129.どうしてか輝いて見えた


「あのその、集まりでよく使ってます、よね……?」


 沙紀はあたふたしつつ、上擦った声で訴えていた。

 普段あまり自己主張をすることのない沙紀の発言に、皆が目を大きくしつつも首を傾げている。

 そんな視線に晒され語尾と身体を小さくさせるも、ちらりとこちらに送られてきた視線と目が合えば、きゅっと口を結び胸の前で握りこぶしを作る。


 そして意を決して口を開こうとすれば、ふいに姫子の明るい声が響く。


「――ぁの」

「あ、やりたい、あたし歌いたい! あれ、でも古いのしかない?」

「え、えぇっと、最近いくつか通販で取り寄せたレーザーディスクが……」

「わぁ! 取り扱ってる曲がどれだかわかる!?」

「おぅ、姫坊、何度の入ってすぐ右手の籠の中に入ってるぞ」

「納戸ね!」

「ひ、姫ちゃん! じゃあ私は準備を~」


 皆の戸惑いも一瞬のこと、姫子が嬉々として納戸へ走っていけば、集会所内はたちまちにしてカラオケ一色に染まっていく。


「おい兼八さん、嬢ちゃんたちを手伝うぞ!」

「よしきた、わしの美声をとどろかせてやる」

「うるせぇ、だみ声!」

「酒焼け声に言われたくねぇ!」

「ちょっと、わたしたちも忘れちゃダメよ」

「最近キーの高い声が出なくなっちゃってねぇ」


 元々集会所のカラオケは、月野瀬の数少ない娯楽の1つである。

 酒の入っている席ということもあり、一度その流れが出来上がれば先ほどの沙紀のことなどどこへやら、何を唄おうか、唄って欲しいか、こないだはどうだっただとかいう会話がそこかしこで咲いていく。あっという間の出来事だった。


「……沙紀ちゃんに助けられちゃったね」

「……そうだな」


 沙紀の行動は、明らかに春希の表情を見てからのものだった。

 当然ながら、沙紀に春希の詳しい事情の説明なんてしていない。言えようはずもない。


 その沙紀はといえば言い出しっぺだからか、マイクを持たされている。

 助けを求めるように姫子を見るが、「あ、こないだ話してた再放送のドラマの主題歌があるよ!」と言って、ちゃっかり一緒にマイクを持って逃げ道を塞いでいた。姫子本人はフォローしているつもりなのだが、沙紀は涙目だ。

 そして周囲も「いいぞー!」「姫坊と沙紀坊が歌うの初めてだな!」「待ってました!」とばかりに盛り上がっている。


 やがてどこか聞き覚えのある、少し古さを感じさせる曲のイントロが始まった。

 何度も再放送されている、かつての女性アイドルが主演をつとめた人気ドラマの主題歌だ。

 ドラマ自体見たことのない隼人でも聞いたことのある有名な曲で、何度かこういった集まりでも耳にしていた。曲の選択としては最適だろう。

 周囲も手拍子を打ち、囃し立てている。


『『あなたにひとめぼれ~♪』』


 2人の歌声が集会所に響く。

 姫子は何度かカラオケに行っているのである程度唄えているものの、それでもまだ声は硬く、歌詞を追うので精一杯といった様子だ。

 一方沙紀はボロボロだった。

 こういう場で唄うのは初めてなのだろう。

 顔を恥ずかしそうに赤く染め上げ、肩を小さくさせてボソボソと歌詞を呟くばかり。


 しかし周囲はそれでも盛り上がっていく。

 姫子も沙紀も、この場にいる年かさの者たちにとっては孫の発表会を見守るようなものなのだろう。皆の頬が緩んでいる。

 隼人でさえその一生懸命に唄う姿は微笑ましい。

 特に沙紀は、毎年祭りで見る神楽の凛とした姿は真逆で、余計に。


「……沙紀ちゃんって良い子だよね」

「あぁ、そうだな」

「そして、とっても可愛いね」

「かもな」

「だからね、ボクもあんな一生懸命な姿を見せられたら、沙紀ちゃんに――って思っちゃうんだ」

「……春希?」


 春希は視線を沙紀に向けたまま、隼人の見たことのない表情で呟いた。

 慈愛に満ちたような、しかしどこか寂し気で、消え入りそうな、言葉にし辛い複雑な顔だった。それがどうしてか隼人の胸を掻き乱す。

 思わず存在を確かめ捕まえておこうと手を伸ばすも、ひらりと空を切ってしまう。


 春希は立ち上がっていた。

 座っている隼人の位置からは、その顔は見えない。


「隼人、ボク行ってくるよ」


 そう言って振り返った春希は、見惚れるような笑みを返し、颯爽と舞台へと向かう。

 息を呑む。

 それは人に見られることを意識計算した、二階堂春希・・・・・笑顔仮面だった。


 曲は1番が終わり、間奏に差し掛かっている。

 沙紀と姫子月野瀬のアイドルを見守る人たちはより一層の盛り上がりを見せ、パチパチと手を叩き囃し、それがますます沙紀の顔を赤らめさせ背を縮こませていた。

 姫子はむむむと眉を寄せつつ、マイク片手に喉に手を当てている。


「いいかな?」


 その2人の間に、春希が割って入ってきた。

 いきなりのことで驚く沙紀に、にこりと微笑み手を差し出せば、沙紀は何度か自分の手元と春希の手と顔を交互に見やり、そしておずおずとマイクを渡す。春希は任せてとばかりに片目を瞑る。

 そのやり取りを見ていた姫子は何度か目をぱちくりとさせ、そしてしょうがないなと少し呆れた顔で嘆息、沙紀の腕を引き舞台を譲った。


 春希に皆の注目が集まっていく。拍手喝采だ。

 今度はかつての悪ガキが何を見せてくれるのかという期待が膨らみ、盛り上がりは最高潮を迎える。


『――琥珀の夢~♪』

「「「「――――っ」」」」


 そして春希が唄い出すと同時に世界が変わった。

 今あったものがひっくり返されたかのように、裏返ったかのように、他の世界の扉が急に開かれたかのように。月野瀬の集会所は別の世界へと塗り替えられていく。

 目の前で唄うのは春希であって春希でなく、皆の目に映るのは、一目ぼれをして、だけど好きになってはいけない相手で、琥珀のように想いを閉じ込め――悲恋に翻弄される1人の少女。


 春希の唄が、宙を彷徨い描く腕が、躊躇いがちに足が刻むステップが、はらりと舞う長い髪が、歌詞に込められた物悲しくも切ない恋物語を奏でていた。


 目が離せない。誰しもがあんぐりと口を開き、手を鳴らすどころか呼吸さえ忘れ、惚けたように魅入られている。

 姫子も、そして隼人でさえ驚きを隠せない。沙紀は瞳を揺らし胸の前で拳を握る。

 春希が歌や振り付けが上手いのは知っていた。だがこれはただ上手いとか、そんな次元のものではない。

 これは春希が演じる・・・、渾身の誰かの・・・物語だった。


 そしてなにより、春希が輝いて見えた。


 これは少なくとも月野瀬みたいな片田舎の集会所で見られるような演目・・ではない。

 一体だれがこんなドラマ・・・が見られると予想しただろうか?

 そう、こんなところ・・・・・・で……


『――碧の手紙、心に呑み込む……♪』


 そして唄が終わる。

 集会所にはただただ静寂があった。誰もが春希に呑み込まれていた。

 酔いなどとっくに吹き飛ばされている。

 だけど、誰もどう反応していいかわからない。

 目の前の春希・・が、どこか遠い存在のように感じてしまう。

 それだけの存在感があった。どうしてか、隼人の拳は痛いくらいに握りしめられていた。


 春希はといえばそんな皆の反応が意外だったのか、「アレ? アレ?」とアレを連呼してアレになってしまっている。

 隼人はそんな春希を見てようやくいつもの春希・・を見た気がして、そして胸の中に生まれたモヤっとした不安を振り払うように、ひときわ大きな音を立てて拍手をした。

 そのパチパチという音で我に返ったのか、さざ波のように拍手が広がっていき静寂を吞み込んでいく。世界が元に戻る。


「よっ、春坊、えれぇもん見せてもらった!」

「あらやだ、わたしびっくりしてトウモロコシ落としちゃったわ!」

「オレなんて肉のタレとビール零して服にシミが……かーちゃんに怒られちまう!」

「わはは、なにやってんだ! でも凄かったな!」

「がはは、ここ何十年かで一番驚いたわ!」


 そして春希は月野瀬の皆の視線を受け恥ずかしそうにしつつも、隼人と目が合うなりにやりと、いつもの悪戯っぽい笑みで微笑んだ。

 ドキリとするものの、経験からくる本能的に、ビクりと背筋に嫌な汗が流れる。

 だけど、それこそ隼人の知る春希でもあり、ほんの少しの安堵もあった。


「さ、次は隼人の番だよ!」

「お、隼坊! 待ってました!」

「さあ、お次はどんなのを見せてくれるかな!?」

「わたしも隼人くんの歌声、聞いてみたいわぁ!」

「いや待ってくれ、俺はその……っ!」


 春希は強引に隼人の腕を引き、舞台へと引き摺って行く。

 音痴だという自覚のある隼人は周囲の視線に後ずさり、恨めしそうに春希を睨みつけるもにししと良い笑顔を返されるのみ。

 はぁ、と大きなため息を1つ。がりがりと頭を掻いて、マイクを受け取る。


「……ったく、知らないぞ」


 そして隼人の一本調子のズレた歌声が集会所に響き、月野瀬の夜空には今までと違った種類の笑い声が響き渡るのだった。



※※※※※※※※※


ストック等の関係上、更新が不定期になります。

なろう版より少しだけ先行して更新していく予定です。

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