28.花


 土曜日の朝、その朝食後。

 隼人はリビングで姫子のファッションチェックに付き合わされていた。


「これどうかな? ちょっと子供っぽ過ぎないかな?」


 ソファーの前で姫子はくるりと回り、ワンピースの裾を翻す。ノースリーブの花柄で、如何にも女の子ですといった甘めのデザインだ。姫子はどこか納得いかないのか、うんうんとうなっている。


「あーうん、いいんじゃないか?」

「もぅ、おにぃ! 真面目に答えてよね!」

「と言われてもな……」


 ちなみに姫子が隼人に意見を求めるのは、これで3度目である。

 今の1つ前は胸元がざっくり開かれたカットソーにミモレ丈のチュールスカートでちょっと大人っぽい恰好。その更に前は先日夜のコンビニに着ていった年相応といった格好だ。


(どれも似合ってるし、どれでも良いと思うんだけどなぁ)


 姫子は結構な衣装持ちである。

 そして、状況に応じたこだわりがあるらしい。

 しかしながら隼人にはそんな妹のこだわりなんてわからないし、聞かれても困るというのが正直なところだった。そんな考えが隼人の顔に出てしまっており、ますます姫子の頬を膨らませる要因になってしまう。


 姫子が不満げな顔をしたまま隼人に詰め寄ろうとしたとき、ふと時計の針が目に入り慌て始める。


「あ、もう時間が! むぅ、しょうがない、これでいいか。はるちゃん一応、あたしより年上だし」

「え、もう出るのか? まだ9時前だぞ?」

「ふふっ、そりゃあ、はるちゃん家に寄って着させたりすると時間もかかるでしょ?」

「あぁ……」


 それじゃと言って、姫子はお気に入りのサンダルを履いて飛び出して行った。あの勢いのまま春希の家に押しかけるのだろう。


 姫子を見送った隼人は、やっと解放されたとばかり大きなため息を吐いてソファーに座って伸びをした。

 周囲を見渡せば、荷ほどきもほとんど終わって片付いた綺麗なリビング。隼人の部屋も似たようなものだ。姫子の部屋はまだ半分以上残っているが、隼人がやるわけにはいかないだろう。

 かといって、他にやるべきことが無いという訳じゃない。


「さて、やるか。ええっと、こっちだと燃えるゴミは月曜か――」


 ごみの分別に、水回りやリビング廊下といった共有部分の掃除。溜まった洗濯物についでとばかりに布団のシーツも洗う。

 その手際は随分手慣れており無駄がなく、テキパキとこなしていく。

 さすがに姫子の下着を干す時だけは眉間に皺が寄った。別に不満があるというわけじゃない。いかに妹と言えど、異性の下着に触れることに少しだけ抵抗があったのだ。


 そうこうしているうちに家事も終わる。月野瀬の家と比べると小さいので、予想よりもすぐだった。


 時刻は11時の少し前。

 お昼にするにはまだ早く、それに1人分だと作る気にもならない。一応、何かないかと冷蔵庫を覗いてみるも、見事に空。どちらにせよ、外に出る必要があった。


「……行ってみるか」


 隼人は逡巡した後、自分に言い聞かせるように呟くと、リビングの棚からとある封筒を取り出した。そしてノートPCを起動させ、そこに書かれている住所の場所を確認する。

 その顔は、どこか神妙な面持ちだった。




◇◇◇




 マンションから出た隼人は、最寄り駅へと向かった。取り立てて言うべきことの無い、ごく普通の駅舎である。


 そこで隼人は「本当に10分くらいで駅に着くんだ」とか「1時間に10本も電車があるなんて」と驚きつつ、2駅分の時間を車両に揺られることになる。そこでまた「え、1駅分てこんなに短いの⁉」と驚きつつ電車を降りれば、そこからも確認できる白亜の大きな建物を目指した。


 郊外とも言えるところにあるそこは、やたらと広い駐車場と憩いの場のような芝生や花壇が植えられており、緑が多いにもかかわらず、どこか無機質な印象を抱かせる。

 やたらと間口の広いロビーに入り受付を済ませると、6階のとある部屋を目指す。

 617――そう書かれていたのが、母が入院している病室だった。


「あら、隼人?」

「母さん」


 6畳ワンルームといった感じの病室では、やや痩せて線が細くなった母が、果物ナイフで梨を剥いているところだった。


「食べる? リハビリ兼ねて剥いていたら、やり過ぎちゃって」

「ああ、うん……って、量が多いな⁉」

「あっはっは、3個分あるからね!」

「食べきれるのか、これ? 何やってんだよ」

「大丈夫よ、余ったら今夜にでもお父さんに食べさせるし」

「親父……」


 隼人はケラケラと元気そうに笑う母から、無駄に丁寧に木の葉やウサギに飾り切りした梨を受け取り口に運ぶ。シャキシャキとした食感と甘酸っぱい香りが口の中に広がっていく。

 母はそんな美味しそうに食べる隼人の姿に目を細めて見ており、その視線に気付いた隼人は何だか気恥ずかしくなってそっぽを向き――そして気になっていた事を聞いた。


「あーその、大丈夫そう……なのか?」

「そりゃあ手術も成功したしね。多少指先に痺れはあるけど、それも近いうちにリハビリ病棟に移れそうだし……それより姫子は? 泣いていない?」

「元気にしてる。今日もはる――友達と遊びに出かけた」

「そっかー」


 それを聞き、母はあからさまに安堵あんどの表情に変わり、ため息を漏らす。隼人も元気そうな母の姿を見て、安堵の息が漏れた。


「じゃ、俺はもう帰るよ」

「あら、ゆっくりしてけばいいのに」

「勘弁」


 結局、梨3個分をぺろりと平らげた隼人は、名残惜しそうにする母を背に、そそくさと部屋を出る。

 一刻も早くここを出たい――そんな思いがあった。


 母が倒れたのは、姫子の目の前で倒れたのは二度目(・・・)だった。

 大丈夫だとは父から聞いていたものの、実際目にすると思った以上に状態も良さそうで、安心したというのもある。


 隼人は病院という場所が苦手だった。

 日常とかけ離れた場所、異常事態が具現化されたスペース。

 清浄であろうと演出する白く清潔な空間を、消毒薬の匂いで香りづけされ、至る所に刈り取られた色とりどりの花が、晒し首のようにしかし華やかに装飾されている。


 そんなどこか歪さを感じさせる場所――それが隼人にとっての病院だった。


「あ」

「え?」


 だからそれ・・を見た時、ひどく驚いた。

 それ・・を持つのは、羊に似たくりくり髪の小柄な少女。校舎の花壇に野菜を植える、一風変わった女の子。


「み、三岳さん?」

「霧島さん……?」


 どこか見慣れた、白、黄、紫の鮮やかな花束――野菜の花の、花束だった。

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