34.それでも


「なんじゃこりゃ⁉」

「ね、すごいでしょ?」


 カラオケセロリ。春希に連れてこられたところは、カラオケ店というには、あまりに隼人のイメージとかけ離れた場所だった。

 南国リゾート風のロビーの内装に、案内された部屋はクッションが敷き詰められた靴脱ぎ床上ルーム。どちらかと言えば、パーティールームに近い。


 隼人の固定観念を覆す様相に、ただただ目を丸くするばかりだ。

 ちなみに隼人にとってのカラオケと言えば、月野瀬の集会場で宴会しながら老人たちがやたらと大きなカセット付きマイクを持って楽しむというものである。それかバスの中で歌うもの。


「お腹も空いたけど、ちょっと疲れちゃったよね」

「あ、おい」


 春希はミュールサンダルをひょいとばかりに脱ぎ捨てると、そのままボスンと部屋へとダイブして、寝転びながらタブレット端末を弄りだす。

 まるで自宅で他人の目を気にしないかのような寛ぎようで、当然ながら女子的なガードはゆるゆるだ。普段の制服よりスカート丈が短いそれは、パタパタ動かす足の付け根を覆う色気とは無縁な布切れボクサーショーツが丸見えになってしまっている。


 春希の見た目は清楚可憐な美少女だ。先ほどは心臓が痛いくらいにドキドキしてしまった。だというのに、どうしてか隼人の口からは頭痛混じりのため息しかでてこない。

 そして隼人は無言で捲れ上がったスカートの裾を直す。


「おっと、これは見苦しいものを……いやさ、さっきまで見られないよう気を張っていた反動でして。てへり」

「……俺には丸見えだぞ、まったく」

「それは役得ですね? あ、もしかしてドキッてしちゃった?」

「……姫子と同じ目で見ていることに気付いてしまってドキリとしてしまったな」

「んんんん~~っ、それはどういうことかな? かな⁉ アレだよ、自分で言うのもなんだけど、ボク、これでも結構モテるんだよ?」

「っ! おいっ!」


 何かの対抗意識のスイッチが入ってしまった春希は、いつものように悪戯っぽい笑みを浮かべながらサマードレスの左肩の肩ひもを解く。そして胸を強調するかのようなシナ・・を作りながら、甘えるように隼人に身体を押し付けようとする。


「どう、隼人ぉ?」

「はる、き……っ!」


 思わずゴクリと喉が鳴る。

 それは自分の魅力を十二分に理解した上で行う、迫真の演技だった。つい先ほどまで隼人に掛かっていた親友フィルタを強制的に剥がしていくだけの破壊力があった。

 そのくせ見つめ合う春希の目には、酷く愉快気な色が宿っている。それが分かるからこそ、隼人の顔には悔しさもにじみ出る。そしてそれを認めた春希はますます調子に乗ってしまう。


 この不毛な連鎖を断ち切ったのは、第三者の介入であった、


「失礼しまーす、こちら完熟バナナメープルシロッププティングハニートーストになりまーす」

「ぴゃあっ!」

「っ!」


 店員の乱入である。大学生くらいの若い女性の店員だ。

 それに気付いた隼人と春希は、お互い弾かれたように距離を取り、そして何故か正座してしまう。

 お互い顔は真っ赤で背には嫌な汗。早く去ってくれと願うのみ。


「こちらが取り皿で……以上でよろしかったでしょうか?」

「は、はひっ!」

「う、うんっ!」


 隼人と春希の心の内など知ったことかと笑顔で仕事をこなす店員。しかし、退出前にこれだけはと釘をさす。


「こほん。ここはそういう・・・・場所じゃないので、お控えくださいね?」

「なっ!」

「みゃ゛っ⁉」


 そしてパタリと扉が閉められる。

 彼女の視線は春希の解けた左の肩ひもに注がれていた。

 2人にとってはじゃれ合いの延長だとしても、傍から見ればどうやっても言い訳出来ない状態だ。


「ボ、ボク、そんな、はしたなっ」

「待て落ち着け、あ、でも、はしたないのは否定できない」

「み゛ゃあ゛ああぁあ゛あぁっ!!」

「ちょ、おまっ!」


 恥ずかしさに耐えられなくなった春希は、その巨大なハニートーストに突撃していく。

 食パンに一斤まるまるに、これでもかとバターとメープルシロップ掛けるだけではあきたらず、完熟バナナとプティングを中心に色とりどりのアイスと生クリームで装飾された甘味の塊だ。決してカロリーと後のことを考えてはいけない脂質と糖分の集合体だ。

 それをわき目もふらずに自分の口へと放り込んでいく。


「ああくそ、俺もっ!」

「んぐんん~~っ!」


 隼人も春希に負けじとばかりに取り皿を使わず本体へと挑んでいく。

 顔を真っ赤にした幼馴染が2人、照れ隠しでヤケになりながら甘味を貪る。

 そんな姿が、お互いの目に飛び込む。


「……くくっ」

「……ぷふっ」

「何やってんだ、俺達」

「ホント、バカだね」

「ははっ」

「あはっ」


 それがなんだか、無性に可笑しかった。

 気付けば、いつのまにか、幼い頃のように顔を見合わせ笑っていた。




◇◇◇




 1時間後、お腹も満たした隼人と春希は、何とも言えない空気になってしまったこともあり、結局一度も歌うことなく店を出てしまった。

 隼人の目の前では、「んん~っ!」と春希が伸びをしている。

 なんだか空気がリセットされたようで、それには既視感があった。


(そういや昔はケンカしても、次の日には何それケロリって感じで遊んでたっけ)


 その事を思い出せば変わっていない関係性を再確認してしまい、なんだか可笑しくなって、くくっと笑いが零れてしまう。


「うん? どうしたの?」

「ん、いやさ、初めてカラオケ屋に行ったのに何も歌わなかったなって」

「あーそうだね。お昼食べただけだったね」

「はは、じゃあ次の機会ってことで」

「…………ぁ。うん、そうだね、次ね!」


 春希は目をパチクリさせて、嬉しそうな顔をした。

 そして、じぃ~っと隼人の顔を見つめたかと思うと、首を捻る。

 隼人もさすがに相手が春希と言えど、不躾にまじまじと見つめられると、居心地が悪くなってしまう。眉をひそめて見つめ返す。


「なんだよ?」

「隼人ってさ、男の子なんだよね?」

「は? いきなりどうした?」

「さっきだけどボクたちってその……その! でも! 隼人は隼人でボクはボクで……ボクたちって一体何だろうって思って」

「……難しいな」

「うん、難しいね」


 2人して首を捻ってしまう。

 春希の言うことももっともだった。思えば不思議な関係である。

 背丈、身体つき、手のひらの大きさ……昔と違って変わってしまったことはたくさんあって、戸惑うこともいっぱいだ。さっきも大変だった。


 だけど、結局今のような空気になってしまうように。

 どうしたって2人の間には、かつてに積み上げて来たものが土台にあるということを感じさせられている。


 だから隼人と春希は、はやと・・・はるき・・・でもあった。


「それでもまぁ、俺たちは俺たち、だろ」

「ボクたちはボクたち、か」


 お互いそんなことを言いながら、困った顔で笑い合う。知らず、隼人はかつてと同じ様に春希の手を取っていた。


 それは完全に無意識の行動だった。

 身に染みた習慣、と言ってもいい。

 ピクリと春希が、繋がれた手から反応し、そこでやっと隼人は手を繋いでしまった事を認識した。

 子供の頃はいざ知らず、意味も理由もなく年頃の男女が手を繋ぐとなれば、それは特別な意味を持ってしまう。


「……あー」

「……んっ」


 それに気付いた隼人は手を離そうとするが、逆に春希は手を握りしめてきた。隼人は戸惑うものの、力を込める手のひらから、このままで良いということが伝わってくる。


 いいのか? と確認するように春希の横顔を見てみれば、顔どころが耳と首筋まで真っ赤にしてコクリと頷いた。そして目も合わせずそっぽ向いたまま、恨みがましい様声でボソリと呟く。


「ほんと、昔からボクは隼人に振り回されてばかりだよ」

「はぁ? どちらかと言えば俺の方が春希に振り回されてるだろ。物理的に」

「あーもう、知らないっ! ほら、何かあそこに人が集まってるよ、行こっ!」

「おい、ちょっと!」


 そう言って春希はぐいぐいと人だかりのある方へと引っ張っていく。


(やっぱり俺のほうが振り回されてるよな?)


 隼人はそんなことを思いながら手を引かれていく。

 きっとこれは、昔から変わらない関係を表わしているのだと思える。

 それと同時にかつて一度は手放したものを、断絶してしまった空白を、手繰り寄せている――そんな気がした。していた。




「……………………ぇ」




「春希?」


 黒山の人だかり。多くの人が注目を集める先。

 その先に居た人物を見て、春希の顔はいっそ哀れなほど青褪めて、凍り付く。


 変わらないものは無い――それは隼人たちが、よく知っていることだった。

 都会の空も、田舎と同じく雲が流れ去っていく

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