だって約束しただろ?

32.み゛ゃっ?!


 日曜日の朝。隼人と春希がスマホを選びに行く日。

 霧島家リビングのテレビを早朝から占拠していた姫子は、都心部に出かけるはずの兄の姿を目にして怪訝けげんな顔をした。


「おにぃ、さすがに麦わらはないわー」

「え、そうか? 熱中症とか……」

「ビルのおかげで影もいっぱいあるし、涼しくて休めるお店も一杯あるし……周りに何も無い月野瀬とは違うよ?」

「そ、そうか……」


 無地のシャツにデニムのボトムス。ここまではいい。良くも悪くも無難な恰好だ。

 だけどそこに麦わら帽子、さすがに畑の手伝いに行くのと同じ恰好になってしまうと、さすがに姫子もツッコミを入れざるをえない。我が兄のことながら、頭を抱えてしまう。


「そういや何で現地集合なんだ? 家も近いし、一緒に向かえばいいのに」

「はぁっ⁉」


 そして続く隼人の言葉に、「あ、こいつ全くわかっていねぇ!」という確信に変わり、思わず録画を停止させて隼人に向かい合う。その迫力に、隼人もたじろぐ。


「いいですか、おにぃ? 昨日あたしは、はるちゃんと一緒に服を買いに行きました」

「お、おぅ、そうだな」

「つまり、初めておにぃにその姿を見せるわけなのです。なら、ちゃんとしたお披露目の舞台を整えなきゃなりません。それは家の前ではダメなのです。わかるかなー?」

「うーん、そういうもんなのか?」

「そういうもんなの」


 まだどこかしっくり来ていないような顔をする隼人を見て、姫子は大きなため息を吐く。


(おにぃに乙女心を理解しろって言う方が無茶振りか……それに、はるちゃんもはるちゃんだしなぁ)


 姫子はそんな兄と幼馴染に思いを巡らし――そしてもう一度呆れたようにため息を吐いて、テレビの方へと向き直った。


「あ、おにぃ、机の上の書類、忘れずに」

「これは……保護者同意書に父さんの口座か」

「そそ、DLダウンロードしといたやつに捺印もしてるから。あたしと同じキャリアでいいよね?」

「キャリア?」

「携帯会社。もう、そんなことも知らないの?」

「すまん。手間をかけ…………なっ⁉」

「な!」


 突然、隼人の口から変な声が漏れた。その視線はテレビにくぎ付けだ。同じような声が姫子からも漏れる。


「……」

「……」


 丁度ドラマでは山場を迎えていた。

 どうやら不倫をしている男女がベッドで抱き合っているところに、奥さんが刃物を持って突入するという場面である。

 かなり濃厚なシーンだ。隼人が変な声を出すのも無理はない。さすがの姫子も気まずい思いから顔を紅潮させて固まっている。


「えーとその、なんだ、今、流行ってるのか?」

「じ、10年の孤独ってドラマでね、クラスの子が面白いからって! その、この女優さんが凄いの! 私生活ではバツ2とか恋多き女とか色々噂が絶えない人だけど、それだけに迫真の演技で、その……」

「……姫子」

「……はい、ほどほどにして受験勉強もします」


 今度は姫子が、隼人のジト目に晒されるのであった。




◇◇◇




 待ち合わせはショップのある現地の駅だった。

 最寄駅から快速で3駅、電車に揺られる事20分と少し。昨日、姫子と春希が訪れた場所と同じ、この地方最大規模を誇る駅舎であり都心部である。


「う、東口ってどこだよ……」


 そこは複数の私鉄などが乗り入れる、地上に地下と非常に雑に入り組んだ、迷路さながらの駅だった。

 昨日病院に行く時も色々と驚いた隼人であったが、この複雑さには驚きを通り越して不安にすらなってくる。


「あぁくそっ、時間が! これでまた春希からの貸しが増えるな!」


 10分前には余裕をもって着けるようにと家を出た隼人であったが、思うように駅舎を移動することが出来ず、まるで迷子になったかのように彷徨(さまよ)ってしまう。それが隼人の焦燥感にも似たものを募らせていく。

 一刻も早く春希のいる待ち合わせ場所に行きたいというのに、ままならぬ自分に苛立ちが募る。その一方で、もしこの人込みと駅舎も春希と一緒なら楽しめたのに、などということを考えてしまい、何だかもったいないような気すらしてしまう


 とにかく早く春希に会いたかった。

 なんとか待ち合わせ場所である鳥のオブジェ付近の所まで来た時には、たっぷり5分は遅刻してしまっていた。

 日曜と言うこともあって、多くの人で溢れかえっており、ピンポイントで春希を見つけるのも難しそうである。そこで初めて隼人は、スマホの必要性を感じていた。


(参ったな……)


 困り果てた隼人は、あとで春希に怒られるのを覚悟して片手を上げ、大声を出して呼びかけようとした――時のことだった。


「ここに居たんですねっ!」

「……え?」


 いきなり女の子に腕に抱き付かれたかと思うと、ぐいっとどこかへと引っ張られる。

 彼女の後ろからは軽薄そうな男が2人、追いかけてきている。どう見てもナンパの類だ。


「なんだよ、本当に男連れなのかよ」

「そんな遅刻するような奴よりさぁ、オレ達と行こうぜぇ」


 彼女は随分と目立つ美少女だった。

 肩ひもが特徴的な裾にフリルをあしらった白で爽やかなサマードレス、ハーフアップに編み込まれた流れるような黒い髪、どこかの清楚なお嬢様にも見える、隼人が今までお目にかかったことの無いような美少女だった。

これほどの女の子が1人で待ちぼうけているならば、彼らのように声を掛けるなと言う方が酷な話だろう。


「行きましょうっ」

「あ、ちょっ!」


 彼女は強引に隼人の腕を引き、外へと連れ出そうとする。よほど彼女はナンパ男から逃れたいのか、腕を引く力はかなり強く、そして歩く足も大股だ。

 とっさのことで隼人は何も反応できず、されるがままだった。完全に混乱していた。


 隼人だって思春期の男子である。

 これほどの美少女に腕に抱き疲れ、あまつさえ記事の薄さもあってその柔らかいものを感じてしまうと、隼人でなくとも狼狽えるないう方が難しい。それだけでなく、隼人はここまで異性・・と密着するのも初めてだった。密着する彼女の身体からほのかに香る少し甘い匂いが理性を侵食し、鼓動を加速させる。


 しかしその一方で、こうして腕を引かれて歩いていると妙な既視感めいたものを感じるのも事実だった。再び彼女に視線を移せば、最近慣れつつある面影に重なっていく。時折こちらを見返す不満げな顔を見れば、疑念が確信に変わる。


「春希、か……?」

「…………っ!」


 駅から出て少し、其処でようやく立ち止まり、腕から離れた美少女――春希は、怒った顔を作りながら向き直る。


「もう! 隼人遅い、遅いよ! せっかく隼人を驚かそうと待ってたのに、ボクがナンパされて驚かされちゃうし、最悪だよ!」

「あー、その、すまん……駅が広すぎて迷ってしまって」

「だから言ったでしょ、スマホは必需品で持ってないほうがダメだって」

「……身に染みてわかったよ」


 ぷりぷりと頬を膨らませる春希は、何だか上手く言えないが、いつもと違って見えた。

 顔のパーツとかは普段と同じ様に見えるのに、服装もそうだが、普段よりも魅力的に映って見える。


 そんな春希にドキリとしてしまい、正面からはまともに見られない。ぷいと顔を逸らしてしまう。胸だって煩いくらいに喧しい。

 春希はそんな隼人の赤面した様子を見つけ、先ほどまでの怒りはどこへやら、ニヤリと悪戯っぽい笑みを浮かべる。


「おやおや~、もしかして隼人、ボクに照れてる?」

「バッ……んなんじゃねぇよ。その、今日は化粧もしてるのか?」

「うん、よくわかったね。初めてだけど頑張ってみた。どうさ、これ?」


 そう言って、春希はくるりと身体を翻す。

 手入れの届いた黒く長い髪が流れるように舞い、レースのあしらわれた短いスカート部分のワンピースがふわりと広がり、その健康的に引き締まった白い太ももがチラリと目に飛び込む。その瞬間、一気に隼人の鼓動が高まった。


 何だか春希に振り回されてばかりで、悔しいと感じてしまった。隼人は色々誤魔化すようにガリガリと頭を掻くが、その動揺は春希に隠すことは、もはや不可能だった。

 春希は勝利を確信した満足そうな笑みを浮かべ、もっと揶揄からかってやろうと隼人の腕を取ろうとして――


「その、とても可愛い……と、思う、うん……凄く似合ってる……」

「み゛ゃっ⁉」


 ――春希はその顔を、ボンッとばかりに一瞬にして隼人以上に紅く沸騰ふっとうさせた。

 それは隼人がいっぱいいっぱいになって零れ出た本音の言葉だった。春希だからこそ、それがわかる。わかってしまう。


 無防備な状態で、そんな強烈なカウンターを喰らってしまった春希は、生まれて初めて生じる感情に、目を回してしまう。


「こ、ここここれはね、アレだよ、アレ! アレ、だからあれ、その、隼人!」

「お、おう、アレだな、その、俺の為に着て見せてくれたってやつだな」

「~~~~っ! ちがっ……わないけど! そのっ……み゛ゃあ゛ああ゛ああっ!

「は、春希っ!?」

「行こっ! 行ってさっさと機種を選ぼう!」


 隼人以上にいっぱいいっぱいになった春希は、無理矢理に隼人の手を引き歩き出す。

 何だか締まらない2人だった。

 それでも歩いているうちに冷静にもなってくる。

 もっとも、互いに顔は赤いまま。


 話を蒸し返すことはしない。だけど、春希はどうしても伝えたい思いがあって、ぼそりと囁く。


「……ありがと」

「……おぅ」


 空は雲1つない青空で、今日も暑くなりそうだった。

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