62.ぴったり
図書準備室は、文字通り図書室に隣接されている。
図書室自体が教室などがある場所からは外れの方に存在しており、また食堂とは逆方向にあるということもあって、昼時は人の気配はあまりなくどこか寂し気なところでもあった。
「春希、これはどこにやればいいんだ?」
「ボクの横に置いといて。それからこの仕分けしたの、そっちに持ってって」
「あいよ」
そこで隼人と春希は、黙々と作業を続けていた。淡々としておりそして、少しだけ気まずさを感じる空気だった。
春希の方をチラリと見てみれば、その首筋と耳が赤い。
どうやら先程の行動を思い出して、気恥ずかしくなっているようである。
(まったく……)
隼人は呆れ気味にため息を吐き、周囲を見回す。
図書室の受付カウンターから入れるそこは、いつも隼人と春希が使っている秘密基地と同じく、同じ規格なのか8畳ほどの広さがある。
そこには業者が新規に納入した本、返却されてそのまま積まれている本、経年劣化などで破損し修理が必要な本などが至る所で雑多に置かれており、これらを整理したり貸し出しカードを処理したりするのが、春希に言われた仕事雑用である。
とにかく数が多く、春希が言うように手間が掛かり、単純だが地味な作業でもあった。
(これも
チラリと春希の方を見てみれば、作業をしている手際は酷く手慣れている。この調子ならば、じきに全て終わるだろう。
そんな余裕を感じたからこそ、隼人は気になったことを口の端に上げていた。
「で、今日はどうしたんだ?」
「どうした、って?」
「今朝といい、さっきといい、なんていうかその……」
「あーうん、
「……あぁ」
自覚はあるようだった。
春希は作業の手を止め、どこか困ったような顔を向けてくる。
最近の春希は少し変わった。
どこか壁のようなモノを作っていたが、それがある程度取っ払われクラスの女子たちに可愛がられているところも目にしている。きっとそれは良いことなのだろう。
しかし今朝や先程のことは、いささか
「
「……うーん、それなんだけどさ」
「ん?」
「多分もう必要ない……とも思うんだよね」
「そうなのか?」
「あはは、でも長年の癖として染みついちゃってるところがあるんだけどね」
「……」
良い子の二階堂春希であること。
それは必要があってしていること。
だけどれは春希を人気者たらしめていることでもあり、そしてひどく孤独へと縛っているものでもあった。
「ね、隼人」
「なんだ、春希?」
春希は急に隼人の名前を呼んだかと思えば、人差し指で自分のその長い髪をくるくると玩び始めた。
頬はほんのりと赤く染まっており、もじもじとためらいっているのも分かる。
そして恥ずかしそうにしつつも、意を決したと言わんばかりに口を開く。
「もっとね、ボクのことを知って欲しいんだ」
誰に、とは言わなかった。色んな意味が込められているのだろう。
きっとそれには、隼人と春希の空白の7年も含まれているに違いない。
(……あぁ、そうか)
先日一緒に帰った時のこと。
欲張りだと宣言して、頑張ると意思表明したときの言葉の意味。
それを考えれば、今朝のことも先ほどのことも、つまりはそういうことなのだろう。
そう考えると、微笑ましく思ってしまい隼人の相好も崩れる。
「な、なんてね!」
春希はそんな隼人の顔を見て、また気恥ずかしくなったのか、慌てて目を逸らす。そして目の前の書類などをかき集める。
「は、はい! これを受付に戻せばおしま……あっ!」
「春希っ!」
よほど照れ臭く、動揺もしていたのだろう。それらを誤魔化すように気が急いていた春希は、積み上げられていた本に足を蹴躓かせてしまった。
顔から地べたに打ち付けそうになった春希を、隼人は間一髪、身体を差し込んで正面から抱きしめる形で受け止める。そしてガツンと背中を、スライド式の扉に強く打ちつけた。
「痛ーっ!!」
「隼人っ?!」
「って、春希は、大丈夫か……?」
「う、うん、ボクは大丈夫!」
「そうか、よかった……」
間一髪だった。
目の前の春希は隼人の腕の中にすっぽりと収まっており、その柔らかな感触や鼻腔をくすぐる少し甘い香りを存分に楽しめる状況――ではあるのだが、その代償は大きかった。
頭こそ打たなかったものの、ズキズキと痛む背中は尋常でなく、とてもじゃないが胸の中にいる校内でも有数の美少女を堪能する余裕はない。
「す、すまん、ちょっと痺れて動けそうにない。暫くこのままでもいいか?」
「う、うん。ボクは良いけど」
「悪いな」
「は、隼人は悪くないよ!」
春希の頬はこれ以上なく赤くなっていた。
傍から見れば随分と際どい恰好だ。
当然だ。壁にもたれかかる隼人に抱きしめられ、女性上位の状態で乗っかかっているのだ。見方によっては、まるで春希が襲い掛かっているようにも見えるし、何よりこれ以上なく密着している。春希はと言えば嫌でも隼人の存在を感じてしまっており、心臓は破裂せんばかりにけたたましく鳴り響いていた。
だが隼人自身はそんな春希の様子を気にするどころではない。
『ね、先輩! ほら言った通り誰もいないみたいですよ』
『本当だな。まぁ場所も場所だからなぁ』
「「っ?!」」
その時、図書室の方に誰かがやって来た。
声からして男女の、それもカップルのようであり、そして誰であれ今の隼人と春希の姿は見せられるものではない。
『って、図書室で飯とか食ってよかったっけ?』
『あ、ダメかも。でも誰もいないからキスは出来ますよね』
『おい、どういう理く……んっ』
『ん……ちゅっ、んん……えへへ、会えなくて寂しかったので、先輩成分を補給です♪』
『会えなくてって、今朝も会ったし、毎日顔を合わせてるだろう?』
『そういうんじゃないんですぅ! 意地悪言って、もう、んんん~っ!』
『んん、ちょ、おい、飯どうすんだよ』
『先輩の味見が先かな~んふっ』
彼らはただのカップルでなく、結構なバカップルであった。人目という枷が外れた2人の暴走とも言えるいちゃつきを止めるものは、この場に存在しない。
おかげで隼人と春希の間には、これ以上ないくらいの気まずい空気が横たわっていた。
「……」
「……」
扉越しに聞こえてくる荒く悩まし気な吐息、くぐもった声、そして時折聞こえる艶めかしい衣擦れの音。
隼人と春希は息を殺し、このバカップルが去るのを期待しているが、エスカレートしていく一方でその気配は一向に訪れない。
まずい状況だった。
隼人は背中の痛みから回復していくにつれ、正面から感じる春希の男とは違う重みや熱、柔らかさが鮮明に感じ取れるようになっていく。
「(――っ!)」
「(……ぁ)」
このままではいけない。
慌てて抱きしめていた腕を解くも、春希は小さく切なげな声を上げ、更には潤んだ瞳で悲し気に抗議とばかり見つめてくる。
痛みやら春希の柔らかさや甘い香りなどで、頭がどうにかなりそうだった。
普段あまり意識することはないが、嫌でも春希が女の子だということを、理解させられてしまう。
(……あぁ、くそっ!)
だけど、今しがた自分を知ってもらいたいと――今までの自分を変えたいと意気込んでいた春希に、そうした劣情に火を灯しかねないのは、ひどくこの親友を裏切る行為であり、自分自身が汚い存在だと思えてしまう。
隼人は静かにガシガシと頭を掻きむしり、小さくゆっくり息を吐く。
そしてなるべく扉の向こうに聞こえないよう、春希の耳に口を寄せて呟いた。
「(どうする?)」
「(っ?!)」
その拍子に、ビクリと春希の身体がビクついた。
ぎゅっと、その震える小さな手で隼人の胸を掴んでくる。
「(…………し)」
「(し?)」
「……」
「……」
そしてひどくしかめっ面をしている隼人の顔を覗き込み、そして何かに気付いたのか、みるみるうちに顔を紅潮させていく。
「……み゛ゃ~~~~~~っ?!」
「「「っ!!?」」」
そしていきなり、羞恥の叫び声を上げた。
両手を上げて仰け反って、その目はぐるぐると回している。
だが驚きと言う点では隼人も負けていない。
「お、おい! いきなり何を……向こうに気付かれるぞ?!」
「だ、だだだ、だって! 今ボクそのえっと……み゛ゃ~~~~っ!!」
「春希っ?!」
ザザザと隼人から飛びのいて、顔を手で覆いながらブンブンと頭を振る。もはや扉の向こうなど知ったことかといった様相だった。
隼人は、どうしていきなり春希がこうなったかわからなかった。
「ボ、ボクその……ご、ごめんなさいっ?!」
「おい、ちょっと?!」
そう言って春希は図書室から外へと飛び出していく。あっという間の出来事だった。
幸いなことに、こちらの声に気付いた例のカップルは、既に抜け出したあとである。
「……なんなんだよ」
残された隼人は、独り言ちるのだった。
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