310.MOMOの弟



 皆の視線が彼女に向かう。

 歳は隼人たちよりも幾分か上、20代前半くらい。大学生だろうか? スラリと垢抜け、洗練された感じの綺麗な人だ。

 当然、彼女に見覚えはない。だけど何かが引っ掛かる。

 他の人も同じのようで、皆の顔には困惑の色。

 そんな中、愛梨が戸惑いつつも彼女の名前を口にした。


「……羽衣うい先輩」


 その名前を聞いた姫子はピンと来たのか、目を大きくして呟く。


「逢地羽衣……」

「姫子、知ってるのか?」

「うん、ちょっと前にモデルから女優に転身した人。かなりの人気で、引退の時には特集も組まれてたし……」

「なるほど……」


 愛梨が先輩と呼んだということは、モデル絡みで付き合いがあり、世話にもなったのだろう。百花がそっと顔を逸らしているところを見るに、頭が上がらない相手なのかもしれない。

 彼女の正体はわかった。しかし、ここへいきなりやってきた意図が読めない。

 ただ先ほどの長久の件を考えると、皆の顔には否応にも緊張が走る。

 羽衣は皆を居丈高に一瞥し、春希の番になるとにこりと華やぐ笑みを浮かべる。あからさまな変化だった。そして誰に問うでもなく話しかける。


「あなたたち、楽しそうに遊んでいるのね。この子があの田倉真央の娘なんでしょ?」


 彼女の顔は確信に満ちていた。だがどうしてここがわかったのかわからない。

 春希の口から疑問の声が零れる。


「なんで……」

「歌が外に漏れ出てて、ちょっとした騒ぎになってて。それでピンときてね」

「……っ」


 カラオケとはいえ完全防音ではない。しかしまさか漏れ出た歌を聞きつけ、さらには部屋にまでやってくるのはあまりに予想外。皆、掛ける言葉を失い口を噤む。

 そんな中、羽衣はまるで評定するかのような目を春希に向け、まじまじと見つめる。

 不躾な視線を受け、居心地悪く身を捩らす春希。やがて彼女のお眼鏡にかなったのか、羽衣は「ほぅ」と感嘆の息を吐き、訊ねる。


「百花たちがこの子と知り合いだなんて知らなかったわ。ね、彼女のことを私に紹介してくれないのかしら?」

「…………ぅー」


 再度問いかけられるも、気まずそうな顔で口籠る百花。


「百花?」


 すると羽衣はそこでようやく百花の方を見て、聞き分けのない子供を窘めるように彼女の名前を呼ぶ。

 百花にしては珍しく、やけに煮え切らない態度だった。それが余計に羽衣の神経を逆なでしていく。それを察した愛梨が、恐る恐るといった感じで意見する。


「あの羽衣先輩、一応今日は私たち身内の集まりなので……」

「そうそう、あいりんの言うとーり! だからここはちょっとーっていうか」

「あら、私はあなたたちの身内じゃないっていうの? ……あれだけ世話焼いたり、尻ぬぐいをしてあげたというのに?」

「うぐぐ……」「そ、それは……」


 そう言われると弱いのだろう。百花は再び低い唸り声を上げ、愛梨は唇と膝の上に乗せた拳をギュッと結び、睫毛を伏せる。

 2人の反応に満足したのか羽衣は鷹揚に頷き、再度訊ねる。


「で、紹介はまだかしら?」

「……っ」「えぇっと……」

「それともあなたたちの事務所に引き込んだり、自分たちの仕事に囲むから紹介できないってこと?」

「そ、それは違うしっ! はるぴとはマジでフツーに遊んでるだけなんだって!」

「そ、そうです! だからそういうことを期待されても困るというか!」

「はっ、どうだか!」


 どうやら百花と愛梨は、自分たちの芸能活動に春希を独占利用しようとしていると思われたらしい。

 羽衣の言葉の端々からは、自らのステップアップに春希を使いたいという魂胆が透けて見える。

 百花と愛梨が否定するものの聞く耳を持たず、引く気配はない。事情はよくわからないが彼女には余裕がなく、必死な様子が窺えた。

 空気がどんどん息苦しいものになっていく。

 せっかくの楽しかった気分が台無しだ。

 皆の顔が苦渋に滲む。

 そんな中、春希は自責の念から諦念交じりの顔で羽衣に話しかけようとしたその時、ふいに一輝が立ち上がった。

 皆の注目が集まる中、一輝は彼女の下へ向かい、やけに甲高い弾んだ声を上げた。


「そのピアス綺麗~、素敵~っ」

「へ? え、あ、ありがと……?」

「そのアウターも大人可愛い~、めっちゃにアガる! ね、どこで買ったの?」

「え、その、この間の撮影の衣装で気に入ったから買い取って……」

「いいなー、そんな服との出会い、憧れちゃうな~」

「は、はぁ……」


 いきなりシナを作った一輝にオネエ言葉で話しかけられ、困惑を隠せない羽衣。

 今までにない一輝の奇行ともいえる言動に、呆気に取られ言葉を無くす一同。

 だけどどこか既視感があり――それが何かに思い至った隼人は、思わず吹き出してしまった。


「あは、あはははははははっ! 一輝、それ文化祭の女装キャバクラのキャラ、何でここでそれなんだよ……っ!」

「いやぁ、この場を和ませようと思って」


 そう言って皆に向かって、お茶目な感じで片目を瞑る一輝。

 するとこの場の空気が一気に緩み、「そういや店だとそんな感じだったね」「さっきの、口調だけじゃなくて仕草も女っぽかった」という言葉と共に、忍び笑いが起こる。


「え、女装……?」


 1人状況が呑み込めない羽衣が疑問の声を零せば、一輝がすかさずスマホで文化祭の時の女装姿の写真を見せる。


「これです。文化祭の時の、僕です」

「これは……っ!」


 羽衣はみるみる目を大きく見開き、何度も画面と一輝の顔を交互に見やる。

 あの時の一輝の女装姿は、羽衣としても放ってはおけないクオリティなのだろう。

 彼女の目の色が変わっていく。

 羽衣の興味が自分に移ったことを捉えた一輝は、すかさず業界人にとって捨て置くことをできない言葉を浴びせた。


「僕は海童一輝。あそこにいる、MOMOの弟です」

「っ! ……へぇ、なるほど。道理で」

「姉の手前、中々言い出せなかったけど、実は以前から芸能界に興味がありまして。この機会に色々とお話を聞かせていただけたらと思いまして」

「ちょっ、一輝くん!?」「一輝!?」


 思わず立ち上がり、驚きを隠しきれない声を上げる愛梨と百花。

 一輝の声はやけに真剣だった。

 真実、それが本心だというように。

 もしこれが演技だったのなら、大した役者だ。

 羽衣は品定めするように目を細め、一瞬ちらりと春希を窺った後、一輝に向き直ってにこりと微笑んだ。


「いいわ。楽しいお話をしましょう?」

「はい、是非」


 どうやら羽衣は確実に前向きな話をできそうな、一輝に狙いを定めたようだ。

 一輝と目が合えば、視線で出口を促してくる。

 せっかくの機会を逃す手はない。

 隼人はすかさず春希の手を取り、駆け出した。


「今のうちに行こう、春希」

「ちょ、隼人っ」

「おにぃ、はるちゃんっ!」

「わ、私もっ」


 姫子と沙紀も慌てて後を付いてくる。

 一輝の厚意に甘え、この場を素早く後にした。


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