27.明日、はるちゃん借りるよ?


 週末の休みを控えた金曜日。隼人のスマホを選びに行く約束をした平日最後の日の夕方。

 この日も朝から蒸し暑く、それは夕方になっても一向にやわらぐことはなかった。


「あ゛~う゛~ただいまぁ~、おにぃ、アイスぅ~」

「冷凍庫にあるから勝手に持ってけ」

「あ、ひめちゃんおかえり~」


 姫子が汗だくになって帰ってくれば、クーラーの効いた部屋で出迎えてくれたのは、キッチンで夕飯を作る兄隼人と、リビングのソファーで寝転びながら漫画を読む春希であった。


 夕飯を一緒にする――その約束をした春希は、早速とばかりに隼人と姫子の家に訪れていた。気心知れた仲だからこそ、彼女の中には遠慮というものは無かったらしい。もっとも、寂しいという気落ちも強かったのかもしれない。

 しかし、その春希の姿は色々酷かった。姫子が思わず眉をひそめてしまうほどのくつろぎようだった。


 ソファーの上でクッションを抱いてうつ伏せで寝転び、スカートが捲り上がるのなんてまるで気にせず、靴下を脱いだ足をパタパタと動かしている。その女子としてはあまりにガードが緩すぎる有様は、案の定姫子の目に、紺色で地味で色気のないボクサータイプのショーツを見せていた。


「はるちゃん、それ……」

「ん? あ、これね! ちょっと前にアニメになって流行った大正時代がアレな漫画! 品薄で全然買えなかったけど、やっと手に入れられたんだ。ほら、ひめちゃんもこっち来て一緒に読もうよ」

「いやその、そうじゃなくて……」

「うん……?」


 きょとんと首を傾げる春希。それは姫子も思わず「うっ」と、唸ってしまうほど愛らしい。

 しかし可愛くしかも際どく色っぽいハズの姿にもかかわらず、あまりに残念過ぎる姿であり、思わず額に手を当てた。


 姫子が兄の方に目を向けてみれば、そんなことよりもとザクザクと野菜を切っている姿が目に入る。

 まるでこれが自然体だといった感じで、全く気にしているという風はない。

 良くも悪くも昔と同じ関係に、呆れつつも口元が緩んでしまう。


「ひめちゃん、ほらほら!」

「……もぅっ!」


 身を起こした春希は、漫画を片手にきらきらした目でパンパンとソファーの隣を手で叩く。どうやら一緒に漫画を読もうということらしい。

 姫子は大きなため息を吐きつつも、春希と一緒に漫画を読むことにする。

 それはバトルアクションがある少年漫画なのだが、この少女2人にとっても非常に心に突き刺さったらしく、夢中になってしまう。


「はるちゃん、続きは、2巻はどこ⁉」

「はい、これ。ようこそ、こちらがわへ!」

「何やってんだ、あいつら……」


 結局2人は、夕飯が出来上がるまで無言で読みふけっているのであった。




◇◇◇




「いただきま~す」

「う、おにぃ、これ……」

「トマト、残さず食えよ」


 本日の夕飯は冷しゃぶサラダうどんだった。

 細めの麺を冷水でしっかりと締めたうどんに、水菜、べビーリーフ、長ねぎ、キュウリにカイワレ、トマトを載せて、豚バラ肉を冷しゃぶしたものを合わせたものだ。

 それにポン酢かごまダレ、その他ドレッシングをお好みでとなる。

 本日は暑くて皆も食欲はあまりなかったが、あっさりしたこれならばと、ぺろりと平らげた。


 ちなみに苦手な生トマトを出された姫子は渋い顔をしたものの、隼人の妙な圧を受けながら無理矢理飲み込んだ。

 食事を終えてお茶で一息を吐いているとき、ふと何かに気付いたといった様子の姫子が声を上げる。


「あ、そうだおにぃ、明日の土曜日さ、はるちゃん借りていい?」

「え、ボク?」

「まぁ、スマホは日曜日に見に行けばいいし」


 姫子は春希と共に隼人がついにスマホを選びに行くことを知っていた。

 そして、春希の私服のセンスが壊滅的だということを知っていた。知ってしまった。あれは年頃の乙女として、とてもじゃないが看過できない。


「そそ、デートしよ、はるちゃん。友達デート」

「デ、デ、デ、デ、デ、デートぉ⁉ ボクと⁉ ボク、デートなんてしたこと無いよ⁉」


 春希はデートという単語に反応して、急に顔を真っ赤にして慌てふためく。そうしたことに耐性が無いのか初々しい反応である。姫子は、グッとからかいたくなる気持ちを抑え込みながら言葉をつむぐ。。


「そんな大層なものじゃないよ。はるちゃんだって今まで散々おにぃとデートしてるじゃん。野山散策デートに川飛び込みずぶ濡れデート、6時間耐久蝉取りデートとかもあったっけ?」

「あ、確かに」

「まったく、色気の欠片も無いデートだな」


 あぁ、なるほどと手を叩く春希。当時のことを思い出して、くつくつと喉の奥で笑いを噛み殺す隼人。


「つまり、ボクとひめちゃんの2人で遊びに行くっていうことかな?」

「うん、そうそう」

「えーじゃあ、何して遊ぶ? てか隼人はいいの? のけ者になっちゃうよ? ボクとしては3人で――」

「服」

「3人で――」

「はるちゃんの服を買いに行きます」

「――姫子、さま……?」


 姫子の目は笑っていなかった。使命感すら帯びていた。そして逃さんとばかりに、獲物を見つけた狩猟者の笑みを浮かべている。

 春希はゾクリと背筋に薄ら寒いものを感じ、笑顔が固まる。


「は、隼人っ!」

「さ、さぁて、洗い物をしないとな」

「裏切りものーっ!」


 必死に助けを求めるものの、隼人は巻き込まれてはたまらないとばかりにキッチンに逃げ込む。その背中は、男が居たら邪魔だろうと、雄弁すぎるほどに主張しまくっている。


 春希は、そういう女子らしいことが苦手だった。

 敢えて関わろうとしてこなかったと言ってもいい。


「あたしさ、はるちゃんと一緒にさ、服選んだりとか、もっとお喋りしたりとかさ、昔以上に仲良くなりたいんだ」


 それは姫子の心からの言葉だった。

 だから春希も、姫子の真剣な目での訴えになると、心がほだされてしまう。

 そして、負けたとばかりに大きなため息。


「わかった。じゃあ明日、デートしよっか」

「はるちゃん!」


 感極まった姫子が笑顔になって、ヒシッとばかりに手を握ってくる。春希はこの年下の幼馴染に慕われているのを実感し、心が温かくなる。

 そして姫子は強引に春希を立ち上がらせ引っ張っていく。その顔は清々しいほどまでの笑顔だった。


「あの、ひめちゃん?」

「あたしの服貸すからさ、明日着ていくものを選びに行こ?」

「え? え? え?」


 まさかあのダサい私服で出掛けるわけはないよね? と姫子は有無を言わさぬ迫力で、春希を自分の部屋へと引きずり込んでいく。そして始まる強制ファッションショー。


「んー、なんか違う。じゃあ次はこれ」

「み゛ゃあぁあああぁ~~~~、まだやるの~っ⁉」


 その日、霧島家には夜遅くまで春希の切ない鳴き声が響き渡った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る