128.沙紀の声


 料理を持って行こうと大部屋を覗けば、先ほどまでと同じく、春希を中心に盛り上がっていた。

 もちろん、皆の顔には笑顔が広がっている。


 隼人は入口でしばし足を止め、その様子を窺う。

 かつての子供時代のことを弄られ、姫子が茶々を入れ、それに春希が抗議する。そんなサイクル。

 春希は弄られて恥じらうだけでなく、拗ねる、怒る、焦る、喜ぶ、慌てる、そして笑う。様々な魅力的な表情を見せている。果たしてそれは、どこまでが計算演技なのだろうか?

 ふと、初めて転校先で見た時の姿と、あるいは初めて父と顔を合わせた時、もしくは先日のプールで愛梨と相対したときの姿と重なる。

 そしてどうしてか――田倉真央の顔が脳裏を過ぎり、それを追い出そうと頭を振った。


「あの、どうかしましたか?」

「っ! あーいや、なんでもない。料理持って行こうか」

「……そうですか」


 突然の行動を不審に思われたのか、沙紀から心配そうな顔を寄越される。

 大部屋へと足を踏み入れれば、目敏くこちらに気付いた兼八さんが大きく手を振った。なお、その視線は隼人の持つ料理の大皿へと注がれている。


「お、きたきた! やっぱり隼坊のツマミがないとな!」

「皆吞んじまって誰も作らねーからな!」

「ちげぇねぇ!」


 がっはっはと、陽気で豪快な笑い声が響き渡る。

 どうやらずっとこの様子らしい。

 彼らの世話を焼いていた春希と目が合えば、あははと苦笑いを返される。


「隼人くんのお皿は私の方でもらいますね。沙紀ちゃんのお皿は――」

「あ、沙紀ちゃんはこっちこっち!」

「ふぇ、あ、うん。わかった~」

「っと、霧島の坊も突っ立ってないでこっちに座れよ」

「隼坊には色々聞きたいことがあるしな」

「待ってくれ、料理が零れるから!」

「――あ、あはは……」


 たちまち皆に捕まれば、強引に春希の隣へと座らされる。

 沙紀は沙紀でいつもよりテンションの高い姫子に回収され絡まれている。どうやら姫子は場の空気に酔っているらしい。隼人は、はぁ、と大きなため息を吐いた。

 ちらりと春希を見れば、せっせと隼人が持ってきた料理を取り分けている。いかにも女の子らしい、二階堂春希・・・・・な姿だ。

 だから少しだけ悪戯心ともいえる気持ちが湧いてきた。


「で、隼坊。都会はどうだ?」

「こっちとは色々違うだろ?」

「月野瀬は何にもないからな!」

「あ、あぁ。近くにコイン精米所はないし、駅も徒歩圏内で本数だって1時間に何本もある。それに100均に行けば食器から収納、文具と何でも揃うし春希なんてジオラマやプラモの塗料や工具とか買っていたな」

「なんでぇ、春坊ってはこーんなお嬢ちゃんになったってーのに、趣味のところは相変わらずか」

「三つ子の魂百まで、ていうけど、ははぁん? もしかしてイタズラも相変わらずだったりするのか?」

「まぁ、そんな感じ。中身は昔とあまり変わってないし、結構イタズラもされてる。みんなも騙されないようにな」

「も、もう、隼人くんってば!」


 隣の春希が抗議するかのように、唇を尖らせ手の甲を抓る。そんな姿を見せれば、周囲に笑いが広がっていく。

 そして隼人は様々なことを話す。

 スマホ選びのこと、映画館がとんでもなく大きかったこと、プールに度肝を抜かれたこと。

 このたった2ヶ月の間に体験したことを土産話として語っていく。


 不思議な感じだった。

 まるで長い旅行から帰って来たかのような錯覚がある。言葉に出来ない心地よさがある。

 隣へ視線を移せば、春希と目が合いはにかんだ笑顔を返された。

 きっと、同じ気持ちなのだろう。それが顔に出ていた。


 隼人は胸にあったしこりのようなものが消えているのに気付く。

 いや、変に気を張りすぎていただけなのかもしれない。


「まぁまぁまぁ、旦那たち先に始めちゃってて……あらあらあら、隼人ちゃんじゃない!」


 その時玄関の方からガララと扉が開く音と共に、騒がしい声が聞こえてきた。

 声を聞くに月野瀬の女性陣到着らしい。漏れ聞こえる話声を聞くに、男性陣とは別の祭りの準備をしていたようだ。

 彼女たちは目敏く隼人と春希の姿を捉えると、素早く逃げ出さないように取り囲む。


「あれ、もしかして隣にいるのは春希ちゃん!?」

「すっかり綺麗になっちゃってまぁ! ていうか本当に女の子だったのね!」

「あはは、あの頃って隼ちゃんといつも一緒で泥だらけになってた記憶が強いから!」


 そして女性陣は男性陣と違って遠慮というものが無かった。

 春希はベタベタ月野瀬マダムたちに身体を叩かれ翻弄されている。だが、春希にも彼女たちにも嫌悪感といったものはない。まるで子や孫に接するかのようだ。微笑ましい。


 隼人が苦笑していると、年かさの女性陣の1人がこっそり近付いてきたかと思えば、神妙な顔で尋ねてきた。


「そういや隼人ちゃん、お母さんは大丈夫なのかい?」

「えぇ、おかげさまでなんとか。今はリハビリに専念しています。父が付きっきりで」

「あらあらあら~、和義ちゃん昔からぞっこんだったから~! そうそう、ぞっこんとは言えば春希ちゃんだけど」

「春希がどうかしました?」

「あんたたち、付き合ってるの?」

「「…………へ?」」「っ!?」


 瞬間、空気が固まった。

 隼人と春希の素っ頓狂な声が重なり、どこかで息を呑む声が聞こえてくる。

 それは予想外の言葉であり、どこか引きつった笑顔の春希と目が合う。

 どう反応していいかわからない。だが何か弁明しないと、どう思われるかわからない。背筋に嫌な汗が流れる。

 しかしその時、いきなり姫子が噴き出した。


「ぷふっ! えぇ~、おにぃとはるちゃんが~? ないない、ないって。はるちゃんも今でこそお澄まししてるけど、うちに来てる時とかだらしない恰好でパンツ見せてるし色気のある話が皆無というかおにぃも呆れた顔でそれをスルーしてるし、あ、こないだもおにぃを揶揄おうとえっちぃ――もがっ!?」

「すとーっぷ! ひめちゃんすとーっぷ!」

「ま、まぁその春希だし、色気より食い気というか、この間も味見って言いながら冷やし中華用の錦糸卵と焼き豚を結構な量食べてて……って痛っ!?」

「隼人までーっ!」


 姫子はけらけらと笑いながら手を振って春希の普段の姿を暴露しようとすれば、あわてて口元を押さえられる。

 隼人は一瞬呆気に取られていたものの、騒めく胸を誤魔化すように悪態を吐こうものなら、涙目になった春希に思いっきりほっぺたを引っ張られた。


 そして一瞬の静寂の後、どっと笑い声が広がっていく。


「なーんだ、変わったのはやっぱ見てくれだけか!」

「そういうところ、昔と一緒だな! なんだか安心したわい!」

「え、ええっとその隼人くんとひめちゃんは特別といいますか――」

「うんうん、本性バレてるから隠す必要ないもんね」

「――そうそうだから素で、ってひめちゃん~っ!」

「あはは、なるほどねぇ、猫かぶりが上手いのは真央ちゃん譲りってわけか」

「「――っ」」


 それは誰かの何気ない一言だった。

 春希の顔が強張り、ビクりと肩を震わせる。


「そうそうドラマも見てたよ。家内の奴が好きでさー、十年の孤独だっけ?」

「那由多の刻って映画も今やってるよね、いやぁすっごい若いままで羨ましいわぁ!」

「お肌のお手入れのコツとか聞いてみたいよねぇ!」

「あの無口で素っ気なかった子があそこまで活躍とか、どうなるかわからないもんだわ」

「春坊に言えばサインでもくれるかな?」


 話題が春希の母の、田倉真央へと流れが変わる。

 不意打ちだった。

 意識は完全に春希の祖父母に行っていたこともあり、予想外のことに手を握りしめ、目の前の状況を真っ白になった頭でどこか遠くの出来事のように眺める。

 田倉真央について語る彼らの顔や言葉には、嘲りや罵りといった負の感情の色は無い。ただ単純に興味があるだけだ。むしろ地元出身の有名人を褒めたたえるかのように言っていた。


「…………」


 なんてことはない。二階堂家はずっと月野瀬では没交渉になっていた。

 だから今の春希と田倉真央の関係性なんて知らず、ただ母子だけだという事実を知っている。それだけの話なのだ。


 迂闊だった。

 隼人は奥歯を噛みしめちらりと隣に視線を移せば、表情の抜け落ちた春希が一瞬目に移り、そしてこちらに気付いた春希が気丈に笑みを浮かべれば、一瞬にして頭が沸騰した。

 握りしめる拳に爪が食い込みうっ血する。

 そして胸に生まれた使命感に突き動かされ、声を上げようとした時のことだった。


「あの――」

「か、カラオケ! そのカラオケを、歌を、歌いませんか、です……っ!」

「――っ!?」


 突如必死とも言える大きな声が喧騒を切り裂く。

 普段の様子からは想像もできない声の主に皆の注目が集まる。


 沙紀だった。

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