48.そ、そういうの慣れてないので!


 昼休み。いつもの秘密基地。

 そこで隼人と春希は、お互いにしかめっ面を突き合わせていた。


「うぅ~……」

「……」


 春希のその、恨みがましいとも言える視線は、隼人の弁当箱へと注がれている。

 昨晩の残りの生姜焼きを弁当用にと濃い目に味付けし直したものをメインに、小松菜のゴマ和え、彩りにプチトマトとブロッコリー、そして刻みネギの入ったふんわりだし巻きが入ったそれは、冷めていても食が進みそうな内容だ。

 ひるがえって春希のお昼はといえば、1本68kcal! と銘打たれたサラダチキンバーと野菜ジュースのみ。


 弁当に視線が釘付けのまま、はむっとサラダチキンバーを食はみながら、くぅと可愛らしくお腹を鳴る音が聞こえれば、隼人もはぁ、と大きなため息を吐いてしまう。


「……一口食うか?」

「た、食べないよっ!」

「でも春希」

「よ、4キロも増えてしまいまして!」

「……春希?」


 今度はいきなり恥ずかしそうに頬を染め、俯きながら目を逸らす。

 4kgという数字は結構大きいものに感じるが、やはりパッと見たところ、その違いは分からない。


「……そんなに変わったとは思えないんだけどな」


 だから別に無理して痩せる必要は無いんじゃないか――先ほど女子たちと一緒に仲良さげにダイエット談義をしていたことを思い出し、今度は隼人がそっぽ向く。

 しかし春希は、ことの深刻さがわかってないと言いたげに、声を荒げるのだった。


「隼人っ、4キロがどれほどのものか全ッ然、わかってない!」

「な、なんだよ」

「いい? 牛乳パックなら4個分、週間漫画雑誌なら6~7冊分、中玉のスイカやお米袋の小さい奴に近いくらいのお肉が! 身体に! 付いちゃったの!」

「お、おぅ、それは……」


 4kgと言われてもいまいちピンとこなかったが、具体的にどれくらいのモノなのかと言われると、なるほど確かに深刻だ。思わず春希がペットボトル8本や雑誌数冊、中玉スイカを抱える姿を思い描き、それだけ増えてしまったと想像する。

 姫子も悲鳴を上げてダイエットすると言い出すはずだ。それだけのぜい肉を看過するのは難しい。女子達があれほどダイエットに執心する気持ちが少しだけわかった気がした。


 現に目の前の春希も、ピリピリとした空気を出してしまっている。

 しかめっ面のまま、そのくせ時々視線は弁当と隼人の顔とそれ以外のどこかを行ったり来たりで忙しない。そんな様子でチラチラ見られれば、どうにも落ち着かない気分になって、眉間にも皺が寄ってしまう。


「あの、えっと……」

「ん?」

「怒ってる……?」

「は?」


 予想外の言葉だった。

 突然、春希がそんなことを言いだして、面食らってしまう。

 どこか不安そうな表情で、顔色を伺うかのように上目遣い。


「だって隼人さ、今朝からずっと険しい顔してるし」

「いや、これは……」

「ボクもさ、昨日はちょっとやり過ぎたかかなぁって……その、ごめん、なさい……」

「何を……」


 らしくないな、と思った。

 いつもの春希なら、そんなことは些細なことと言い切って気にも留めないに違いない。そして隼人を振り回すのだ。

 だというのに目の前の春希は、弱々しく縋るような目をしている。


(情緒不安定になる、か……)


 今朝の森の言葉を思い出す。そして、その時の対処法も。だがそれは、中々ハードルの高いことでもある。


『女子の間で有名な話があるんですよ、海童さんの本命は二階堂さんだって』


 そして三岳みなもの言葉も思い出して、頭がカッとなってしまった隼人は、考えるよりも先に動いてしまっていた。


「春希」

「え……み゛ゃっ?!」


 それは隼人も、我ながららしくないな、と思う行動だった。

 右手を強引に驚く春希の頭に乗せてかき混ぜて、そしてゆっくりと髪を掬うように撫でまわす。

 その髪は絹糸の様にサラサラで触り心地がよく、指先の間を零れるようにくすぐれば、隼人の想像以上に気持ち良くて夢中になって撫で続けてしまう。


 春希も撫でられるのが気持ちいいのか、次第に険しかった目元もどんどんトロンと垂れ下がっていき、隼人の手にされるがままになっている。

 隼人はまるでいつも気まぐれで振り回されているばかりの猫に、甘えられているような気がして、なんだか胸にむず痒いものを感じてしまい、それがそのまま言葉になって出てしまう。


「……髪」

「う、うん」

「無理なダイエットすると、栄養が足りなくなってパサパサになると言うよな」

「そ、そうだね、気を付ける」

「それはイヤだな」

「え、うん」

「ほどほどにな、応援してるから、無理せず焦らずに頑張れ」

「ん、頑張る」

「あー、そのなんだ、何か癖になるくらい良い髪だな」

「そ、そう? えへへ……これからもお手入れがんばりゅ」

「っと、あまりやり過ぎると髪型も崩れるだろうしな、これくらいで――」

「――ぁ」


 撫でているうちに徐々に冷静になってきた隼人は、若干恥ずかしさが上回り、名残惜しいと思いつつも手を離す。

 すると、春希は物悲しそうな声を上げた。夢中になっていた者を途中で取り上げられて、悲しいと言わんばかりに声だった。どうしてこんな意地悪するの、と言わんばかりの、切なそうな懇願する瞳を向けてくる。


「隼人ぉ……」

「は、春希?」

「……」

「……」


 そして見つめ合う。

 春希は潤んだ瞳のまま、隼人の手から解放されて、徐々に冷静さを取り戻していったのか、どんどん頬だけでなく顔全体を羞恥で赤くしていく。


「……み」

「み?」

「み゛ゃあ゛ぁああ゛ぁぁあ゛あぁーっ!!」

「春希?!」


 そして堪え切れないとばかりに鳴き叫ぶ。


「な、な、ななな何を?! こわっ、隼人こわっ! こ、こんなテクいつの間に覚えたの?! い、一体今まで何人の女の子を毒牙にかけたのさ?!」

「待て落ち着け、月野瀬に同世代の娘はいないというか、精々姫子の他は羊か猫しか撫でたことが無い!」

「ひ、ひめちゃんをオトしたの?! それはアレだよ、アレはそのアレでアレだよ?!」

「妹をオトすわけがねぇ?! あーもう、ったく!」


 よほど先程の自分が恥ずかしかったのか、いっぱいいっぱいになった証拠にアレ・・を連呼して何かを誤魔化そうとしている。


 だけどそれがいつもの春希らしくて、なんだか笑い声が出てしまった。それを見た春希はぷくりと頬を膨らませて、もぅ! と抗議の鳴き声を上げる。

 そんな、いつも通りの2人がそこに戻っていた。


「まったく、ボクはそういう褒められたりとか甘やかされることに慣れてないんだからね! 一体どうなっちゃうかと思ったよ!」

「……意外だな。モテるんだろ、その、告白とかされて、そういうの言われ慣れてるもんだと」


 言って、隼人の胸が軋む。それは気になっていたことだった。ここぞとばかりに聞いてみるも、即座に知りたくないという感情に襲われて、聞くんじゃなかったという後悔に襲われる。


「無いよ。直接告白されたとかそういうの無いんだ。そもそも、されないように立ち回ってきたからね。だからスマホのIDも教えないようにしてるし」

「そう、なのか……」

「スキャンダル」

「うん?」

「芸能人ってさ、誰かと付き合ってるだとか、付き合って仕事がどうだとかさ、色々とそれだけで大きな問題になるよね」

「そう、だな……?」

「だからは、良い子・・・二階堂春希・・・・・は誰かと付き合っちゃダメなんだよ」

「……そうか」


 突然の春希の言葉に隼人は困惑する。

 なんとなく言いたいことは分かるが、その裏にあるものまでは、7年の空白が邪魔して読み取れない。それがもどかしくて仕方がない。


 よほど隼人の顔が険しくなっていたのだろう。

 それに気付いた春希は、あははと笑顔を作って誤魔化して、この話はこれでお終いとばかりに強引に話題を元に戻す。


「ま、とにかく、健康の為にダイエット頑張らないとね、健康の為に」

「健康の為に、か。姫子も頑張ってるしな」

「うん」


 健康の為を強調する春希。

 色々と気になることはある。

 だけど春希が誰かと付き合ったことはおろか告白もされたことがない――そのことにひどく安堵するのであった。

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