7-2

302.大きな変化だよね


 週末、隼人が目を覚ますと、思わず布団を頭から被り直してしまうほどの冷え込みだった。布団の中は暖かくて心地よく、二度寝へと誘ってくる。

 その魅惑に身を委ねたくなるが、今日は先日の他愛のない話を切っ掛けに、水族館へと行く日だ。待ち合わせの時間はいつもより早く、のんびりとはしていられない。

 隼人は布団の中で「はぁ」と嘆息した後、意を決して布団を跳ね除け、その勢いのまま素早く着替えを済ませてリビングに顔を出す。


「おはよ、おにぃ」

「おはよう、姫子」


 丁度、姫子が朝ごはんを食べているところだった。

 どうやら今朝はピザトーストらしい。隼人に気付いた母が、声を掛けてくる。


「あら起きたのね、おはよう。今、隼人の分も作るから」

「あぁ」


 てきぱきと隼人の分のピザトーストを用意し始める母を横目に、黙々と朝食を摂る妹を見てみる。

 姫子はオーバーサイズのニットに黒スキニーといった、少し大人しめの服に着替え終わっていた。髪だってしっかりセットされている。いつでも出掛けられるような格好だ。

 寝坊の常習犯である姫子であるが、休日遊びに掛ける時は早起きになることもある。もっともそういう時はギリギリまで服がどうこう、髪型がいまいちだとか、家を出る直前まで騒いでることが多く、こうしてやけに落ち着いている姿に違和感を拭えない。

 そんな考えが顔に出てしまっていたのだろう。姫子が訝しむ声で訊ねてきた。


「どうしたのおにぃ、ジッとこっちを見て。あたしの顔に何か付いてる?」

「えっ……あぁいや、今日は着てくものとかで騒いでないなって」


 隼人は一瞬言葉を詰まらせるも、頬を掻き微妙に視線を逸らしつつ、正直に答える。

 すると姫子は目を瞬かせた後、少し自嘲めいた笑みを浮かべて言う。


「今は服よりも勉強の方が優先順位高いからね。本番まで残り時間も少ないし、今日だって遊びに出掛ける分、5時に起きて勉強してたよ」

「そうか」


 至極受験生として真っ当な答えに、隼人はそれ以上何も言えなくなってしまう。

 やがて姫子は残りのピザトーストをコーヒーで一気に流し込み、立ち上がる。


「ごちそうさま。あたし出掛けるまで勉強しとくから。家出る時になったら声掛けて」

「おう」

「それとおにぃ、そのぐちゃぐちゃになってる頭、言ってくれたら直すの手伝うから」

「っ!?」


 姫子が視線で促す先に手を当ててみれば、盛大に跳ねている寝癖。

 くすりと可笑しそうに笑って去っていく妹の背中に、隼人はバツの悪い顔を返した。



 なんとか寝癖を直した隼人は、姫子に声を掛けてマンションを出た。

 空はどんよりとした鈍色をしており、雨は降らなさそうだが気が滅入りそうな天気だ。

 時折吹く乾いた風が頬を撫でると、寒さから身を縮こまらせてしまう。

 すると「はぁ」と大きなため息を吐いた姫子から、丸めた背中をバシンッと力いっぱい叩かれた。


「もぅシャキッとしてよね、おにぃ。はるちゃんの前では堂々と胸を張っとかないと!」

「痛~っ……あぁ、そうだな……」


 いきなりのことに何か言おうとするも、姫子の言うことはもっともで、それに春希の名前を出されると弱い。

 今の春希に情けない姿なんて見せられない。隣を歩く姫子はピンと背筋が伸びて泰然としており、隼人もそれに倣う。

 するとそんな兄の姿を見とめた姫子は、ふっと口元を緩め、満足そうに言う。


「うんうん、それでよし。髪もなんとかしてるみたいだし、服もバッチリだね。なかなかイケてるよ、おにぃ」

「……寝癖は強引に固めただけだけどな。あと服は一輝の見立てだし」

「それでも身だしなみを気にするようになったのは大きな変化だよ。月野瀬に居た頃のおにぃの格好だったら、とてもじゃないけどはるちゃんの隣じゃ浮くしね」

「まぁな、重々わかってるよ」

「ふふっ、よろしい。はるちゃんのためとはいえ、身だしなみを気にするようになったのは大きな変化だね」

「……っ、まぁ」」


 春希だけでなく、沙紀のためにもという言葉は呑み込んだ。

 沙紀は、特にこの都会にやってきてからというものの、とみに変化が著しい。眩しいくらいだ。

 その女の子から、並々ならぬ感情を向けられている。もはやそれは勘違いとは言えないだろう。文化祭の時に向けられた言葉は脳裏に焼き付いており、もはや1人の女の子として無視なんてできやしない。

 だけど妹の親友沙紀のことを意識してしまっている――そのことを姫子に悟られるのは、ひどく罪悪感にも似た抵抗があって。

 渋い表情を作る隼人。

 しかし姫子はそんな隼人をどう思ったのか、機嫌良さそうな声を上げた。


「早く待ち合わせ場所へ行こ?」

「おう」


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