35.愚痴(弱音)


 人だかりの周囲には、いくつもの見慣れないものがあった。

 やたらと大きなビデオカメラ。役者の声を拾う集音マイク。他の様々な器具が積んでいると思われる大型バンが2台。


 それらの機材が向けられる先には、仲睦まじい様子――を演じている男女が1組。

 どこからどう見ても、ドラマか何かの撮影だった。


「あれ、10年の孤独の撮影じゃない?」

「田倉真央やばい、若い、どう見ても20代後半だよな」

「私生活は結構アレって聞くけどね」

「でもあれは許される。惑わされる」


 随分と綺麗な女優だった。

 本来なら隼人の親世代に近い歳だというのにそれを感じさせない色気と美貌。

 周囲からも彼女に対する羨望、感嘆、驚愕、嫉妬といった、様々な関心の種類の声が上がる。だが、決して賞賛だけの声だけではない。

 しかしそれだけ、注目を集めるのも納得の存在感があった。


(うん? あれは確か……)


 今朝家を出る前に、姫子が見ていたドラマにも出ていた女優だった。

 クラスメイトが勧めるくらいだから流行っているのだろう。

 なるほど、確かに皆の反応の通り、それだけの魅力だと納得すると共に、どうしたわけか、妙な既視感を覚えてしまい首を捻る。


「え」


 また、その女優を見た春希の様子は尋常ではなかった。

 顔は血の気が引いて蒼白で、必死に唇を噛みしめている。

 肩は何かを堪えるかのように震わせて、繋いだ隼人の手には爪が食い込み血がにじむ。

 その表情は明らかに普通じゃない。ごたまぜになった感情が決壊寸前だ。だけど隼人にはそれがどうしてだなんかわからない。


「――っ!」

「春希!」


 そしてもう無理とばかりに隼人の手を放し、踵を返す。

 顔を俯かせカツカツとミュールで地面を鳴らし、肩肘張って早歩き。そんな春希を困った顔で追いかける隼人。


 傍から見れば怒らせてしまった彼女を、必死に追いかける図にも見えるだろう。

 しかし隼人には、春希が必死に泣くのを堪えているようにしか見えなかった。

 何と言って声を掛けて良いのかわからない。

 だからと言って放っておけるものでもない。


 ――意地を張っている。


 それが隼人から見た今の春希だった。

 擬態、よい子、演技、1人っ子、生活感の無いリビング。様々な情報が隼人の中に思い巡る。

 何かが繋がりそうで、それでいて決定的な何かが欠けていて繋がらない。

 それでもただ1つ、確かな事があった。


(今のコイツを、春希を一人にしておけるかよ……っ!)


 人ごみに紛れて消え入りそうになる春希を、必死に見失わないように追いかける。

 手を伸ばせば届く距離。だけど2人を確かに隔てている距離。それが何だか歯がゆく感じる。


「……ぁっ!」

「っと!」


 咄嗟とっさのことだった。

 足を躓かせた春希の手を取り、事なきを得る。

 春希は何とも言えない顔を向け、そっと目を逸らす。


「……」

「……」


 お互い何て言っていいか分からない。

 こんなのただの偶然だ。

 だけど隼人は、再び取った手を離してはいけないと思った。


「……これ、線路沿いに歩いて行ったら家に帰れるかな?」

「ん、どうだろう。わかんないや」

「よし、じゃあ行ってみるか」

「……隼人?」


 大都会。私鉄の線路の隣を走る幹線道路。

 田舎のあぜ道とは違い、青々と茂るシロツメクサの代わりに多くのビルや建物が立ち並ぶ。延々と続くその道を、2人で歩く。

 気まずい空気は依然として横たわったまま。春希の顔は様々な感情を押し殺したもの。


 隼人はそんな幼馴染の手を引いていた。

 傍から見れば、ケンカして仲直りしたばかりの2人にも見える。早々お目にかかれない光景だ。

 だけど隼人には、この状況にひどく懐かしいものを感じるのだった。


(……初めて出会ったときも、こんな感じだったっけ)


 もういつだったか分からないほどの昔。物心が付いたばかりの頃。

 春希は笑わない子供だった。


 人と、誰かと交わることもなく、膝を抱えて無表情。

 辛い、苦しい、痛い、嫌だ、そんな気持ちを無理矢理押し込めて、そのくせ何かを待ちわびているようで、自分勝手に絶望して――だけれども、それでもと頑固になって意地を張る。


 隼人はそんな春希が気に入らなくて、だから一緒に遊ぼうと手を引いた。

 そう、今の春希はそんなはるき・・・と一緒に見えた。見えてしまった。


 昔と違うことなんてよくわかっている。

 だけど、どうしたってこの状況が気に入らなくて手を引いている。結局、何も変わっていない自分に気付く。気付いてしまう。空いてる手を握りしめ、爪が皮膚に食い込む。


「……隼人はさ、いつも強引だよね」

「そうか?」


 ポツリと呟いた春希の声には、懐かしむような色が滲んだ。


「手」

「うん?」

「ごつごつして大きいね」

「畑仕事を良く手伝ってたからな」

「背はボクの方が大きかったのになー」

「そうだっけ?」

「そうだよ」

「覚えてないな」

「ボクは覚えてるよ」


 春希はギュッと繋いだ手に力を込める。


「初めて出会ったときも、こうだった」


 そう言って力なく笑う春希は、風がどこか吹き飛んで行ってしまうほどはかなげで、心はとっくに泣いているというのに、意地でも泣いてやるものかと意地を張っていた。


 隼人はそんな春希に掛ける言葉が見つからなくて、歯がゆくて、だけど俺はここに居るぞと伝えたくて、ぎゅっと手を握り返す。


 そして、春希は隼人の隣に並び、再び歩き出す。

 今度は隼人が手を引くのではなく、自分の意志で足を動かす春希と、昔のように肩先を並べて歩く。

 だけど、どうしたってかつてと同じものにはならない。


 並んだ背丈は頭1つ分。

 繋いだ手は一回り。

 着ている服は、泥だらけには決してできない、お洒落な白のサマードレス。

 それは、はやと・・・はるき・・・を隔てていた7年に、変わってしまったものだった。


 それでもあの時と変わらずに繋いだ手からは、確かに変わらぬものがあるのだと、そんな信頼が伝わってくる。

 だから春希は隼人の名前を呼ぶ。


「ね、隼人」

「うん?」

「1つだけ、愚痴を聞いてくれるかな?」

「あぁ」

「ボクね、あの家にさ、1人で住んでいるんだ」

「……」


 それは2人の何気ない会話の延長を装っていた。いつもと同じように演じようとしている。


 ふと、目の前から仲の良さそうな親子が歩いてきた。

 手を繋ぎ、空いたほうにはエコバッグ。

 それを見た春希の足が止まる。表情が曇る。

 搾り出した声は、どうしたって震えを隠せなかった。





良い子・・・で待ってるんだけどなぁ」




 それは様々な想いが込められた言葉だった。

 今の春希の、精一杯の言葉だった。

 ようやくにして紡がれたその一言もしかし、傍らをいく車のエンジン音にもろくかき消されていく。


 初夏の日差しは西に傾き、ビルの影を2人に落としていた。

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