36.帰さねえよ
「なんてね」
先ほどまでの空気とは一転、春希は明るい声を上げた。
「……そう、か」
それに対し、隼人は絞り出すように言葉を零す。
気が抜けたのか、繋がれていた手の力は緩められている。
「んー、それにしても結構歩いたね。このへん電車から見たことあっても歩くのは初めて……なんだか探検みたいだね」
「俺は完全に初見だから……って、この道で合ってるのか?」
「あは、迷ったら地図で確認すればいいでしょ。アプリで入ってない?」
「……う、あるけど、何だこれ地図というより迷路だ」
「月野瀬と比べると――ってなにあの店⁉」
「『止まるんじゃねぇぞ』ってパン屋か⁉
そして話を重ねるうちに、いつもと同じような調子を取り戻していく。
かつて新しい場所を探そうと野山に入って探検したように、木々でなく建ち並ぶビルから意外な店や看板を見つけては、他愛のない話に花が咲く。すっかりいつも通りだ。
だけどそれは、明らかに春希の誤魔化しだった。
先ほど見せた弱みに、これ以上踏みこませようとしないそれは、隼人と春希の間にある7年の空白が生み出した、遠慮という名の壁だった。
隣を見ればいつものように笑顔の春希。
それが余計に隼人の胸を掻き乱す。
どれだけ話しながら歩いていただろうか?
いつの間にか、家のある最寄り駅にたどり着いていた。
「あーボクたちの駅、着いちゃったね」
「そうだな」
「んー、夕飯には早いかな? この服、スカートの裾とか気になるし、一度帰って――」
「ダメだ!」
「隼人? あのボク着替え……あ、大丈夫だよ、ちゃんと普段着とかもひめちゃんに――」
「ダメだ」
「あ、あのー……」
「ダメ」
強引だった。聞く耳持たなかった。
呆れの混じった困り顔の春希を、有無を言わさず引っ張っていく。
それは隼人の意地だった。だからその行為に理屈らしいものはない。
だから、必死に考えた言い訳を口からひねり出す。
「……俺はその、まだ春希と遊び足りない」
「そ、そっかぁ」
とにかく、あの家に春希を帰したくなかった。ただただ振り返ることもなく、春希を自分の家へと連れて行く。それは本心も混じっていた。
だから隼人は、自分が如何に際どいことを言っているかの自覚がなく、手を引く春希の表情に気付かない。
◇◇◇
夕方というにはまだ陽が高い夏の4時前。何とも言えない中途半端な時間。
昼下がりの終わりともなれば、気が緩んで羽を伸ばしたくなるのは自然な事と言える。
「……あ」
「姫子……」
帰宅した隼人たちを、ギギギと音を立てるかのように振り返る姫子が出迎えてくれた。
バツの悪い顔をする姫子の手にはリング状のコントローラー、テレビの画面にはゲームのプレイ風景。一応テーブルの上にはノートと問題集が広げられており、勉強をしていた痕跡はある。
「き、筋肉はほら、一生の相棒やねん」
ゲームにある
「知識や勉強もそうだな」
「うぐっ、あ、あのね、勉強ばかりで息抜きも必要というか運動不足もいけないと思いましてですね、はい」
「はぁ……」
勉強もちゃんとしていたものの、どうやらまずいタイミングで帰ってきたようだった。
お互い変な顔で見つめ合う霧島兄妹。
そんな幼馴染たちを見た春希は、先ほどまでの空気のギャップもあって、何だか無性におかしくなって肩を震わせる。
「あははっ、ひめちゃん今年高校受験だっけ? うんうん、息抜きも確かに必要だよね」
「そ、そうだよね! あたし、ちゃんと今まで勉強してたし!」
「ええっと、それって身体を動かすやつだっけ? 興味あったんだよね。勉強ならボクが後で教えるからさ、皆で一緒にやろうよ」
「はるちゃん、わかってるーっ! ね、おにぃ?」
「……まったく」
姫子とのやりとりのおかげで、それまで隼人と春希の間にあった、どこか張りつめていた空気が霧散していく。
春希は、そして隼人も積極的にゲームにのめり込んでいく。
1人ずつしかプレイできないのだが、全身を使う運動になりこともあり、3人で交互と言うのは丁度良いスタイルになり、手番を待つものはヤジを飛ばしたりなどして大いに盛り上がる。特に春希のはしゃぎ様は凄かった。
「よっ、ほっ、とりゃーっ!」
掛け声を出しながら、全身を過剰に大きく動かす。一見無駄がありそうでしかし、しっかりポイントを稼いでおり、見ている方も魅入るような動作だった。そして時折隼人や姫子の方に視線を送っては得意げな顔。明らかに魅せプを意識しているのがわかる。
しかし、今日の春希の恰好は、清楚さを残しつつも肩や太ももの肌色面積の多い白ワンピースのサマードレスである。
激しい運動をすれば、それはもう、際どい部分が見え隠れしてしまう。しかも本人は恐らくそれに気付いていない。
「ふんふん、はるちゃん、ちらりちらりとエロいですなぁ」
「姫子、オヤジ臭いぞ」
「ふひひ、で、おにぃ? 今日のはるちゃんの恰好どう?」
「見た目は可愛くはあるんじゃないか? ……まぁ、春希だけど」
「ほうほう、なるほどなるほど」
「な、なんだよ」
隼人の目から客観的に見ても春希は美少女の類に映る。ドギマギしてしまうことはある。実際今も、
だけどそれは、実妹である姫子と同じ様な、残念な感じで見てしまっている。そのはずだ。隼人はなるべく春希の方を見ないように視線をずらす。
「どう! 今の見た⁉ これでボクが最高スコアだね!」
「あーっ! ぐぎぎ、次こそあたしが……っ!」
「ほどほどにな? 明日筋肉痛になっても知らねーぞ」
春希の煽りに姫子が反応し、場は盛り上がっていくのだった。
夕食はカツカレーだった。
豚肉の筋や脂身に切れ目を入れて、塩コショウ、すり下ろし生姜でしっかりと下味を付ける。それを最初はじっくり低温で、最後の仕上げでカラッと高温で揚げて、衣はさっくり、中身はジューシーにするのが隼人のこだわりである。
どんなソースにも合うとんかつだが、昨日の残りの夏野菜たっぷりごろごろカレーにも非常に相性が良い。おかげで皆の食もよく進み、カレーが無くなるまでぺろりと平らげた春希と姫子から、また「太っちゃう!」と文句が出るほどだった。
食べ過ぎたから運動をと言って、再びゲームに戻ろうとした姫子であったが、さすがにそれが認められるハズもなく、約束通り春希の指導の下勉強が行われた。
「そこでYにさっきの式の答えを代入すればいいんだよ」
「あ、解けた、はるちゃん凄い、教えるの上手い!」
「ふふーん、これでもボク、優等生で通ってるからね」
春希の教え方が上手いのか、姫子の勉強も非常に
隼人はそんな2人の様子を背景にしながら洗い物をしたり、買ったばかりのスマホの取説とにらめっこしながら、今日あったことに想いを馳せながら眺めていた。
今この時の空気を切り取れば、日常に戻ってきたと言える。
だけど確かに、今日は色々な事があった。
(……見なかったことには出来ないよな)
それだけ、あの時の春希の顔は強烈だった。
「ん、そろそろいい時間だね。ボクもう帰らないと」
「あ、もう9時回っちゃってる。おにぃ、送ってあげて」
「あぁ……」
何かが心に引っかかっていた。
強引に連れてきたものの、言うべきことを言っていない――そんなわだかまりに似たようなものがある。
だがどうして良いか分からず、隼人は姫子に言われるがまま玄関まで一緒に来てしまう。
「うわ、大雨!」
「土砂降りだな」
扉を開けた瞬間、ザアアァーという耳朶(じだ)を殴りつけるかのような音が出迎えた。
部屋に居る時は気付かなかったが、外はかなりの大雨である。
バケツをひっくり返すという表現がぴったりであり、傘が一体どれだけ意味を成すのか疑問なほどだ。この雨の中を歩けば、今日おろしたてのサマードレスも台無しになってしまうこと必至だろう。
「しょうがないね、傘、貸してくれる?」
「ん、あぁ……」
隼人は言われるがまま自分の傘を渡し、共通の廊下を通り、エレベーターの乗り込みエントランスを目指す。
「……」
「……」
無言だった。
先ほどまでの隼人の家に居たときの空気はどこにもなく、神妙なものが流れていた。
だけど何か話題が出るものでもなく、まるで祭りの終わりのような雰囲気であり、それは春希が土砂降りの外へと駆け出そうとする直前まで続いていた。
「あはは、これ傘なくていいかも。返すね。ボク、走るよ」
「待てっ!」
「え?」
気付けば隼人は駆け出そうとする春希の腕を掴んでいた。一拍遅れてエントランスを叩く傘の音が聞こえてくる。隼人の顔は、どこまでも真剣だった。
「帰るな、泊まってけ」
「…………え?」
突然の申し出に春希の表情が固まる。
しかしその驚きの声は、真夜中の大粒の雨が、ただただ地面と屋根を叩く音に掻き消されていった。
※※※※※※※※※※※
電書、もしくは一部店舗では本日発売になります。
よろしくお願いしますね。にゃーん。
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