30.迷子の顔


 数分後、近くの大部屋の病室。

 そこで隼人は、三岳みなもの祖父に頭を下げられていた。


「小僧、悪かった。よし、これでもういいか?」

「は、はぁ……」

「三岳の。そんなおざなりじゃ、みなもちゃんに怒られるぞ?」

「そうだぞ三岳のじじい、みなもちゃんが口を聞いてくれなくなってもしらねーぞ?」

「くっ……すまん悪かった! だから許しやがれ、この小僧」

「は、はぁ……」


 だがその姿は不承不承といったものであり、他の大部屋の仲間たちからも言われて仕方なくといった様子だった。まだ納得していない、そんな気持ちがありありと伝わってくる。


「まぁまぁ三岳の。ときに少年、君が最近みなもちゃんに野菜の事を教えてる先生・・かい?」

「せ、先生?」

「おかげでみなもちゃん、最近は嬉しそうに笑うようになってさ、ありがとよ」

「あの爺さんだって、陰じゃその先生・・に感謝してんだから」

「……ふんっ」

「は、はぁ……」


 三岳みなもの祖父が隼人を捉える瞳はやけに鋭く、敵意も剥き出しだ。とっつきにくい相手に感じる。しかし周囲からも揶揄からかわれてるところを見れば、孫娘さえ絡まなければ、といったところか。

 それと随分、三岳みなもも周囲に可愛がられているのだなと思った。それだけ、足しげくここに通っているのだろう。


「それで小僧、転校生らしいが……何故だ?」

「へ?」

「何故、うちのみなもに話しかけた?」

「それは……」

「みなもが可愛いのはわかる。翼の無い天使と言ってもいい。話しかけたくなる気持ちもわからなくはない。ナンパか? 遊びか? もしそうなら――」

「ち、違います!」


 尋常ならざる気迫だった。

 そして一拍の間もおかず、隼人の目の前に杖を突き付けられ、喉の奥から変な声が出る。

 返事次第では命を刈られる――それが冗談だと一笑に付すのが難しいものを感じてしまい、堪らずそのまま思っていたことを口にした。


「い、以前住んでいたところの、近所の子に似てたんです! よく世話をした子で、慌てふためくところとかがそっくりでっ、放っておけなくなって!」

「ほう、みなもが? 相手はどんな子だ?」

「同じ様なくりっとした毛をした、8歳の女の子ですっ」

「それで声をかけた、と」

「は、はいっ!」


 三岳みなもの祖父は、少し釈然としないといった表情を浮かべる。

 しかし他の病室の人達は「わかる」「そそっかしいところあるもんな」「飴ちゃんあげたくなっちゃう」といった、肯定的な言葉を呟く。

 隼人は「あ、あはは……」と誤魔化すような声を上げるが、8歳の女の子と言っても相手は人でなく羊であり、とっくに老境であった。


 そうこうしているうちに、花瓶の水を変えに行っていた三岳みなもが戻って来る。


「おじいちゃん、お花はどこに……っておじいちゃん! 霧島さんに何をやってるの!」

「み、みなも、これはだな……」

「おじいちゃん! 霧島さんに変なことしないで! もぅ、行きましょう!」

「み、みなもーっ!」

「あーあ、三岳のジジイが年甲斐もなくやきもち妬くから」

「みなもちゃんまたねー」


 三岳みなもは戻って来るなり、祖父に杖を突き付けられている隼人を見て驚き、すぐさま強引に手を取り部屋を出る。ぐいぐいと手を引く様は、普段の彼女からは考えられないほど力強く、そして耳や首筋まで羞恥で赤くなっていた。

 身内のやんちゃな姿を見せられて恥ずかしくなる気持ちがわからなくもないので、隼人は引かれるままについていく。


 しかしさすがに1階のロビーにまでやってくると、女の子に手を引かれるという図が気恥ずかしくなってきた。


「三岳さん、その、手を……」

「え……あ! ご、ごめんなさい!」

「あぁ、いや」


 思えば妹、そして幼馴染春希を除けば初めて繋いでしまった異性の手である。その事を意識すると、急速に隼人の顔が熱を持っていく。

 だから誤魔化すように、その事を言った。


「ま、孫想いの元気のいい爺さんだな」

「……ぁ。そう、ですね……」


 何となしに口にした言葉だった。それに実際、隼人が見たのは元気な姿だった。

 だがここは病院であり、彼女の祖父は入院患者なのである。


 しまったと、気付いた時には遅かった。

 それまで羞恥一色に染められていた三岳みなもの顔に影が差し、今にも泣きだしそうな顔をのぞかせる。


 しかしそれも一瞬、いつものふにゃりとした笑顔を見せ――それが隼人の胸を掻き乱す。自分の迂闊さとデリカシーの無さを呪う。


「……ごめん」

「いえ、その、霧島さんが謝ることじゃ……こっちこそ、うちのおじいちゃんが……」

「あーうん、それは……そう、だな。ははっ」

「はい」


 お互い頭を下げ合い謝罪する。そしてお互い苦笑い。

 本当にさっきの暗い顔は一瞬だったのだろう、見つめ合う形になった彼女の顔は、どこか芯の強さを感じさせるものがあった。

 だから余計に、さっきの暗い顔が気になってしまう。


(三岳さんの、あの顔は……)


 似ている、と思ってしまった。


 あの日。母が倒れた幼い頃の日。

 一人で何も出来ず、ずうっとそばで立惚けになり言葉を失う羽目になってしまった姫子の、迷子のような顔。


 だから隼人は、放って置けないと思ってしまった。


「では霧島さん、ここで」

「……あ、その、三岳さん!」

「はい?」

「ええっとその……花壇! また花壇、行っていいか……?」

「ふぇ?」


 それは三岳みなもにとって予想外の言葉だったのだろう。

 ぱちくりとその大きな目を瞬かせることしばし、やがて理解の色が広がったかと思うと、相好を崩す。


「はい!」

「ん、よろしく」


 そんな三岳みなもの笑顔に、隼人はあいまいな笑顔で返す。

 きっとこの申し出は、どこか自分勝手なところがある――そんな自覚があった。


 それじゃあと言って病院を足早に出る。


 外に出た瞬間、ザァーと強い風が吹く。

 それが消毒液の匂いを洗い流す。


 初夏の空には、入道雲が立ち上っていた。

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