第5章 ――たとえ、もう同じノリで接することが出来なくなったとしても
5-1
167.変化した日常
隼人は薄ぼんやりとした、ふわふわとした雲のような意識の中を漂っていた。
そのとても穏やかで心地のいい空間に身を委ねていると、タン、タン、タンというどこか間延びした音が聞こえてくる。どこか懐かしさを覚える音だ。
するとその音に誘われるかのように、幼い頃のユメを思い出す。
昔。
まだ何も知らず、無邪気にいつまでもこの日々が続くと信じていた時のこと。
隼人のユメはカウボーイになることだった。
大きな犬の背中に乗って羊の群れを追う、そんな
当時のユメそのままに、大きな犬が夢の中の幼いはやとを乗せて月野瀬のあぜ道を駆けていく。
茶畑、養鶏場、木材加工場。色んな景色が流れてる。あの頃は、カウボーイでも何にでもなれた。
ふと、夢の中の犬が
すると急に足元が崩れ、
そして藻掻くように手を伸ばし――
「――っ!」
まるでバネ仕掛けの玩具のように、上半身ごと飛び起きた。
じんわりと汗を掻き、ドクドクと心臓が脈を打つ。
幾分か和らぎ始めた白露結ぶ初秋の日差しが、カーテンの端から漏れている。
机の上でアラーム音を立てている目覚まし時計を見れば、いつもの起きる時刻。
寝癖の付いた髪を掻き上げながら目覚ましを止めて、ふぅとため息を1つ。
その時、またも扉の向こうからタン、タン、タンという音が聞こえてきた。
一体なんだろうか?
眉間に皺を作りつつ、半ば寝ぼけたままの頭でリビングに顔を出せば、目を見開いて固まってしまった。
「あ、隼人おはよー」
「お兄さん、おはようございます~」
「春希……それに沙紀さん?」
どうしたわけか、キッチンには幼馴染と妹の親友の姿。
慣れた様子でお皿を取り出す春希。
長袖のセーラー服の袖を幾分か捲し上げて、まな板の上で漬物を切り分ける沙紀。
部屋にはふわりとした優しい出汁の香りが漂っている。
何をしているかは明白だが、隼人は目をぱちくりとさせるばかり。
すると背後から匂いに誘われた姫子が、「ふわぁ~」という大きな欠伸とくぅ、というお腹の音と共に現れた。
寝乱れたパジャマに爆発させた寝癖、髪も制服もきっちりと着こなしている幼馴染2人とは対称的な姿だ。
「おはよ~、おにぃ何かいい匂いするお腹空い……ってはるちゃんに沙紀ちゃん!?」
みるみる目を大きく見開いた姫子は「うぎゃーっ!」と叫び声を上げながら、どたばたがっしゃん、慌てて洗面所に駆け込んだ。遅れて、ブォォォォーッというドライヤーの音が聞こえてくる。
後に残った3人は顔を見合わせクスリと笑う。
「で」
「で?」
「春希、これは一体どういうつもりだ。沙紀さんまで巻き込んで何を企んでる?」
「た、企んでるってひどい!」
「そ、その、最近少し落ち着いてきたし、お世話になりっぱなしだったから、サプライズで朝食をって春希さんが」
隼人がジト目で春希に詰問すれば、心外だとばかりに唇を尖らせる。
そんなやりとり見た沙紀が苦笑しつつ、少し羨ましさの滲んだ声でフォローを入れた。
「そうだったのか。ありがとう、沙紀さん」
「い、いえ……」
「ちょっ、隼人、ボクと反応違くない!?」
「春希はどうせ、朝ご飯を作って起こしてみるっていうシチュエーションをしてみたかったとかだろ」
「バレてる!?」
「わからいでか!」
「あ、あはは……」
今までと同じようで、少しだけ違うやり取り。
そうこうしている内にも朝食の準備は進んでいく。
隼人は手伝おうかどうか逡巡していると、ふいにそれまでぷりぷりとしていた春希が、ふわりとした笑みを浮かべた。
「隼人、こっちはボクたちがやっておくから着替えてきたら?」
「……お言葉に甘える」
「それと寝癖もね。ひめちゃんと同じところ跳ねてる」
「えっ!?」
隼人がバッと頭を押さえながら部屋へと駆け込む。
背中からはくすくすという、微笑ましい声が聞こえてきた。
◇◇◇
「わ、すっごい!」
ダイニングテーブルに並ぶ朝食を見て、姫子が感嘆の声を上げた。
ごはんにみそ汁、焼き鮭、大根おろし、納豆、ナスときゅうりの浅漬け、ひじきと大豆の煮物。見ただけでなかなかに手が込んでいることがわかる。
隼人もほぅ、とため息を漏らせば、へへんとドヤ顔を見せる春希と目が合い、あわててこほんと咳払い。
ムッと眉を寄せる春希。苦笑いを零す沙紀。
その隣でさっさと席に着いた姫子が、そわそわと早く食べようよと3人を急かした。
「「「「いただきます」」」」
食卓に4つの声が重なる。
朝はパン食が多い霧島家にとって、こうした純和風の朝食は非常に珍しくて新鮮だ。
そして隼人にとって誰かに朝食を作ってもらうというのも、随分と久しぶりのことでもあった。目を細め感慨深く眺めていると、疑問に思った春希が話しかけてくる。
「隼人、食べないの?」
「っ! あ、あぁいやその……うん? このみそ汁に入ってるこれって……?」
お椀の中では油揚げの他に、白くてぷるりとしたものが浮かんでいる。
初めて見る具材だった。思わず首を傾げてしまう。
「落とし卵です。
「へぇ、そうなんだ」
「うんうん、月野瀬の沙紀ちゃん
こうした普段の我が家とは違うところが余計に誰かに作ってもらったという感覚が際立っていき、心をざわつかせる。
だが、決して嫌なモノではないく、箸が進む速度もいつもより早い。
舌鼓を打っていると、ふいに対面の姫子が「わぁ!」と声を上げた。
その視線の先を追えば、リビングで点けっぱなしになっているテレビ。
『熱い季節はまだまだ終わらない! シャインスピリッツシティ、水着に浴衣70%OFF、この夏最後の売り尽くしセール!』
ナレーションと共に画面に映るのは、様々な種類の水着や浴衣に身を包んだ華やかな少女たち。その中の1つは、見覚えのある顔だった。
佐藤愛梨。
最近売り出し中のモデルで、一輝の元カノ。
テレビCMにまで出演するほど、人気があるらしい。
姫子が目を輝かせる一方で、隼人は側頭部からどこか不穏な空気が漂ってくるのを感じる。
「見て見て沙紀ちゃん、はるちゃん! 愛梨だよ、愛梨! ほら、こないだシティのイベントで生で見た、あの愛梨! えーっ、MOMOも一緒に出てる!」
「わ、わ、わ、もしかしてあの時の!? 姫ちゃんすごい~、テレビに出てる人と会ったことあるんだ」
「そうそうそう、アプリのね、抽選してて、外れたけどすぐ近くで! スタイルも良くて本物で……ってあの浴衣フリフリのヒラヒラ!?」
「ゴスロリ浴衣!? ふわぁ、都会って色んなものがあるんだね~」
「……案外沙紀ちゃん、ああいうの似合うかも?」
「え、えぇえぇぇ~っ!? あぁいうのってモデルさんだからだよぅ」
「そうかなぁ? でもああいうのを着た愛梨、生で見てみたいなぁ」
「うんうん。私も一度、芸能人を生で見てみたいよ~」
「それなら隼人に頼んでみたら? どういうわけか知らないけれど、あの愛梨と知り合いというか随分仲が良い感じみたいだし?」
「「…………え?」」
「は、春希っ!」
はしゃいでいた姫子と沙紀が固まった。
ぎぎぎと音を立てながら首をテレビから隼人に移す。その丸くなった目からは虹彩が消え、開かれた瞳孔は奈落のように暗い。
背筋に冷たいものが流れるのを感じる。
しかし隣の春希はどこ吹く風とばかりに、つーんとそっぽを向きながらご飯をかきこみ頬を膨らませている。
「おにぃ! 愛梨と、モデルの人となんていつの間に知り合ったの!?」
「お、お、お、お、お兄さん!?」
「い、いや知り合いというか、友達のその、知り合いなだけの遠い関係というか……」
「ふーん。知り合いの知り合いってだけの女の子に、水着姿で抱き合うんだ?」
「「だ、抱き合うっ!?」」
「あ、あれはプールで足を滑らせただけだから!」
「おにぃ、その話ちょっと詳しく」
「お兄さん、何か悪いこととかしてませんよね……?」
「姫子!? 沙紀さん!?」
「つーん」
お箸を置いた妹とその親友に詰め寄られる。絶対に逃さないという意気込みだ。
隼人は勘弁してくれとばかりに天井を仰ぐ。
するとその時、ガチャリとリビングの扉が開いた。
「ふわぁ……何やらおいしそうな――って春希ちゃんに沙紀ちゃん!?」
「「っ!?」」
欠伸を噛み殺しつつ顔を出したのは、どこか隼人と姫子の面影があるパジャマ姿の壮年の男性。2人の父、和義だった。驚きからか、隼人と姫子と同じ所にあった寝癖がぴょこんと跳ねた。
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