59.ボクね、頑張るよ
(もちもちして柔らけぇ……)
それが今の隼人の心を占める感想だった。
緊張というか春希の態度を解そうとほっぺを摘んでみれば、指に吸い付くようなきめ細かい肌に、お餅のような弾力があって自由自在に形を変える。その感触に夢中になってしまう。
春希はそれに抗議するかのような目で「み゛ゃっ!」という鳴き声が上がれば、ますますムクムクと沸き起こる、弄繰り回したくなる悪戯心を抑えきれなくなってしまっていた。
「ははっ、こんなに伸びるんだ」
「ひょっほ、はひゃほーっ!(ちょっと、隼人ーっ!)」
周りの目なんて知ったことじゃない。
隼人はただただ春希のほっぺたを玩もてあそぶのに夢中になってしまっていた。
まるで小学生が気のある子にちょっかい出すのと似たような光景だ。高校生にもなって、するようなことではない。
さすがに見かねた姫子が止めようとする。
「ちょ、ちょっとおにぃ! 女の子の顔になんてことをやっ――」
「ほのっ!!」
「なっ?!」
「はるちゃんっ?!」
だが、いつまでもやられてばかりの春希でもない。
「ぐぎぎ」
「ぐぬぬ」
春希は反撃とばかりに隼人の頬を摘み返し、ぐねぐねと動かしては挑発をする。
隼人もお返しとばかりに、ほっぺを引いて回して押しつぶす。
それは正しく子供同士の戯れそのものだった。
隼人も春希も意地になり、しかし互いに笑みを浮かべながら、これはどうだと幼稚な応酬を繰り広げる。
諫めようとした姫子も、そんな隼人と春希の様子を見れば力が抜けて呆れてしまい、はぁ、と大きなため息を吐く。
止める者が居なくなった2人のじゃれ合いは、意外な形で水を差されることになった。
「ははっ、あははははははははっ!!」
「ほはひ?(親父?)」
「ほひはん?(おじさん?)」
「お父さん?」
突如、隼人と姫子の父親が、大声を上げて笑い出す。
心底可笑しいといった表情でお腹を抱え、その表情は隼人と春希を行ったり来たり。
呆気にとられる3人だったが、その瞳はひどく優し気で、この状況を歓迎しているというのだけはわかった。
「いや、失礼。昔と変わらず、仲良しなんだなっと思って」
「べ、別にそんなんじゃねぇよ」
「えぇっと、アレ、アレです、アレ!」
「おにぃ、はるちゃん……」
そう指摘されるや否や隼人と春希は慌てて互いの手を離し、顔を真っ赤にして反論するが、姫子は呆れてため息を吐くばかりだった。
「……あーその、夕飯作りに戻る」
「あ、これ! 頼まれてたヨーグルト!」
そして逃げるように台所へ行く2人を、姫子はこっそりとスマホで写真に収めるのだった。
◇◇◇
夕飯はいつもと違い、4人で摂った。
先ほどまでの空気はどこへやら、その空気は非常に和やかなものである。春希の態度もすっかりいつも通りだ。
「それでね、隼人ったらその女の子の胸をガン見しててさ!」
「ははっ、隼人がねぇ」
「ちょっとはるちゃん、その話くわしく!」
「……勘弁してくれ」
会話の中心にいたのは春希であり、話題は主に学校での隼人の関することだった。
普段知ることの無い隼人の話に、姫子も父も興味津々である。もっとも、本人としては堪ったものではないが。
他にも隼人のご飯が美味しくて姫子ともども太ってしまったことや、今日も美味しくておかわりしちゃってダイエットにならないとか、春希の口から出てくるのは不満に似た何かばかりである。
だけどそれは、2人の間にある確かな信頼と絆からこそくるというものだというのも、傍から見てもよくわかった。
そして、瞬く間に時間は過ぎていく。いつしか夜もとっぷりと暮れてしまっている。
姫子や隼人の父親から、「ちゃんと送っていけ」とも言われている。
そんなこと言われなくても、隼人は元からそのつもりだった。
コツコツとアスファルトを叩く音が夜の住宅街に響く。
星灯かりの見えない夜空も、最近は慣れつつもある。
「……」
「……」
先ほどまでよく喋っていた反動か、お互い無言だった。
しかし気まずいというわけではない。
むしろ春希の方は、どこか機嫌が良いとさえ言える。
だからそこに何か言うのは、野暮とさえ思えてしまっていた。
「……ボクってさ、結構めんどいやつだと思うんだよね」
「ん?」
それは突然の春希の呟きだった。
これまでの空気とは違い、自嘲めいたその感情の吐露に、隼人はびっくりしてしまう。
思わずその顔を覗き込むも、その顔はやはりというか一転して真剣で、どこか思い詰めているようにも見える。
「隼人はさ、何も聞かないよね。どうして……?」
「どうしてって……」
確かに、春希と再会して結構な時間が経っていた。
お互いに空白の時間があり、色々な変化があった。それが気にならないと言えばウソになる。事実、隼人は父の反応から春希のことが気にかかっていたのは否定できない。
だから考える。
考えながら、それらを整理するかのように言葉に出して、己の心を紡いでいく。
「昔さ――いや、昔もか。俺、当時の春希の家のこととか学校来てないこととか、全然知らなかった」
「……うん、そうだね」
「それでも一緒に遊ぶのが楽しくて気にならなかったというか……あぁ、そうか、そんなの
「……ぷっ、なにそれ」
「なんだよ、悪いかよ」
「うぅん、隼人らしいや」
そう言って、春希の顔に笑顔が戻る。
隼人のよく知る、見慣れた顔だ。
確かに今日は色々あった。
だけど、今日という日の締めくくりに、春希の笑顔を見られれば悪くないと思ってしまい――思わず言葉が零れてしまう。
「春希はそうやって、笑っていた方がいい」
「……………………え?」
それは隼人の心からの言葉だった。
隣に一緒に並んで、バカみたいにじゃれあって、そして自分も一緒に笑い合うのだ。
きっと今の隼人の顔も、春希に負けないくらいの笑顔になっているはずだ。
だけど街灯はあれど今宵は新月。暗くて互いの顔はよく見えない。
「……」
「……」
しばしの沈黙が流れる。
決して嫌な沈黙ではない。
「ね、隼人」
「ん?」
「ボクってさ、多分我儘な上、結構な欲張りだと思うんだ」
「はっ、今更だな」
「あはは、今更かぁ」
いきなり春希がそんなことを呟いた。
今まで散々振り回されてきた隼人にとって、それはわざわざ確認することもない当然のこととも言える。
そして春希は急に立ち止まったかと思うと、くいっと袖を引かれて止められる。
どうしたかと振り返れば、頬を赤らめた春希が声を震わせながらお願いしてきた。
「手、繋いでいい?」
「……手?」
「ダメ、かな?」
「いや、断る理由もないが……」
「それじゃ、失礼します」
「っ?!」
言うや否や春希は隼人の右手を取って、その細くなめらかな指を絡ませてきた。今までしたことのない繋ぎ方だった。
手を繋ぐこと自体は初めてではない。
月野瀬に居た頃や、再会してからも勢いで繋いだこともある。
だけど、これほどまでに密着したつなぎ方は初めてだった。
少しひんやりして、不安になるくらい柔らかな指に感触が、これでもかと春希が異性であることを伝えてくる。
(春希、こいつ何を……ッ!)
どういうことだと顔を覗いてみるも、暗くてよくはわからない。
だけど――
「ボクね、頑張るよ」
殊勝な声色でそんなことを言って、ぎゅっと手を強く握りしめてくれば、何も言えなくなってしまう。
「……そうか」
「うん」
何を頑張るのかはわからない。
だけど、春希がまた何か変わろうと、その一歩を踏み出そうとしているのだけはわかる。
そして、どちらかともなく歩く速度が緩められ、名残惜しいとばかりに亀の歩みで春希の家を目指すのであった。
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