312.悪い子になろうぜ



 なんとも湿っぽい空気になるも、このまま立ち止まっているわけにもいかない。

 誰からともなく歩き出す。会話もなくしんみりとしている。

 昨日の件は先ほど皆も言っていた通り、誰かが悪いことをしたわけじゃない。

 ただ、春希の特異な生まれに振り回されているだけ。

 そう、これまでと同じだ。しかし今回は自分だけじゃなく、周囲も巻き込んでいる。

 そのことに春希は内心、申し訳ないという気持ちでいっぱいだった。

 だがこちらの心境などお構いなしに、周囲は今日もいつもと同じように好奇の視線を向けている。春希は漏れ出そうになるため息を、必死に呑み込む。

 すると最近できたもう1つの待ち合わせ場所に着くと、既に来ていた伊織から、いつもの明るい調子で声を掛けられた。


「よっす、聞いたぜ二階堂。昨日はえらい目にあったみたいだな」

「そんなドラマみたいなことがあるなら、私も行けばよかったかも」


 続いて恵麻もおどけた風に乗ってくる。

 そして伊織と恵麻が目で背後へと視線を促せば、一輝の姿。

 一輝がここにいることに目を瞬かせる春希。この場所は駅からだと学校へはかなり遠回りになる場所だ。

 すると一輝は肩を竦めつつ、ここにいる理由を話す。


「昨日のこと、伊織くんや伊佐美さんにも話した方がいいと思って」

「……そっか」


 一輝は少し申し訳なさそうにしているものの、春希に否やはない。伊織と恵麻にはこうして協力してもらっているし、昨日の件の情報は共有していた方がいいだろう。

 そして早速、隼人たちと「水族館、思った以上に面白かった」「いきなりモノマネしだして周囲の目が」「ペンギンって水中じゃかなり速い」といった話題で盛り上がれば、伊織と恵麻が「うぐぐ」「やっぱり行けば」と悔しがり、皆の顔も明るくなるというもの。和気藹々とした雰囲気へと変えてくれる。

 すると、ふいに隼人が気になっていたことを一輝に訊ねた。


「そういや一輝、昨日はあの後、大丈夫だったのか?」

「適当に話を合わせて、なんとか。まぁ興味持ってもらうために結構煽っちゃって、今度彼女の事務所に顔を出すことになったけど」

「おいおい、まさか芸能界入りするつもりなのか?」


 隼人の言葉を受けた一輝は目を丸くし、どこか自嘲めいた笑みを浮かべて答える。


「とんでもない。僕はあの時、最善と思う行動を取っただけ。それに自分の身の程のことはよくわかってる。姉さんみたいなカリスマ、愛梨のような勤勉さ、二階堂さんのような表現力もない。あるのはMOMOの弟っていう話題性だけ。でもそれで皆を助けられるなら、いくらでも利用するよ」


 一輝は姫子に向けて気に揉まないようにと、今度は茶目っ気たっぷりに片目を瞑る。

 姫子は目を瞬かせた後、口元を緩める。一輝の想いを正しく受け取ったのだろう。

 そういう気遣いができるところは今まで同じだ。

 だけど、今までと違うやり方の一輝に、息を呑んだ。



 その後、中学校に向かう姫子と沙紀と別れ、高校へ。

 道中、昨日の闖入者とのことで隼人や一輝が「カメラマンが押し掛けてきたのは驚いた」「僕もあの逢地羽衣があんな強引な人とは思わなかった」と面白おかしく話し、話は盛り上がっていく。

 春希も適当に相槌を打ちつつも、考えるのは一輝について。

 一輝も春希同様、人気モデルを姉に持つ特異な立場だ。

 そのことで振り回されることも多かったのだろう。

 だから友人になった隼人たちにも、姉の件は中々言い出せなかった。

 百花の件がバレたのだって成り行きだ。

 あの時の一輝が、皆と距離を置かれたらどうしようかと思い悩んでいたのを、よく覚えている。

 まるで吹っ切れたようにその立場を利用するだなんて、その理由は明白。姫子の、生まれて初めて好きになった相手を取り巻く環境を、守るためだろう。

 一輝は自分と向き合い、一歩ずつ進み始めている。

 翻って自分は――と考えたところで、前方に人だかりが見えた。それに気付いた伊織が呟く。


「なんだ、アレ?」


 春希たちも首を傾げて顔を見合わせる。

 すると隼人が、その中に見知った姿を見つけた。


「あれは……おーい、みなもさーん!」

「あ、隼人さん。春希さんに、皆も!」


 こちらに気付いたみなもは、パッと明るい顔を見せてパタパタとやってくる。

 そんなみなもに、隼人は視線で人だかりを示しながら問う。


「あれは一体?」

「それは……」


 隼人の質問に、困った顔をして春希を見やるみなも。

 それだけで春希絡みの何かとわかるというもの。

 皆の顔に緊張が走る。

 するとこの中で一番背が高い一輝が、少し背伸びしつつ元凶を捉え呟く。


「アレは……誰かが待ち伏せしているみたいだ」

「えっ」


 春希もまた目を凝らして人だかりの先を見てみれば、壮年男性の姿が目に入る。無精ひげを生やし、しかしオシャレなハンチング帽と薄手のコートを着こなして、だらしなく住宅の壁にもたれかかっている。しかし周囲を見回す眼光は鋭く、なんともちぐはぐだ。

 そんな彼は昨日、水族館で出会ったカメラマンの長久に通じる独特の雰囲気を纏っており、一目で芸能関係者と推測させられた。

 やはり彼も春希目当てだろうか。今までにないケースに、ごくりと喉を鳴らす。

 もしかしたら、色々と知らないところで事態が動いているのかもしれない。

 隼人が緊張した面持ちで提案してくる。


「どうする、回り道するか?」

「……いや、ここを避けたところで他で待ち伏せがないとは言い切れないかな」


 しかし一輝が首を振りながら懸念を述べる。

 確かにその可能性を否定できず、舌打ちする隼人。

 とはいえ、このままここに居ても見つかるのは時間の問題だ。

 八方塞がりな空気が漂い始める中、一輝が吹っ切れたような顔で口を開いた。


「このまま通り過ぎよう。なに、いざとなったら僕が姉さんのことで気を引くよ」


 しかし隼人が難しい顔で窘めるように言う。


「でも一輝、この状況じゃ学校でMOMOの弟だってバレてしまうぞ」

「その時はその時さ」


 一輝はいっそ、清々しい表情で肩を竦める。そこは今の自分の平穏を犠牲にする覚悟が、ありありと滲み出ていた。

 だけど自分のせいで日常を崩させる――そのことに強い抵抗を覚えた春希は、思わずふいに思ったことが口から零れた。


「ボク、お母さんが良い子で待っとけっていった意味、ちょっとわかったかも」

「……春希?」


 隼人が訝しんだ目を向けてくるも、春希は小さくかぶりを振るだけ。

 普通とはかけ離れた生まれ、そして両親から受け継いでしまった才覚は、一度ひとたび知れ渡ってしまうと周囲を巻き込み平穏を崩し、世界を変容させてしまう。

 二階堂春希とは、そういう存在なのだ。

 もう今までと同じではいられない。

 そのことが目の前のことや昨日の件から、嫌というほどわかる。わかってしまう。

 あぁ、母があれほど周囲に知られないよう、良い子で大人しくしてよう望んだことは正しかったのだ。むしろ春希を守るためだったようにさえ思える。

 知らず唇をきゅっと噛みしめ、スカートの裾を握りしめる春希。

 そしてどんどん、隼人の隣にいる自分が思い描けなくなっていく。

 普通・・の女の子である沙紀が羨ましい――そんなことを思い、目尻が熱くなった時のこと。


「じゃあ、悪い子になろうぜ!」

「え!?」


 隼人はいつぞや見た時と同じ、眩しく弾けるほどの笑顔で、驚く春希の手を取り学校とは逆方向に駆け出した。

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