176.何やってんだろ


 放課後になり少し経った頃。

 人気の少なくなった校舎に、グラウンドや体育館から聞こえてくる熱気の籠った掛け声が響く。


「えっと、これでいいのかな?」

「はい、大丈夫です。この場で書いてくれてありがとうございます。漫画研究部さんは部誌の発行にイラスト展示、ですね?」

「うん、例年と変わらない、はず」

「なら問題ないと思いますよ。すぐに書類を書いていただいて、ありがとうございました」

「……ぁ」


 春希はにこりと微笑み、美術部を後にする。

 すると背中から、やたらと春希を引き留めようとしていた漫研部員の残惜しそうな声が聞こえてきて、少しばかり眉間に皺を寄せた。


 手元には数枚のプリント。

 生徒会の手伝いで配っているものだ。

 白泉先輩から貰ったリストの漫画研究部に赤線を入れていく。


「次は演劇部、第2被覆室かぁ……」


 ふぅ、とため息が零れ、静かな校舎を1人歩く。


 部活棟はあるもののグラウンドに併設されていることもあり、ほぼほぼ全てを運動部が使用している。

 文化部はこの漫画研究部のように、特別教室を部室代わりに使うところも多い。


 窓の方に目をやれば、グラウンドで活動する野球部。あぁ、だから今日はサッカー部が休みなんだ、と一輝のことを思い浮かべた。


 そして、窓ガラスに自分の姿が映っているのに気付く。

 きっちりと隙間なく着こなした制服に、長く艶のある黒髪。そしてうっすらとした笑みを仮面のように貼り付けた顔。

 幼い頃、月野瀬に居た時とはまるで違う姿。

 そして隣に隼人が居ない。

 そのことが、ひどく1人であることを意識させられた。


 ふと、バイトに出掛けた幼馴染隼人のことを思う。

 今頃きっと一輝や伊織たちと共に、てんてこ舞いになりながらも一緒に働いていることだろう。

 だけど、そこに自分がいない。


「……ボク、何やってんだろ」


 胸が掻き乱され、弱気が言葉となって口から零れだす。

 元々生徒会の手伝いは自ら名乗り出たものだ。

 目的はもちろん、生徒会入り。

 別に生徒会長になりたいとか、そういう野望があるわけではない。生徒会に所属したという肩書が欲しかったから。

 事実、この高校の生徒会は庶務であれば、現行役員3人の推薦があればいつでも加わることができる。

 生徒会に所属するというのは春希が考える良い子・・・の姿でもあっただけでなく、大学の指定校推薦や奨学金の審査に多少有利に働くかもしれない――そんな打算だ。

 だけどその打算は冷静に進学を見据えて考えると、魅力的なのも確かだ。


 しかし生徒会に入り、本格的に忙しくなれば、隼人と一緒の時間が減るだろう。

 そのことが、春希に生徒会入りを躊躇わせていた。


 ふと、脳裏に沙紀の顔が思い浮かぶ。

 色素の薄い髪と肌、風が吹けば空に溶けて消えてしまいそうな儚さで、しかし見た目とは裏腹に躊躇いもなく都会へと飛び込んできた、しっかりとした芯のある女の子。


 沙紀ならば――と考えたところで、ぶんぶんとかぶりを振った。


「よし、さっさと終わらそう!」


 春希は自分を鼓舞するように言葉を吐き出し、ぺしぺしと頬を叩き足を進ませていると、ドンッ正面に衝撃を感じた。


「っ!? ご、ごめんなさい、今ちょっと前を見ていなくて……」

「こちらこそ急いでて……あら、貴女は……」


 どうやら廊下の曲がり角で誰かにぶつかったようだった。慌ててぺこりと頭を下げる。

 相手も不注意だったようで、申し訳なさそうな声を上げるがしかし、次第に剣呑な色へと変わっていく。


「……っ」

「……」


 どうしたことかと思った春希は顔を上げ、息を呑む。

 目の前にいるのはふわりとした長い髪を編み込みハーフアップにしてまとめた、華やかな印象の女子生徒。どこにいても注目を浴び、印象に強く残りそうな美貌だ。

 当然、春希も彼女のことを知っている。


 高倉たかくら柚朱ゆず


 昨年度文化祭でのミスコンを騒然とさせ、その名は春希たち1年の間にも響いている。

 そして最近流れた彼女関連の噂と言えば、一輝にフラれたというのも記憶に新しい。

 1年だけでなく2年にも、その噂はしっかり流れているだろう。

 ……彼女を振った一輝が、春希にフラれたという噂と共に。


 高倉柚朱はその意志の強そうな目を吊り上げ、突き刺すような眼差しで春希をみやる。

 春希の顔が強張り、口元が引き攣る。


「1年の二階堂春希さん、ですよね?」

「……はい」


 そして彼女は、スッと目を細めた。

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