177.高倉柚朱


「……」

「……っ」


 じろじろと見定めるかのように、不躾な視線で全身くまなく舐め回される。

 居心地が悪い。

 あまりよく思われていないと分かっているから、なおさら。

 互いに、どういう相手なのかはわかっているのだろう。


 悪意をぶつけられるのは慣れている。

 それでも、心は摩耗してしまう。

 母親、祖父母、それに春希を快く思わない学校の女子たち。隼人のいない中学時代もそれなりにあった。だからなるべく遠ざかり、関わらないようにしてきた。


 もちろん、春希としては高倉柚朱と争うつもりはない。

 だがこうした感情の問題は、理屈や道理は通じない。

 話せばわかるは幻想だ。


「貴女……」

「は、はい」

「可愛いわね」

「…………へ?」

「うぅん、顔やスタイルだけじゃない。髪や指先、身だしなみもしっかりしているし、背筋もピンと伸びている。一朝一夕で身につくものじゃない。二階堂さん、あなた私生活もしっかりした人なのね」

「あ、ありがとうございます……?」


 春希が身構えているとどうしたわけか、やけに真面目な声色で賞賛された。そこに侮蔑やバカにしているといった色はみられない。

 予想外の反応に戸惑う春希。

 すると、はたと何かに気付いたかの様子の高倉柚朱は、コホンと仕切り直すかのように咳払いを1つ。襟を正す。


「失礼、自己紹介が遅れました。2年の高倉柚朱です」

「あ、はい、ご丁寧に。二階堂春希、です」

「私のことは噂などでご存知、ですよね……?」

「それは、まぁ……」

「率直に聞きますけど、一輝くんのこと、どう思っていますか?」

「っ!?」


 そしていっそ清々しいくらいに、スパッと本題に切り込んできた。

 いきなりのことで言葉が詰まる。

 何て言っていいかわからない。

 そもそもあまりの展開に思考がついてこない。

 ただ彼女が、噂通り一輝に対して並々ならぬ想いをよせているというのだけはわかる。


「き、気に食わないやつ、です」

「……え?」


 だからそんな何も取り繕わない、思ったままの言葉が飛び出した。


「飄々と誰にでもいい顔して、本音は表に出さないし、誤魔化すし」

「……」


 そう、春希のように。


「けど、誰かが困ってるところにはよく気が付いて手を差し伸べるし、そんな外面の良さが色々、もぅ、何だか喋ってて腹が立ってきた……っ!」


 話しているうちに、どんどん言葉も荒くなっていく。

 きっと腹が立つのは、一輝が自分と似ているからというのもあるだろう。

 理性の部分では、さっきのバイトの代打は助かったとは思っている。

 しかし本当のところを言えば、さっきは皆と一緒に行きたかったのだ。


 隼人が皆と一緒にバイトしているよそに、自分は1人生徒会の手伝いをしている――この状況が、本当に気に入らない。

 理性的なことじゃないのはわかっている。

 これは感情の問題で、理屈や道理は関係ないのだ。


「ぷっ……ふふっ……あははははははっ!」

「……ぁ」


 そんなすっかりご機嫌斜めになって唇を尖らせる春希を見た高倉柚朱は、もう堪らないといった様子でお腹を抱えて吹き出してしまった。

 どうしていいかわからず、オロオロしてしまう。

 春希自身、想いを寄せる相手のことを悪し様に言い過ぎたという自覚はある。


「確かにそうね。一輝くんってば色んな人に良い顔して勘違いさせちゃったりするし、でもよく気を回して助けてくれるものね。まったく、そこのところ天然で悪いやつだわ」

「は、はぁ……」


 だというのに、高倉柚朱は目尻に涙を浮かべて笑っている。

 ことさら、そんなことを本人の口からも言われれば、どうしていいかわからない。


「私もそんな――あら、そのプリントって?」

「あ、えっと文化祭の各部活の申請書です」

演劇部うちはまだだったかしら? 私じゃわからないわね……一緒に行きましょう」

「は、はいっ」


 そして肩を並べ、第2被覆室を目指して歩きだす。

 改めて彼女を見てみる。


 高倉柚朱。

 演劇部所属の2年。

 昨年度文化祭のミスコンで、審査員、外部投票、特技部門全てを総なめした有名人。

 春希より一回り高い、スラリとした身長。メリハリのある女性的なプロポーション。

 うっすらさりげなくメイクされ、華やかさが引き立てられた美貌に、凛とした佇まいは堂々としており、自信に満ち溢れている。

 間近で目にして、なるほど、と思わせるものがある。


 そして隣を歩く春希に対し、悪い感情がないというのもよくわかる。

 それが余計、困惑に拍車をかけていた。


「わけがわからないって感じの顔ね?」

「えぇ、その……」

「ふふ、私も私がわからないわ。でもそうね……面と向かってはっきりきっぱり言われて嬉しかったのかも」

「嬉しい?」

「それに、ちゃんと見てるんだなって。だって一輝くんのことわかってないと、あんな言葉出てこないでしょう?」

「……それはどうでしょう」


 春希の表情が複雑に歪む。

 すると高倉柚朱はそんな春希に、少し羨ましそうな顔を向ける。


「私、中学の時――」


「高倉って調子乗ってるよねー」

「まぁ美人なのは認めなくはないけどさぁ」

「だからってねぇ……この間の脚本決めだって、オリジナルって流れだったのにさ、何が白雪姫やオペラ座の怪人みたいな定番にすべき、よ」

「幼稚園のお遊戯会かってーの!」


 彼女が何か言いかけた瞬間、扉の奥から聞こえてくる言葉に遮られた。

 いつの間にか第2被服室へとやって来ていたらしい。

 中からは明らかに高倉柚朱を悪し様に罵る会話が聞こえてくる。


「ま、男にフラれたのはいい気味だったかなーっ!」

「そうそう、あの子の悔しそうな顔を想像しただけでスカッとする!」

「けどあの1年の子、すっごいイケメンじゃね?」

「高倉も結局ただの面食い、はぁ、顔かよ、顔」

「あのさ、もしうちらがあの1年と付き合ったら傑作じゃない?」

「ぎゃはは、言えてるーっ!」


 陰口だった。

 おそらく、嫉妬からくる類のものの。

 眉間に皺が寄っていく。聞いていて気持ちの良いものではない。

 赤の他人でさえそうなのだ。

 だから本人ならば、いかほど心を痛めてしまうのか――そう思ってちらりと隣に視線を移せば、意外なことに高倉柚朱は逆に憐れむかのような瞳の色をしていた。


 春希の視線に気付いた高倉柚朱は肩をすくめて苦笑い。

 そして「あっ!」と驚きの声を上げる春希をよそに、ガラリと勢いよく第2被服室の扉を開けた。


「楽しそうなお喋りしているところ、少しいいかしら?」

「「「「っ!?」」」」


 ギョッとした視線が彼女を刺す。

 しかし高倉柚朱はそれをどこ吹く風と受け流し、春希から受け取ったプリントを彼女たちの前に広げる。


「あら、部長はいないの? これ、文化祭の演目をどうするのか早く決めなくちゃ。もっとも、オリジナルがいいと言っても何の計画もない白紙の状況だと厳しいと思うけれど」


 高倉柚朱は堂々としていた。

 そんな彼女に気圧されるかのように、女子部員たちは後ずさる。


「ま、まぁ、うん……」

「え、えぇ、そう、ね……」

「そういやうちら、小道具の打ち合わせでちょっと……行こ?」

「あと、彼と付き合いたいならこちらから告白しないといけないわね。一輝くん、あなたたちと接点がないんだから。どうなるかのかその結果、楽しみにしておくわ」

「「「「っ!」」」」


 高倉柚朱の振舞いは、明らかに彼女たちの陰口を聞いていたと喧伝していた。

 女子部員たちはバツの悪い顔をしながら、そそくさと第2被服室を逃げるように去っていく。


 春希はただ、その様子を廊下から眺めていた。

 静かになった第2被服室で、高倉柚朱が「はぁ」と、つまらなさそうにため息を吐く。

 そして春希に向き直り、ほらね、と言いたげな苦笑いを浮かべた。


「つまらない子たちだこと。あの子たちと比べると二階堂さん、貴女は違うわ」

「は、はぁ……」


 そして射貫くような、まっすぐに視線で見つめてくる。


「私ね、一輝くんのことがすき。本音を中々見せず、誰にでもいい顔をして、それでも困ってる人に手を差し伸べたりする、そんな一輝くんが好き」

「――っ」


 それはまるで、宣戦布告のようだった。


 ――違う、そんなんじゃない。


 言うべきことはたくさんあるはずだった。

 しかし高倉柚朱のそんな芯の強さともいうべきところが、どうしてか沙紀と重なってしまう。

 春希はその愚直なまでの真っすぐなところが眩しくて見ていられなくて、目を逸らす。


「また今度お話しましょう?」


 いっそ清々しい笑みを浮かべた高倉柚朱は、ポンと気安い感じで春希の肩を叩き去っていく。

 その場にはただ迷子のように立ちすくむ、春希だけが残されるのだった。

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