66.巨大シアター


 春希に茶化された隼人は、そそくさと台所に逃げ込んだ。 


 本日のメインは鶏むね肉を使った棒棒鶏バンバンジーである。

 大きめの鍋で、お酒と長ねぎの葉と一緒に肉を茹でて冷まして、手でむしり、他にも玉ねぎ、にんじん、大根、きゅうり、トマト、シソの葉を千切りとスライスにする。

 タレ用にも長ねぎ、生姜をみじん切りにして、練りゴマや醤油、みりん、豆板醤を合わせていく。

 とにかく切るものが多く手間が掛かるのだ。


 だけどこうして出来上がった棒棒鶏バンバンジーは、冷たくもピリ辛で食の進む、夏にうれしい逸品だ。しかも低脂肪かつ高たんぱくであり、ダイエットにも適している。

 それにワカメと溶き卵の中華風スープを合わせたのが、本日の夕食になった。


「いただきまーす。あ、おにぃ、あたしのところにトマトは入れてないよね?」

「……もし見つけたら俺の皿に入れろ」

「ん~おいしい、ってあれ、今日ってお米ないの?」

「買い置きのパックご飯ならあるぞ?」

「ダイエット中だし、今日は別にいっか」


 そんないつものように食事をする隼人と姫子をよそに、春希は1人負のオーラを出していた。


「うぅぅ……」

「……おにぃ、アレ・・どうしたの?」

「あぁ、アレ・・か……」


 姫子がこっそりと耳打ちしてくる。

 早速ということで、隼人が食材を切っている間に、春希には色々と手伝いを頼んでいた。

 お米を研いでもらうも、なぜか保温ボタン。

 掃除機のフィルタを交換してもらうも、ついうっかり手を滑らしての惨劇。

 洗濯機を回してもらえば洗剤の入れ忘れ。

 いざ家事を手伝おうとするも、よくあるミスを重ねてしまっていた。基本的に春希は昔から色々と小器用だ。それは優等生を擬態している、今の普段の様子から見てもよくわかる。だけど、今のようにやる気を空回りさせてポカすることも多いのも事実だった。


(そういや昔から新作ゲームするときって、興奮しすぎて序盤で無駄死にしまくってたっけ)


 隼人はそんなことを思い出し、くつくつと喉を鳴らす。

 春希はそんな隼人の様子を見て、ますます肩を縮こませてしまう。


「あーその、今日のはどうだ? 初めて作ったんだが、口に合うか?」

「……口惜しい」

「そうか、口惜しいかぁ」


 普段なら誰が上手いことを言え、っとツッコミを入れているところである。

 せっかく元通りになったかと思いきやこれだ。隼人も揃ってため息を吐いてしまう。

 一方で姫子は、そんな春希を見ながら、どこかしたり顔で頷いていた。


「うんうん、わかるよ。だからあたしは早々にあきらめたし」

「でもひめちゃんは年下だし、妹じゃん。ボクは同い年なんだよ?」

「あー、はるちゃんはそれがあるかー」

「だから頑張る……今日のもおいしいしさ、やんなっちゃうよねー」

「ねー」

「……何言ってんだ、お前ら」


 掴みどころのない会話が始まったかと思えば、頷きあう少女2人。

 隼人には今一つわからないなかったが、それよりも今日は言うべきことがあった。


「なぁ、次の休みって空いてるか?」

「んー、ゲームのアプデはまだ先だけど、積んでるゲームと漫画とアニメを消化する使命があるね。最近隼人ん家に入り浸ってるせいか溜まっちゃっててさ」


 つまり何も予定がないと言っているのと同義語だった。しかし春希の顔は妙に真剣で、冗談かどうかの判断を迷う。


「そうか……いや、暇ならどこかへ遊びに出掛けようと思ったんだが」

「え、行く。絶対行くからっ、行こう!」

「お、おぅ、いいのか?」

「うんっ!!」


 凄い食いつきだった。

 先ほどまでの気落ちはどこへやら、心なしか目をキラキラとさせており、ダイニングテーブルに身を乗り出している。

 豹変とも言える変わりようだった。だというのに、どうしてか既視感めいたものを感じてしまう。


(あぁ、そうか……)


 かつて幼いとき、月野瀬に居た頃。

 春希は先ほどまでのように気落ちして、暗い顔をしていることが多かった。

 今ならそれが、家庭環境に起因するものだというのも推測できる。

 だけど当時の隼人はそんなことが分かるはずもなく、ただただ一緒に遊びたくて誘って――そして彼女の笑顔ばかりを見ていた。


 つまりはそういうことなのだ。単純なことなのだ。

 もっと早く誘えばと思い、隼人はガシガシと頭を掻く。


「でさ、隼人。どこ行くの? あ、どこか良いとこ聞いたの?!」

「いやそれが、まったく。むしろ知らないからというか……春希はどこか知らないか?」

「うっ、ボクはそのインドア派と言いますか、ええっと……」

「そうだった……」


 遊びに行きたいけれど、どこに遊びに行けば、どうやって遊べばいいか分からない。そんなダメっぷりを発揮する隼人と春希であった。

 だけど、遊ぶ算段をする2人の顔はどうしたって笑顔で溢れている。

 それは確かに、彼らの絆の強さが為せるものだった。


(そういや……)


 そう言えばと思い出した隼人は、森にいくつか教えてもらったものを思い出し、スマホのメモ帳を開こうと思った時のことだ。

 姫子が真剣な表情で「はい」と声を上げて、片手をピンと上げていた。


「あたし、映画館に行きたいです」

「映画? 姫子、何か見たいやつがあるのか?」

「758人」

「は?」

「758座席があってそれだけの人が一気に見られるというスクリーンがあるというのです。ねね、興味ない?」

「バカな! 一度に月野瀬の住人の半数以上が見られるっていうのか!」


 月野瀬で映画といえば、基本的にレンタルするかネットで配信されるものという意識である。いわば家庭で見るものだ。

 更に言えば最寄りの映画館と言えば、車で2時間はかかる上に、学校の教室よりちょっと大きいかな程度のミニシアターがあるばかり。


 だから隼人と、そして姫子にとっても、かつて住んでいた住民の半分を収容出来てしまう映画館は完全の未知の存在であり、同時に強く興味も引く。


「どれくらい大きいか見てみたくない? あたし一度は行ってみたい!」

「そうだな、それだけのものとなると、一度は目にしとかないとな。春希もそれでいいか?」

「……え、あ、うん、ボクもそれでいいよ」

「ねね、やっぱりポップコーンって売ってるのかな?」

「それよりも体験型……4D……なんか色々種類あるけど、どういうことなんだ?!」

「…………」


 映画館の話題で盛り上がる隼人と姫子の横で、春希は鳩が豆鉄砲を食ったよう顔で目をぱちくりさせていた。

 それは自分の迂闊さや思い込みに気が付いたかのような色を含んでいる。


「……もちろん、ひめちゃんも一緒だよね?」

「当然だろう、春希? それがどうかしたか?」

「うぅん、なんでも」


 そういって春希は、曖昧な笑顔を見せた。

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