245.みなもの事情、春希の叫び


 みなもの言葉でそれまで鉄の様に硬かった彼の表情が、ピシリと僅かに歪む。

 ますます状況の理解に苦しみ眉を寄せるがしかし、それでもわかったこともある。

 どう見ても良好に見えない父娘関係。ここ最近みなもが抱えていた問題は、父親に関することなのだろう。

 みなもの祖父はキッと眉を吊り上げながら、孫娘を庇うかのように一歩前に出る。


「何しに来た、航平」


 詰問するかのような声色に、緊張の色がありありと滲む。

 しかし航平と呼ばれたみなもの父は「フンッ」とつまらなさそうに鼻を鳴らす。

 そしてまるで路傍の石を見るかのような、少なくとも自分の娘に対するものとしてはおよそ不適切な視線をみなもに向ける。


「あの女の娘に会いに来ただけだ」

「っ! 航平っ!」


 その言葉でピシャリと場の空気が固まった。

 みなもはビクリと肩を跳ねさせ、哀し気に瞳を揺らし睫毛を伏せる。

 しかし航平はそんなみなもの様子に気にも留めず、まるで居ないものとして祖父へ話す。


「……父さんはコレが不気味だとは思わないのか?」

「おま、お前、何をっ!」

「少なくとも傍に置くとか、今のオレには無理だよ」

「っ!」


 隼人は瞠目し、息を呑む。

 自らの娘に対し、歪さを隠そうとしない親。

 それを目の当たりにした隼人は反射的に隣の幼馴染の頬へと視線が行き、昨夜春希がされた仕打ちを想像してしまって――頭が真っ白になると共に、一気に血が上ってしまう。

 よその家庭の事情だとか、相手が友人の父親だとか、そんなことは義憤によって吹き飛ばされ、気が付けば彼の胸倉に掴みかかっていた。


「おい、アンタッ!」

「こ、小僧っ!」「は、隼人さん!?」

「っ! なんだ、キミは? 我が家の問題だ。部外者は黙っていていただきたい」

「これが黙っていられるかよ、さっきから何だ!? これがみなもさんに、自分の娘に対する言葉か!」

「…………あぁ、それか」


 激情をぶつけるようにぎちりとスーツの襟を締め上げ、相手を浮かび上がらせんばかりの勢いの隼人。

 突然の蛮行ともいえる行動にみなもとその祖父も素っ頓狂な声を上げる。奄美婦人も息を呑み、れんとも「わふっ!?」と興奮気味に鳴く。

 だというのに航平は至って冷静にそれを受け流す。

 ゆっくりと煩わし気に隼人の手を払いのけ、襟を正しながら変わらない鉄面皮のまま淡々と冷え切った声色で、心の中のドロリとしたものを吐き出した。


「アレは不義の子、いわゆる托卵の可能性が高い。誰の娘かわからん。……オレの、オレの娘じゃなかったんだよ……」

「……………………は?」


 間抜けた声が漏れ、掴みかかっていた手が宙を彷徨う。

 言葉の意味が咄嗟に理解できず、にわかに信じられなかった。

 しかし押し黙り目を逸らすみなもと渋面で呻く祖父の態度が、彼の言葉が真実だと肯定している。

 初めは、みなもが父親と何かしら諍いを抱えているだけだと思っていた。

 焦燥しきった姿から、理不尽な何かを言われているのかとも。

 しかしその前提が違ってくる。

 彼こそが裏切られていた。

 みなもの父こそが被害者ではないか。

 その心の傷はいかほどか。

 感情を押し殺した鉄面皮はまるで、自らの心を守るものにみえてくる。

 ――春希の被った仮面笑顔のように。

 誰しもが沈痛な空気に溺れそうになる中、みなもの祖父はそれでも藻掻き喘ぐかのように口を開く。


「……まだそうと決まったわけじゃないだろう。そもそも、今までずっと一緒だったじゃないか……」

「別に追い出すために来たとかじゃない。学費や養育費だって払うよ。でもケジメだけはつけておきたい」

「っ! お父さん、これって……」


 みなもの「お父さん」と声に僅かに眉を寄せた航平は、そんなことよりもと鞄から小包のようなものを取り出し、みなもに有無を言わさず押し付けるように手渡す。

 困惑気味に受け取ったみなもは表紙に書かれている文字を目にし、みるみる表情を青褪めさせていく。


「DNA鑑定キットだ。白黒はっきりさせておこう」

「お父さん、でも……っ」

「お前も、父でもない男をお父さんと呼ばなくて済むだろう?」

「っ! 航平、お前っ!」


 それはみなもにとって、まるで絶縁状を叩きつけられたかのように見えたのだろう。ガクガクと持つ手が震えてしまっている。今にも倒れてしまいそうだった。


「――っ!」


 ふいに自らを恥じる。

 そして自分の中の、唯一確かなことに気付く。

 隼人にとって、友達は特別だ。

 だからみなもに、友達に、あんな顔をさせてなんかおけない。

 どうすればだとか方法を考えるよりも先に、みなもへと駆け出す。

 しかしそれと同時に、春希の仄暗く凍えるように冷たい言葉がこの場を切り裂いた。


「――ボクは、私生児だ。父親が誰かさえわからない」

「春希……?」「「え?」」「……春希さん?」


 父娘関係が取りだたされている中、春希の発言は嫌が応にも皆の興味を引く。

 驚愕、当惑、狼狽が支配する空気の中、春希は剥き出しの想いを爆発させた。


「産まれたことが罪だと言われた! 恥ずかしい子だとも、売女が仕事欲しさに出来てしまった汚らわしい存在だとも! ふざけるなっ、ボクが何をした! ただ産まれてきただけなのになんで……親の勝手な事情なんかでボクたちを振り回すなーっ!!!」


 流れる涙もそのままに声を震わせ、周りの目なんて知ったことか叫ぶ。

 それは今までぶつけられてきた悪意に、耐えに耐えてきた感情の発露。

 春希の心を思えば潰れそうになる胸を、奥歯が砕けそうになるほど噛みしめ、必死になって押さえる。


「行こ、みなもちゃん。こんなところに居ちゃいけない!」

「は、はいっ!」


 春希はみなもの手を取り、そのまま駆け出す。

 航平は「え、あ……」と呻き声を上げ瞠目し、呆然と立ち尽くす。春希の言葉は彼の鉄面皮を打ち砕き、動揺の色に塗り替えていた。

 隼人はそんな彼を一目見て眉を寄せる。そして身を翻すと共に、みなもの祖父からいっそ懇願するかのような声を掛けられた。


「小僧っ! ……………………みなもを、頼む」

「あぁ、もちろんっ!」


 そこに込められた万感の想いを受け取った隼人はいっそ獰猛な笑みで応え、2人を追いかけた。

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