301.あたしに任せて


◇◇◇


「寒くなってくると、やっぱりお鍋よね!」


 霧島家の食卓に、母真由美の嬉々とした声が響く。

 家族の皆で赤々とした鍋をつつきながら、父和義は舌鼓を打ちつつ不思議そうに言う。


「うんうん、そうだね。トマト鍋がこれほど美味しいとは。そういやこの間のレモン鍋やクラムチャウダー鍋も、初めて食べたけど美味しかったなぁ」

「他にもたくさんあって迷ったのよ~。有名店のとんこつラーメン鍋とか石狩鍋とか、月野瀬ではお目に掛かれないものがいっぱいあって!」

「それはそれは。じゃあ次回以降の楽しみにしておくよ」

「あら、それなら今日みたいに早く帰ってきてよね」

「ははっ、元気な君の顔を見たいし、なるべく早く帰るのを心掛けるよ」

「ふふっ、お願いね」

「「…………」」


 年甲斐もなくいちゃつく両親を見せられ、呆れた表情になる隼人と姫子。

 以前から仲は良かったものの、やはり病気から復帰したことが、仲睦まじさに拍車をかけているのだろう。父も母が退院して以来、極力泊まり込みや残業を避けるようになり、最近は随分と帰りが早い。

 一家団欒、和気藹々。

 どこにでもある家族の穏やかな一時が流れている。月野瀬にいた頃と同じように。

 まさにこの光景を取り戻すために、父も奔走し、都会への急な引っ越になった。

 都会での暮らしは月野瀬と違って日々は目まぐるしく、刺激的だ。

 そこに否やはない。

 今食べてるトマト鍋だって、田舎で食べてきた牡丹鍋とは違った美味しさを感じる。

 だけど、隼人はどうにも砂を食んでいるような感覚だった。胸にはどこか空虚感。

 最近定位置になりつつあった、空いている春希と沙紀の席を見て、眉間に皺を刻む。

 すると姫子がポツリと呟く。


「……やっぱり、はるちゃんいないとちょっと寂しいね。沙紀ちゃんもいないし」

「そう、だな。なにせこっちに来て以来ずーっと一緒だったし。……沙紀さんは今、月野瀬からお母さんが来てるんだっけ?」

「うん。受験が終わるまで、勉強に本腰入れられるようにって。おばあちゃんと交代でくるらしいよ」

「そっか。受験が終わる頃ぐらいには、春希の方も落ち着いてたらいいんだけど」


 隼人はしみじみと、そうであって欲しいという願望を滲ませ呟く。今この一時を乗り切れば、再びかつてと同じようになると信じて。

 しかしすぐさま姫子が、どこか冷めた声色で言う。


「でもさ、もしはるちゃんが芸能界に入ったら、そうはいかないよね」

「えっ、それは……っ」

「可能性はなくないんじゃない?」

「…………」


 言葉を詰まらせる隼人。思考は水を掛けられたかのようにぴしゃりと固まってしまう。

 姫子はどこかあきらめにも似た、達観したような表情をしていた。



 その後、隼人は唖然としたまま夕食を口に運び、その足でお風呂へ向かった。

 もやもやしたものを洗い流すかのように風呂桶からザバーッと勢いよくお湯を被るも、気は晴れてくれない。


「……くそっ」


 無心になって力強くゴシゴシと身体を洗い、湯船に浸かるも烏の行水。

 さっさと風呂を上がり、ガシガシと頭を拭きながら考えるのは、先ほどの姫子の言葉。

 ――春希が芸能界に入る。

 春希自身に、芸能界に入るつもりはないだろう。入る素振りも見せていないし、興味もないと言っている。それに今のように騒がれることも苦手としているではないか。

 だというのにかつてと違い、今の隼人は春希の芸能界入りを咄嗟に否定することができなかった。


「……」


 部屋へ戻り机の上に置いてあるスマホを手に取り、写真フォルダを呼び出す。

 画面に映るのは様々なステージの上で輝く春希。

 浴衣を買いに行った際のMOMOとの共演、文化祭のカフェライブでの吸血姫、後夜祭みなもに向けて唄った時などで、つい反射的に撮ってしまったもの。

 それぞれ見せる多彩な表情は千変万化の月の如く、隼人の目からも見惚れてしまうと共に、じくりと嫌な痛みが胸に滲む。

 机の前に座り、ニュースサイトやSNSを眺める。

 自分が意識しているからなのか、ちらほらと『田倉真央に隠し子、父親は誰!?』『圧倒的な歌唱力とパフォーマンス、事務所は取り合い待ったなし!』といった、春希に関する記事がよく目に付く。

 あれから結構な時間が経っている。もうとっくにトレンドが変わり、埋もれていってもおかしくないはず。

 だというのに未だ世間を賑わせているのは、それだけ田倉真央の娘というのは無視できない存在なのか。はたまた、人為的に盛り上げられているおのなのか。

 わからない。だけどこれらはまるで春希の芸能界デビューに向けての事前告知をしているかのよう。事実、そうなのかもしれない。

 少なくとも隼人がどう思おうが、春希が舞台に立つことを求められている。

 何か大きな力で、春希がどこか遠くへ連れ去られるかのような感覚。それはかつて月野瀬での別れでも味わったもの。

 焦燥感に駆られた隼人は無意識のうちに春希の家のある方向を見つめた後、机の引き出しを開けてくたくたになりつつある原付の試験参考書と預金通帳を取り出す。

 もし何かあればすぐさま駆け付けられるようにと、原付が欲しかった。試験対策も今は万全にできており、いつ受けても大丈夫。購入資金だって、潤沢に貯まっている。


「っ!」


 だけどもはや原付があったとしても、春希が辿り着けない場所へと言ってしまうような気がして――気付いたらいつものグルチャにメッセージを書き込んでいた。


『春希』


 他には何もなくただ名前を呼んだだけ。

 別に話題があったわけでもなく、その後は続かない。

 ここにきて少し冷静さを取り戻した隼人は、くしゃりと顔を歪ませる。

 すぐさま発言を取り消そうとするも、即座に春希から返事が書き込まれていた。


『どうしたの、隼人?』


 むぅ、と低い唸り声を上げる。

 つい衝動的に書き込んでしまっただけなのだ。特に意味はない。

 誤魔化すように《何でもな》まで打ち込んだところで、不意に指が止まる。それを言ってしまうと、まるで今の状況を受け入れてしまうような気がして、ひどく抵抗があった。

 それに春希は幼い頃からの、掛け替えのない特別な友達だ。

 世間がどう騒ごうが、それだけは決して変わらない。

 周囲に振り回されて自分まで変わってしまうことに忌避感を覚えた隼人は、ただただ思ったままの素直な気持ちを書き直す。


『ここ最近、息が詰まって仕方がない。どこかパーッと遊びに行きたいな』


 幼稚なことを言っている自覚はあった。

 だけど、どうしても言わずにはいられないかった。

 返事はすぐさま戻ってくる。


『あはっ、そうだねー。バイトでも周囲の目を気にしなきゃならないしさ、息抜きでどこかいくのもいいかも』

『俺、シャインスピリッツシティある水族館がちょっと気になってるんだよな』

『ボクも気になってる、っていうかあそこ確か、リュウグウノツカイの剥製があるんだよね』

『えっ、リュウグウノツカイって、あの綺麗で大きな深海魚のですか!?』


 そこへ沙紀も会話へと入ってくる。


『そうそう、一度見てみたいよね~、沙紀ちゃん』

『はい! ていうか私、水族館自体行ったことないんですよね~』

『俺もだ。そもそも月野瀬の近くに海がなかったし』

『檻や仕切りのない動植物園でしたね、あそこは』

『あはっ、沙紀ちゃんそれって――』

『いやほら――』


 隼人は沙紀のアイコンを見て、一瞬ドキリとするものの、会話は思いのほか盛り上がっていく。今までみたいに。まるで文化祭前に戻ったような空気が流れる。

 だけど、春希は今の状況に冷静だった。


『でも朝一番、もしくは夕方遅くに行ったとしても、今は厳しいだろうね。道中も見つかったら騒がれそうだし……』

『それは……』

『春希さん……』


 一転、しんみりとした空気になり、スマホを握る手に力が籠もる。

 春希の言う通りだろう。

 取り巻く環境は変わった。変わってしまった。これまでと同じじゃいられない。

 もう世間の目を気にして、気軽に遊びにも行けやしない――そのことを春希から言わせてしまったことに、不甲斐なさからギチリと奥歯を噛みしめる。

 けれど、そんなの認めない。認めてたまるか。

 何か、何かいい手はないだろうか? 必死になって思考を回転させる。

 すると、ふいに姫子が無視できないことを書き込んだ。


『今までみたいに遊びに行くの、何とかできると思うよ。あたしに任せて』


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