19.夜のコンビニ
その日の夕食のときのことだった。
「おにぃ、あたしアイス買いに行きたい」
「うん? アイスなら買い置きがあるだろ」
いきなり姫子が、そんなことを言い出した。
どういう意味かわけが分からず、隼人は妹の言葉を聞き流しながら、パスタをフォークに絡め、その出来栄えに満足気な顔を浮かべ舌鼓を打つ。
本日の夕食は、お裾分けにもらったトマト、ナス、ズッキーニが主役のラタトゥイユソースのパスタである。
たっぷりのニンニクをオリーブオイルで香りづけし、パプリカやセロリも加えられた、見た目にも彩り鮮やかな一品だ。
「おにぃ、あたしはアイスが食べたいんじゃなくて、アイスを買いに行きたいの」
「すまん、姫子の言ってる意味がよくわからん。行けばいいんじゃないか?」
「夜のコンビニ」
「っ!」
「夜のコンビニに買い物に行ってみたいの」
「なん、だと……」
夜のコンビニ。それは引っ越すまで、午前11時に開いて午後7時には閉まる個人経営の自称なんちゃってコンビニしか知らなかった隼人と姫子にとって、特別な意味を持つ。
そもそも月野瀬には夜にやっている店は無い。夜に買い物に行く習慣がない。
わざわざ夜に、どうでもいいようなものを買いに行く――それはこの兄妹にとって特別の意味があり、2人の心を高揚させた。
「おにぃも着いて来てくれるよね?」
「夜のコンビニ、か。そうだな、一度は経験しておかないとな」
「うぅ、緊張してきた。何着ていけばいいんだろ……制服が無難だけど、こんな時間だし補導とかされちゃうよね?」
「ネットでそういうのって調べられないのか?」
「ど、どうだろう?」
と、妙に気合の入る2人であった。
◇◇◇
時刻はまだ20時前。
月野瀬では真っ暗になってしまうところだが、街ではまだまだ宵の口といった時間帯である。
隼人と姫子にとっては、よほどのことがなければ外出することのなかった時間帯だ。
何かいけないことをしているかのような罪悪感と、それでいてどこか冒険に出掛けるような高揚感から、胸がドキドキしてしまう。
「こっちの夜は懐中電灯要らずなんだな」
「明るいね、星は全然見えないけど」
「しかし姫子、その恰好は……」
夏らしく肩をむき出しにしたオフショルダーの可愛らしいカットソーに、フレアのミニスカート。それに軽めだがメイクも施されており、コンビニに行くというよりデートに行くかのような装いだった。シャツとデニムだけの隼人とは対照的である。
「うむ、気合を入れました。田舎者だって思われたくないからね!」
「はぁ……」
そんな姫子と共に、夜の住宅街を歩く。
星と月の代わりに街灯が道を照らし、虫やカエルの代わりに車の駆動音が聞こえてくる。
昼間とはまた違った夜の顔に、まるで異世界に迷い込んだのかと錯覚してしまう。
姫子も緊張しているのか、隼人の背中のシャツを掴みながら、おっかなびっくりついて来ている。
そして歩くこと10分と少し。2人にとってはドキドキするには少し長かった時間。住宅街の外れ、大通りに面する目的地へと到着した。
「着いたぞ、コンビニだ」
「着いたね、コンビニだ」
「本当にやってるな」
「本当にやってるね」
まだまだ世間的には早い時間帯と言う事もあり、会社帰りや塾帰り、ただの暇つぶしに雑誌を読み来る人など、多くの客で溢れている。そんなどこにでもある、ありふれたコンビニだ。
しかし隼人と姫子にとっては違った。感動すらしていた。そして、ひどく場違いのような感じがして、本当に入って良いのか
お互い顔を見合わせ、視線で「行くんだろ」「先に行って」などと会話をしていたら、突如姫子が声を上げた
「あ、すごっ!」
「うん?」
どうしたことかと姫子の視線の先を追ってみれば、そこに1人の女の子がいた。
大き目のゆったりとしたシャツにスキニージーンズ、それにキャスケット帽を被り、いかにもちょっと普段着でコンビニまで来ましたと言った
しかし、その持ち前の美貌とスタイルは、美少女は何を着ても似合ってしまう――そんなことを地で説明している、春希の姿があった。
「あ」
「……よぅ」
春希は姫子の声でこちらに気付いたかと思えば、大きく目を見開いた。そしてにこやかな笑みを浮かべて近づいてくる。
「こんばんわ、
「うん? あぁ、奇遇だな。コンビニか?」
「えぇ、ちょっと買い物に……それにしても可愛らしい娘ですね、彼女さんですか?」
「はぁ?」
「ひゃ、ひゃうっ!」
春希はにこりと姫子に微笑んだ。同性すら魅了してしまう、
そんな破壊力の高い笑顔を見せられた姫子は、「あぅぅ」と顔を赤らめて、隼人の背中に隠れてしまう。そして「あら可愛い」と春希に追加で言われれば、ますます顔を赤くして隼人のシャツを握りしめてしまう。
「まったく、霧島くんも隅に置けませんね。転校早々こんなに可愛い彼女を捕まえるなんて」
「待て、何か誤解しているぞ」
「ふふっ、照れなくてもいいんですよ?」
「あ、あのっ、2人はお知り合いなんですか?」
「はい、同じクラスです。隣の席だし、他の人よりちょっぴり彼のことは詳しいかもしれませんね。だから何かあれば教えちゃいますよ?」
「あた、あたしその……っ」
何かが噛み合っていなかった。
隼人は珍妙な問答をしている2人を見て、ため息を漏らす。
「そりゃ詳しいだろう。姫子、
「え?」
「へ?」
そして2人の時が止まる。まじまじと見つめ合う春希と姫子。
「はる、ちゃん……?」
「ひめ、ちゃん……?」
「「えええぇえぇえええぇぇーっ!!」」
夜のコンビニの入口で、2人の少女の声が響き渡った。
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