230.引き延ばし


 文化祭実行委員を運営する部屋は、部活棟でも一際大きな生徒会室が兼ねられている。慣例として、生徒会副会長が文化祭実行委員長を兼ねているからだ。

 生徒会業務で使う区域をパーテーションで区切って隅に追いやり、確保したスペースに長机を並べられている。

 そして逼迫した空気の中、何人もの実行委員たちがはらはらと入り口付近を見守っていた。


「ご、ごめんなさい、こちらの発注ミスで……すぐに各所に声を掛けて調整を行いますので、そのっ!」

「あぁ、その、わかってくれればいいんだ。だから、ええっと、頭を上げてくれ!」


 春希は目尻に今にも泣き出しそうなほど大粒の涙を湛え、肩を震わせつつぎゅっとスカートの裾を掴むがしかし、職務に忠実たらんと気丈に振舞う様は正に健気。見た目も清楚可憐な春希にそんな風に言われれば、なおさら。

 最初は怒り心頭といった体で怒鳴り込んできたガタイのいい大柄な男子生徒も、まるで自分が春希を苛めているのではと錯覚し、おろおろと必死になって春希を宥めようとする。


「人手が……というのは言い訳ですね。出来るだけ早く対処しますので、少しお時間ください……っ!」

「お、おぅ。べ、別に今すぐ必要ってわけじゃないしな、うん。ゆっくりでもいいよ」

「そんなっ! こちらのミスなのにっ」

「い、いいから! それじゃもう行くから!」


 そう言って男子生徒はそそくさと去っていく。

 彼を見送り、春希が「ふぅ」と大きなため息を吐いて生徒会室の扉を占めるのと、パチパチと拍手が上がるのは同時だった。

 そして上機嫌の白泉先輩が、ぎゅっと春希に抱き着き頬擦りしてくる。


「やー、助かったよ二階堂さん! あいつ、去年もちょっとしたことで怒鳴り込んできてさー、何度も言い合いになったんだよねー」

「そんな厄介な人、私に押し付けないでくださいよ……」

「あっはっは、私が出ると喧嘩になるだけだし! てかパイプ椅子が足りないくらいクラスの椅子でどうにかしろってーの! そう思わない?」

「それはまぁ、確かに」


 容易にその光景が想像でき、思わず苦笑する。

 すると白泉先輩は、しみじみといった様子で言う。


「でも二階堂さんクレーム処理上手い、というか多才だよね。昼間グラウンドの境界で揉めた時はサッと数字を出してクールな感じで理路整然と説明してくれたし、体育館の練習時間の衝突は一喝して収めたし。ついさっきのもだし」

「相手を見てそれぞれ一番効果的な方法を選んだだけです」

「いやー、普通そういうのできないって! でもおかげ様で私だけじゃなく、皆も随分助けられちゃってるし!」


 白泉先輩が「ねーっ」とばかりに他の実行委員の人たちに同意を求めれば、「オレも代わりに上手説明してくれて助かったよ!」「私が涙目になってるところに颯爽とやってきてくれてカッコよかった!」「後輩だけど頼りになるというか、自分も負けてらんないってなっちゃう!」という賞賛の声が上がる。

 春希としてはいつも通り相手に合わせただけなのだが、こうも褒められれば悪い気はしないが少し気恥ずかしい。

 そして白泉先輩はぎゅっと両手を取り、ぐいっときらきらと期待に輝かせた顔を近付けて来た。


「二階堂さん、やっぱり文化祭実行委員に、いや、正式に生徒会に入ってよ! 適任だって!」

「えっと、それは……」

「ほら、他のメンバーともなんだかんだで顔見知りになってるしさ、たまにいつ入って来てくれるんだろーって話してるんだよねー」

「ありがたいお話ですけど、今回はクラスの出し物にメインで出ることになったので当日顔を出せませんし、今の時期のお手伝いだけで……」

「ええ~っ!?」


 春希がやんわり遠回しに断ると、白泉先輩は子供っぽく拗ねた顔で唇を尖らす。

 周囲からも「二階堂さんって生徒会役員じゃなかったんだ……」「体育祭の時も運営で走り回ってるのと見てたから、てっきり」「会長選に出たら投票するよーっ!」「むっ、私のライバルになるね!」といった声が上がる。

 その様子を見た春希は、申し訳なさを滲ませた困った顔にくしゃりと歪む。

 思えば白泉先輩との付き合いも長い。

 隼人と再会する前の5月体育祭実行委員の時からだ。

 動機はもちろん生徒会入り。

 良い子・・・であろうとして。

 また指定校推薦など、内申点稼ぎという打算から。

 当時のその道を歩むことに何ら疑問も抱かず、そうすることが最善だと信じて疑わなかった。

 事実皆の目にも、絵に描いたような理想的な優等生として眩く映っていたことだろう。今、この生徒会室から向けられている視線のように。

 ふと、生徒会室に戻ってくるとき、渡り廊下から見えた隼人の姿を思い返す。

 伊織たちクラスメイトの男女数人と、和気藹々としながら買い出しへと校門を出て行っていた。

 それはどこにでもあるような、ごく普通な高校生グループに見えた。

 だというのに、どうしてあの輪の中に自分がいないのだろう?

 そんなの分かり切っている。

 これは自分が蒔いた種だ。

 自ら生徒会に入ろうと画策しておきながら、今になってのらりくらりと交わしているのは、ひどく不誠実に思える。

 だが、ふと生徒会に入った時のことを想像してしまう。

 いつも慌ただしく、しかし楽しそうにしている白泉先輩を見るに、その仕事は確かにやりがいがあるのだろう。青春の1ページになるに違いない。

 だけど、その隣には隼人がいない。

 きっと春希が生徒会や各種学校行事の運営で奔走する傍ら、隼人は友人たちと笑いあったりするのだろう。

 やがて訪れる受験勉強も、春希が推薦を決めて悠々としている横で、隼人は皆と勉強会をしているかもしれない。

 ――今日みたいに。

 それは考えただけで寂寥感を抱かる。

 ならばやはり、生徒会への態度をはっきりとさせなければ。

 だとういうのに、そう思う度に母の顔がチラつき躊躇ってしまう。

 そんな自分が情けない。

 春希は自嘲を零し、白泉先輩からひょいと一歩距離を取る。

 そして努めて明るい笑みを浮かべた。


「そういえばパンフレットの原稿の提出がまだのところありましたよね? 私、回収してきます!」

「あっ!」


 春希は返事を待たず、机の上に置かれていた書類を掴み部屋を飛び出す。

 背中に「逃げられた!」と叫ぶ白泉先輩の声を聞きながら、ふと顔を上げた先にあった部室棟の廊下に映った自分の笑顔は、まるで仮面を貼り付けたように酷薄な、しかし見慣れたものだった。

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