130.支えてあげなよ


 夜はすっかり更けていた。

 春希たちにも手伝ってもらって洗いものを済ませた隼人が大部屋に顔を出せば、何人かは完全に酔いつぶれ、畳の上で転がり寝息を立てている。

 まぁ夏場だし、風邪をひくこともないだろう。

 それによくあることである。大きなため息を1つ。苦笑しつつ、隼人たちは集会所を後にした。


「またな春希、それに村尾さんも。助かった」

「おやすみー沙紀ちゃん、はるちゃん」

「うん、またね、隼人、ひめちゃん」

「おやすみなさい姫ちゃん……お、お兄さんも」


 帰る場所が違うので、集会所でそれぞれ分かれる。

 隼人と姫子は、ゆっくりと自転車を押しながら帰路に着く。

 都会より明るい月と星空が、月野瀬の田舎のあぜ道を照らす。

 車の走る音の代わりにブモォブモォという水場から聞こえるウシガエルの重低音をベースにして、草むらの鈴虫や山のアオバミミズクの鳴き声が重なり、田舎の夏の夜を唄う。


 久しぶりに聞くそれらはひどく懐かしく、そして新鮮に感じた。


「あ、しまった。明日の朝のパンとか何もないや」

「えぇー、朝ごはん抜き?」

「駅で買ってたおかしでも代わりに食べとくか」

「こういう時あっちなら、帰りにコンビニにでも寄って帰れるのに」

「こっちじゃコンビニなんて山を越えた先だし、車で30分はかかる」

「全然コンビニエンスじゃないよ、もう!」

「なんなら向こうだと、早朝からやってるパン屋もあるしな」


 そんな愚痴を言い合いながら、あははと笑い合う。

 だけどそんな月野瀬も、案外悪くない。

 都会とは違う熱気の籠らぬ清涼な風が駆け抜け、雲を流す。


「んん~、今日の集まりは楽しかった! 沙紀ちゃんもはるちゃんもいたし!」

「……俺は散々だった」

「あはは、でもアレはアレで盛り上がってたからいいじゃん」

「アレはいい笑いものだっただろ!」

「れんしゅーが必要だね、れんしゅーが」

「かもな」

「……ところではるちゃんだけどさ、さっきすごかったよね」

「そうだな……って、姫子?」


 ふと、姫子が足を止める。

 その声色は妙に硬い。

 明らかにいつもと違う様子だ。

 だけどその表情は暗くてよく見えない。


「――田倉真央。さっき、誰かが言ってたよね」

「っ!?」

「……やっぱりおにぃ、知ってたんだ」

「いや、それは……」


 隼人はとっさに言葉が出てこなかった。

 別に姫子に隠していたわけじゃない。

 春希のデリケートな部分なのだ。

 たとえ妹で、自分と同じ幼馴染といえる間柄だとしても、おいそれと言えるものではないだろう。


 だがそれは隼人の事情だ。

 姫子からしてみれば、1人だけ仲間外れにされたものと変わらない。

 隼人は必死に言葉を探す。

 しかし胸に浮かび上がる言葉は全て、ただの言い訳でしかないなにかだった。


「はるちゃんさ、きっとおにぃだからそのことを教えたんだね」

「姫、子……?」


 だが続く姫子の声色はひどく温かみにあふれ、そして慈しむものだった。

 隼人の胸がドキリと跳ねる。


 田舎の星空の下、やわらかく微笑む姫子はやけに大人びて見え、それは隼人が見たことのない妹の姿だった。その変化に戸惑う。

 何て言っていいか余計に分からなくなる。

 すべてを見透かしていそうなその眼差しを向けられれば、どうしたって落ち着かない。

 どうやら都会での生活は、実妹も変えてしまっていたらしい。


 そんな隼人の動揺をよそに、姫子はゆっくりと再び歩き出す。

 隼人も慌てて後を追う。

 しばらく無言で歩いていると、姫子はぽつりと、どこか諭すかのような口調で言葉を零す。


「子供の頃のはるちゃんってさ、男の子みたいだったよね

「そう、だな」

「いつもおにぃと一緒で、よく服を泥だらけにして、身体中のあちこちに擦り傷とか作っちゃって」

「いろんな場所で遊んだからな」

「でもね、それはきっとおにぃがそうあることを望んだから。はるちゃんはきっと、うん……思えばその時からずっと女の子だったのかもしれないね」

「……………………え?」


 今度は隼人の足が止まる。

 姫子の言葉の意味がよくわからない。

 だけど、姫子は何かを悟ったような、そんな貌をしていた。


「だからさ、おにぃ。ちゃんとはるちゃんを支えてあげなよ」


 そう言って振り返り、ふわりと微笑む顔は、妹ながら見惚れるくらいの綺麗な笑顔をしていて、隼人は立ちすくんでしまう。


 1人、ぽつんと月野瀬の夜のあぜ道に取り残される。


「……言われなくてもわかってるよ」


 天を仰いで零れてしまった隼人の呟きは闇夜の空へと溶けていき、ザァッと山から吹き下ろされる風に掻き消されていくのだった。

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