229.身に覚え


 小柄なみなもはプラネタリウムで使うと思しき黒い大きな紙で視界を塞がれつつ、それらを持つ手のメモを見ながらふらふらきょろきょろと周囲を見回している。

 何かを探しているようだ。買い出しだろうか? しかし周囲にはみなもの他は誰もいない。

 首を傾げるものの昼休み様子を見るに、無理矢理押し付けられたというわけではないだろう。

 それを証明するかのように、みなも本人の顔にも後ろ向きな色は見られない。だけど隼人には、その姿にひどく既視感を覚えるものがあった。

 眉間に皺を刻む。

 そして隼人は自分の荷物を見回して持ち直し、素早くみなもの下へ駆け寄り、サッと彼女が持っているものを手に取った。


「みなもさん、それ、俺が持っておくよ」

「え、隼人さん……?」


 みなもはいきなり現れた隼人に驚き、目をぱちくりとさせた。

 何か言いたげに口を開きかけるが、隼人は何も言わせまいと矢継ぎ早に言葉を続ける。


「他にも買うものあるんじゃないか? 邪魔になるだろうし、だからその間ね」

「え、あ、はい。あとカラーセロハンだけなんですけど」

「あぁ、光に色を付けるやつ。……って、それ、どこで売ってるんだ?」

「私も普段あまり縁がないものだから、どこにあるのかわからず困っていて……」

「なら店員さんに聞いてみよう。すいません――」

「あっ」


 隼人は言うや否や、近くで品出ししていた店員を掴まえ、カラーセロハンの売り場を聞く。文具コーナーという意外な返答に驚きつつも足を向け「行こう」と声をかければ、呆気に取られていたみなもも慌てて追い駆けてくる。

 そしてエスカレーターで1つ階を下ってすぐのところに文具コーナーがあった。


「俺はここで待ってるから、買ってきなよ」

「はい、すいませんっ」


 隼人がそう言って促せば、みなもはパタパタと小走りで売り場へ駆け出して行く。

 その後ろ姿は直感的に隼人を待たせまいとして急いでいるわけでなく、まるで何かから逃げているように見え――そして幼いはやとかつての自分自身とも重なった。

 隼人は「あぁ」と苦みの混じったため息を零し、くしゃりと顔を歪ませる。

 どうしてかかつての自分と重ねたかだなんてよくわかっている。今朝の春希の言葉も蘇る。

 思い返すのは5年前、母が一度目に倒れた時のこと。

 寝不足と焦燥感に彩られたその顔は、きっと何かをしていないと不安や恐怖で押しつぶされてしまいそうになるからなのだろう。


「お待たせしました!」


 隼人が表情をますます険しくしようとしているところへ、みなもが戻ってきた。

 咄嗟にいつもの顔を取り繕おうと試みるがしかし、やけに強張ってしまった顔が元に戻らず、くるりと背を向ける。


「時間も時間だし、さっさと学校に戻ろっか」

「はいっ。あ、私の荷物……」

「ついでだし、このまま俺が運ぶよ」

「でも」

「いいから」

「…………」


 そう言って隼人は足早に外へと向かう。声色が硬くなっている自覚はあった。

 みなもはそれ以上何も言わず、ただ後ろを追ってくる。

 店を出れば西へと傾いた太陽が揺らめいているのが見えた。

 行きはクラスメイトと騒ぎながら歩いた道をしかし、帰りはみなもと一緒に無言で歩く。

 大通りの歩道をザッザッとアスファルトを蹴飛ばす規則正しい音を刻み、そのすぐ側では多くの自動車が絶え間なくエンジンの駆動音を喚き立て排気ガスを撒き散らしながら行き交っている。

 なんとも気まずい空気が流れていた。

 隼人の胸の中では思い出してしまった焦燥、歯痒さ、無力感といったどろりとした感情が渦巻き、それらを振り払おうと自然と足が早くなる。

 するとその時背後から、「ふぅっ、ふぅっ」というと少しばかり息を切らす声が聞こえてきて、そこでようやくみなもと一緒だったことに気付く。

 女子の中でも小柄なみなもと、男子でも背丈の高い方の隼人とでは歩幅も随分違うだろう。

 バツの悪い顔でちらりとみなもを見て――息を呑んだ。


「っ!」


 俯く顔には影が差し、まるでみなもは自分が何かやらかしてしまったのかと己を責めているかのよう。

 それはどこかかつて母が倒れた時のひめこ・・・や出会ったばかりのはるき・・・に通じるものがあり、それが余計に隼人の胸を軋ませ――そしてそんな顔をさせている自分自身が無性に許せなくて、ゴツンと荷物を持った手で額を強く打ち付けた。


「あぁ、くそっ――痛ぅー……」

「は、隼人さん!?」

「ごめん、みなもさん。ちょっと昔のイヤなこと思い出しちゃって……それで感じが悪い態度取ってしまった。許して欲しい」

「そんなっ! 許すとか私は別に……それより、イヤなことって……」

「それは……」


 みなもが隼人を気遣う心配そうな顔を向けてくる。

 隼人はどう言ったものかと「あー」と母音を口の中で転ばす。

 適当に誤魔化すことを考えた。

 しかし先ほどの自分のあからさまに何かありましたといった態度を鑑みるに、そんなことをするのは不誠実だろう。

 また、みなもは母の事情も知っている。

 それにきっと――


「俺が料理するようになった切っ掛けってさ、5年前に母さんが一度目に倒れた時だったんだ」

「……ぁ。それって必要に迫られて、だったんですね……」

「いや――」隼人はそこで言葉を区切り、自嘲と共に首を横に振る「周りの人たちからご飯の用意するよっていう申し出はいくつもあったよ。田舎だからさ、皆が顔見知りだし心配してくれて……だけど、断った。受け入れられなかった。何かをしている時だけは不安や寂しさを紛らわせたから。……そんな、自分勝手な理由で差し伸べられた手を払いのけたんだ」

「隼人、さん……」

「それだけじゃない。当時、妹も母のことがショックでふさぎ込んじゃってて、何とかしようとしても上手くいかなくて……ははっ、結局沙紀さん、妹の親友がなんとかしてくれたんだけどな」

「…………」


 一度吐き出してしまった胸の奥底にあった想いは、言葉となって止めどなく零れ落ちていく。なんとも自らの無様を謳った愚痴だろうか。

 いつだって何もできなかった己に嫌気がさす。

 みなももどう応えていいのかわからず、困った顔をしている。

 あの時は相談できる同世代の友達が1人もおらず、どうしようもなく1人だった。

 だから、思うことがある。もし、はるき・・・がいたら、どうだったのかと。


「もし――」


 そこで言葉を区切り、自然と呆れたため息を吐く。

 そんなたらればの話、今更考えても仕方がない。

 考えるべきは今、みなもについて。

 みなもが何か問題を抱えているのは明白だ。だけど、そこに踏み込んでいいか躊躇ってしまう。

 これがもし伊織や一輝なら、同性の友人ならば遠慮なく訊ねていたことだろう。

 しかし出会って以来仲良くしているとはいうものの、みなもは女の子だ。

 女の子との距離感は、ひどく難しい。

 最近、沙紀とのことで思い知らされているから、なおさら。

 その時、ふいに春希の顔が浮かんだ。

 だけど春希ならどんな話を聞ける。

 春希は特別な――相棒特別な友達だから。隼人のできないことをやってのけてくれる。

 それに春希ならみなもと同性で、お泊りもしている仲だ、春希相棒のことだ、切っ掛けさえつかんでみなもと一緒になれば悩みを聞きだし、そのままなんとかしてくれるかもしれない。そんなことを思うと、頬も緩む。

 隼人は自然と零れた笑みをみなもに向けた。


「もしよかったらさ、今度みなもさんに春希とか誘って遊びに行っていいかな?」

「……へ? 私んですか……?」

「あぁ、久々にお祖父さんにも怒鳴られたくなっちゃったしね」

「まぁ! でも誰かが訪ねてくると、おじいちゃんも喜ぶと思います!」


 唐突な隼人の提案にみなもは目をぱちくりとさせた後、破顔する。

 隼人は努めておどけた態度でみなもに話しかける。


「ところでこの前クリームシチューを作ったんだけどさ、牛乳と間違えて飲むヨーグルトを入れちゃって」

「あはっ、パッケージ似てますもんね。それで、どうしたんです?」

「慌ててカレーに変更して誤魔化したよ。まぁ、何で具材がブロッコリーや鮭なんだって不審がられたけどさ」

「ふふっ、それって――」

「まぁ、よくある――」


 そして今この時だけでもと、明るい話題で笑顔を咲かせるのだった。

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