31.嘘つかれたのかな?


 姫子が帰宅したのは19時前、陽も沈もうかという頃だった。


「ただいま~」

「おかえり。あれ、春希は?」

「今日はもう疲れて食べに来る気力ないから、適当に済ませるって」

「あの春希が体力尽きるって……一体何をやってたんだ……」

「普通に買い物?」


 隼人は怪訝けげんな目で姫子を見てみるが、その顔はどこかツヤツヤしており満足気な表情である。

 その姫子はと言えば、鼻をすんすんと鳴らして、今日の夕食を確認した。


「カレー?」

「おぅ、明日の夜の分も込みだ」

「んー、出来たら教えて」

「はいはい」


 自分の部屋に戻った姫子は、その辺にバッグをぽいっと投げ置くと、ポスンとベッドに倒れ込む。

 そして枕を抱え込んでゴロンゴロン。姫子の顔はにやにやしており、余韻(よいん)に浸るように今日のことを思い出していた。


 初めて遊びに出掛けた街は、姫子にとって、それはとても衝撃的な場所だった。


 田舎の月野瀬と違ってやたらと多い電車の車両に、迷いそうになる複雑な駅舎。

 あたりを見渡して飛び込んでくるのは軽トラ以外の多種多様な車。

 そして横にではなく縦に伸びた建物たちビル群


 まさに憧れ思い描いていた都会そのものに、姫子のテンションは朝からうなぎのぼりだった。


「ふぁあ、すごっ……いったいどこから見て回れば……」

「ふふっ、中央通り沿いから順にお店を梯子して、突き当りにある百貨店を見て外周に回っていけば無駄なく効率よく行けるよ!」

「はるちゃん、昨日まで渋っていた割には凄くやる気ね?」

「そりゃあね、やると決めたら徹底的にしないとね! その方がさ、隼人を驚かせることができるでしょ?」

「ん、そだね」


 その姫子よりテンションが振り切れんほどに高かったのが、春希であった。

 悪戯っぽくニコリと笑いかける顔は、爽やかなデザインのチュニックにショートパンツという、どこか清楚さも感じさせる衣装も相まって、そのギャップにドキリとさせられる。


 ちなみに姫子プロデュースの恰好であり、ついでに言えばチュニックは彼女の私物である。そんな春希を見て思う。


(おにぃのために全力、か……)


 ――思いっきり女の子って感じの衣装でさ、おにぃをドギマギさせたら最高に面白そうじゃない?


 先日、姫子が春希の家で耳打ちした台詞である。

 たしかに春希をきつけたのは姫子だ。目的は隼人いじりなので、この反応も当然だ。

 そんな春希を見た姫子は、少しだけ嫉妬めいた気持ちが沸き立つのを感じ――それを誤魔化すようにパンパンと顔を叩く。


「お、気合入ってるね、ひめちゃん!」

「よぉし、徹底的に回るんだからねーっ!」

「おぉーっ!」


 こうしてハイテンションの少女2人は様々な店を巡り吟味していく。時折、春希がゲームショップや黄色い潜水艦のお店、ガチャガチャコーナーに吸い込まれていくのもご愛敬。

 途中ネットで評判だったフルーツパーラーで、自分たちの顔ほどの大きさのあるジャンボフルーツパフェをそれぞれペロリと平らげては、お喋りにも興じる。


 順当にお店巡りをする春希と姫子だったが、唯一の誤算は、あちらこちらの店のものと色々合わせたくなったりして、何度も行ったり来たりした事だった。

 おかげで予定よりも大幅に時間が掛かってしまい、特にテンションがずっと高かった春希は帰りの電車では電池が切れてしまって、姫子の肩に頭を乗せる始末である。

 そんな無防備な姿を晒す春希が、姫子はなんだか頬が緩む思いだった。


(今日は楽しかったなぁ……お?)


 そんな今日一日の余韻に浸っていれば、スマホの通知が現実に引き戻す。画面を見てみれば月野瀬の親友、沙紀からのメッセージだった。


『今日何してた~? わたしは暇すぎてさ、ひたすら世界各国の電車の景色の動画を眺めちゃってたよ~』

『うわぁ、あたしたち中3だよ? 受験勉強しようよ』

『おかしいよね~、勉強しようと机に向かったらそうなってたの~』

『ま、今日はあたしも一日中買い物してたんだけどね』

『そうなんだ~、何買ったの~?』

『買ったというか選んだというか……そうそう、昔おにぃとよく一緒だったはるちゃん覚えてる?』

『え、うん……確かお兄さんいわく、猿からゴリラにぱわーあっぷした人だよね~?』

『そそ。そのはるちゃんの服を見に行ってたんだ……ちょっと待ってて』


 そう言って姫子は、本日撮影したいくつかの画像の中から特にお気に入りのモノを選び、メッセージに張り付けていく。

 スタンダードなカジュアル系、少しお姉さんな感じのフェミニンなやつ、そして如何にも異性受けをしそうな少女っぽい甘めのガーリーなもの――そのどれもが春希と姫子に似合っており、その魅力を引き出している。


 姫子も我ながら中々よく映っているなと思っている節もあり、そして再会した幼馴染の変貌した美少女ぶりを沙紀に見せて驚かせたいという気持ちもあった。

 それは姫子にとってちょっとしたサプライズであり、ただの話題提供のつもりだった。


「っ⁉」


 だからこそ、画像の送信とほぼ同時に通話がかかってくるのは、完全に予想外だった。


「えっと、沙紀ちゃ――」

『誰かな~、この女?』

「んんっ、沙紀ちゃん⁉ 誰って、はるちゃんだよ⁉」

『そうなんだ~…………随分な美少女だね~』

「う、うん、美少女だね?」


 それはいつもどこか気弱でのんびりしている姫子が知る彼女からは、想像もつかない底冷えする声だった。妙な迫力がある。逆らってはいけない――本能的にその事を察した姫子は、思わず背筋が伸びてしまってベッドの上で正座をしてしまう。


『わたし、姫ちゃんに嘘つかれたのかな~? ゴリラって聞いてたんだけど~』

「え、うん、それも合ってるよ? 中身は丸々昔のあの頃のままっていうか、おにぃが目の前に居ても色々ガード緩いしガサツだしゴリラだね、うん」

『む、昔のように~っ⁉』

「さ、沙紀ちゃん⁉」


 姫子はすっかり困惑していた。

 普段温厚な沙紀が、これほどまでに取り乱しているかのような姿を見るのは初めてだったし、その原因も分からない。


 通話口からは『進学先は~』『やっぱり夏休みそっちに~』『男子高校生なんて獣だし~……』といった涙まじりの声が聞こえてきて、オロオロするだけである。


「おーい姫子ー、出来たぞー!」


 だからその隼人の呼び声は、まさに天の助けだった。


「ご、ごめん沙紀ちゃん、夕飯呼ばれてるから行くね!」

『あ~、姫ちゃん~っ⁉』

「おにぃ、今行くーっ!」


 姫子は心の中で謝りつつも、これ幸いと部屋を出るのだった。

 ……最後まで原因が分からず、首を傾げながら。

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