学校のやつのちょっと欲しいかも! フリマアプリとかだと制服の売買禁止だし……ね、はるちゃん、それってどうやって買ったりするの!?」
「え、えーと……あ! 今日は野菜の水遣りする日だから、早く花壇へ行かないと!」
「ちょ、ちょっと待ってよーっ!」
妙なところで反応した姫子に面食らった春希は、そそくさと学校へと足を向ける。
隼人と沙紀は顔を見合わせ、「誤魔化したな……」と呟くのだった。
◆
姫子と沙紀の中学校組と別れ、春希と肩を並べて高校を目指す。
思えばこうして一緒に投稿するのも、随分と日常になってきたものだ。
隣を歩く
慣れない制服に着られているかのような隼人とは大違いだ。
昔と同じようで違う。
気にならないわけじゃない。
少しボサッとしている、夏と比べて随分長く伸びた髪を一掴み。目を細める。
(……一輝オススメの美容院、か)
そういえば、春希はその辺どうしているのだろう?
ふと疑問に思い顔を見てみれば、やけに神妙に考え込んでいることに気付く。
「……春希?」
「うん、何?」
「いやその……何か悩み事でもあるのか?」
「っ! あー……」
隼人が問いかけると、春希の肩がビクリと跳ねる。
そしてくしゃりと顔を歪ませるも一瞬、少し悩むような唸り声を上げ何ともいえない声色での呟く。
「ひめちゃんってさ、案外男の子にモテそうだよね」
「……は?」
予想外の言葉に、素っ頓狂な声を上げてしまった。
姫子がモテる。
微塵も考えたことのなかった予想外の言葉に、意識と共に足が止まってしまう。
すると春希はそんな隼人に慌てて早口で言い訳を紡ぐ。
「いやほら、ひめちゃんって可愛い見た目してるじゃん?」
「まぁ、見た目に気を遣っているとは思うな」
「積極的に自分のしたいこととか行きたいとことか、裏表なくちゃんと喋ってくれるし」
「落ち着きと遠慮がないだけだな……あと内弁慶で外には口籠るってるし」
「……ふふっ、お兄ちゃんは辛辣だ」
「でも事実だぞ。普段から世話ばかりかかって、だらしない姿ばかり見てるからな」
隼人は当然だろう、と眉間に皺を寄せたまま鼻を鳴らす。
春希もあははと苦笑を零し、しかしやけに真剣な表情を作り直してジッと目を見つめてくる。
「もし……もしもだけど、ひめちゃんに彼氏が出来たとしたら、隼人はどうする?」
「姫子に彼氏って……」
難しい質問だった。
普段の姿を知るだけに、まだ見ぬ妹の恋人を想像するだなんて、ツチノコやネッシーを発見するよりもハードルが高い。
「とりあえず、本当に姫子が相手でいいのかって確認する、かな……」
「……あはは、そっか」
少々ぶっきら棒に答えた隼人に対し、春希はあやふやに笑うのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます