231.話がしたいの
春希は未提出リストを片手に、当該箇所を巡る。
「ごめーん! うちの担当がついうっかり忘れてたみたいで!」
「いえ、おかげですぐ回収できましたので」
「もぅ! 忘れてたやつには、こっちからちゃんと言っておくから!」
「あはは」
そう言って春希と話していた2年の女子生徒は眉を吊り上げながら、こそこそ逃げ出そうとしていた男子生徒の方へと大股で詰め寄っていく。
すぐさま捕まり、バツの悪い顔で言い訳をする男子生徒。
ぷりぷり頬を膨らませ、腰に手を当て彼にお小言を浴びせる女子生徒。
そんな2人を微笑ましく見守る2-5の面々。
春希も彼らの姿に口元を緩ませながら教室を後にした。
廊下を歩きながら、先ほど受け取った原稿をクリアファイルに挟んでいると、校内のいたるところから賑やかな声が耳朶を叩く。
サッと周囲に視線を走らせてみる。
やけに張り切る男子生徒。
積極的に駆け回る女子生徒。
仲睦まじげにはしゃぐ男女の集まりに、文化祭での出会いに期待を寄せる男子たち、あるいは女子たちのグループ。
「ふぅ」
春希は何ともいえない顔でため息を零す。
皆で集まり一緒に何かの目標に向けて行動するという状況は、一体感を覚えると共に人間関係も大きく変化させる切っ掛けになるに違いない。
今まであまり接点のなかった相手へアプローチしたり、自らをアピールしたりする絶好のチャンスでもある。
先ほどの2-5でのことを思い返す。あぁ、きっとあれもそういうことなのだろう。
春希のクラスにだって、何人か気になる相手へアプローチをしようとしている人がいることも気付いている。その中には、自らにもその行為をうっすらと向けられているということも。
正直なところ、付き合いたいとかいう気持ちが今一つよくわからない。
一番親しい異性――隼人のことを思い浮かべれば、なおさら。
それに、変化は苦手だ。
しかしその時、ふいに沙紀の顔が脳裏に過ぎる。
このままではいられないと、月野瀬から1人都会にまで追いかけてきた、とても眩しい女の子。
その行動力の源は、きっと、胸に秘めた想いの熱なのだろう。
彼女の変化は、春希としても好ましいものだ。その、はずだ。
そしてもう1人、最近変わりつつある人がいる。
一輝。
自分と同じく周囲に合わせるのが上手い、同種と思っていたはずの、隼人の友人。
彼が秋祭りでふいに気付いてしまった想いを零してしまった時の顔が頭にかすめれば、たちまちあの時感じた熱が再燃し、胸を焦がす。
春希は咄嗟にその熱を振り払うように
そしてリストに目を落とし、顔を顰めた。
「……演劇部」
正確にはそこに所属する、高倉柚朱。一輝への好意を公言している、去年度の文化祭で時の人となった才媛。
胸中は複雑だった。
まっすぐな物言いをする彼女のことは、少しばかり苦手意識がある。それだけでなく、一輝の姫子への想いを聞いてしまったから、余計に。
とはいうものの、今は文化祭実行委員としての仕事中だ。
後回しにすることも一瞬ちらりと考えてしまったが、元より未提出のところはそれほど多くない。それに、必ずしも彼女と遭遇するということもないだろう。
はぁ、と大きな嘆息を1つ。
気を取り直し、演劇部の部室である第2被服室へと足を向けた。
◇
第2被服室の前では、何人かの生徒たちが大きな板に張り付けられた模造紙に、背景の下絵を描いていた。いわゆる書き割りだ。文化祭で使うのだろう。
春希は彼らの中に高倉柚朱がいない確認し、一番手前に居た女子生徒に話しかける。
「あの、すいません」
「うん? 君は……?」
「文化祭実行委員なんですが、その、パンフレットの原稿がまだでして」
「あーっ、うち、演目決めるの遅かったから! ちょっと待っててね、聞いてくる」
「お願いします」
そして彼女は「ねー、パンフの原稿持ってるの誰だっけー?」と言いながら、第2被服室と入っていく。中から彼らの会話が聞こえてくる。
「あれ、部長じゃない?」
「私知らないよ、みゃー子に頼んで渡したよね?」
「その後、イラスト入れたいって話になって、漫研の知り合いに頼まなかったっけ?」
「そういや昨日、大机の上に置かれているのを見たわ」
「……大机の上、今衣装作りの材料ですごいことになってるんですけど」
「ぎゃーっ!」
「さ、探せ探せ!」
そんな慌ただしいやり取りを耳にすれば、春希もあははと苦笑い。廊下で書き割りを作っている残りのメンバーとも困った顔を見合わせる。
するとややあって、バタバタしていた第2被服室から「あった!」という歓声が聞こえてきた。
春希も無事に見つかったことにホッとする。
そしてガラリと開いたドアから現れた人物に、春希は頬を引き攣らせた。
「お待たせしたわね……あら?」
「っ!?」
高倉柚朱だった。
てっきり先ほど声を掛けた女子生徒出てくるとばかり思っていたので、動揺から目を泳がせてしまう。
発掘されたパンフレット原稿を片手に持って現れた彼女は、そんな春希を見て目を何度か瞬かせた後、スッと細めた。
そして柚朱は春希に原稿を手渡し、にっこりと微笑む。
「これで大丈夫かしら?」
「え、えぇ。問題ない、と思います」
「そう、よかったわ」
サッと目を通したところ、特に不備はない。
これで目的は果たした。もうここにいる用はなく、さっさとこの場を去ろう。そう思い、春希は身を翻す。
「ではこれで――」
「待って」
しかし逃さないとばかりに手を掴まれる。
春希は困惑しつつもしかし毅然とした態度を取り繕い、瞳に少しばかり抗議の色を纏わせ見つめ返す。
「あの、何か?」
「私もついていってもいいかしら?」
「え? いやでも準備中じゃ……」
「私の方は大丈夫だわ。それよりもあなたと話がしたいの」
「話……?」
嫌な予感がする。眉間に皺を刻む。
そもそも高倉柚朱と春希の接点なんて、1つしかない。
その答え合わせをするかのように、彼女は歌うように告げる。
「もちろん、
「っ!」
「その顔、色々興味深い話が聞けそうね」
「……」
何を言われるかわかっていても、感情が揺れて表情に出てしまう。
高倉柚朱は獲物を見つけた肉食獣の様に、獰猛な笑みを浮かべた。
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