エピローグ、あるいはプロローグ


 極端に街灯の少ない月野瀬の夜は、とても深い。

 特にこれといった娯楽も無く、住民達は早々に営みの灯かりを消し、より一層闇を深める。


 そんな闇夜の南天へと幾多の星々を従えながら昇っていく満月は、まるでこの世界の主のごとく輝き山里を照らす。


「――――、――――」


 そんな山の手中腹にある神社、そのご神体を祀る本殿手前にある拝殿に、1人の少女が舞っていた。


 美しく、そして神秘的とも言える少女だった。


 幼さがまだ残るものの、整った顔立ちに日本人離れした色素の薄い白い肌と亜麻色の髪は、少女の幽玄的で儚くもある美しさを演出している。

 白の小袖に緋袴を付けたといった巫女装束に、その上から薄手の白絹の千早を纏い、左右の手にはそれぞれ榊と鈴。動くたびに、2つに結われた長い髪も流れるように宙を舞う。

 その淀みない所作で行われる美しい舞いは、まさしく神々に捧げるものに相応しく、また、どれだけ少女が心血注いで修練してきたのかというのも見てとれた。


 神頼み。


 真実、少女のその真剣な表情からわかるように、己の仕える神々に対し祈り、願いを込めて舞っている。


 ――姫ちゃんのお母さんが、よくなりますように。


 それがこの巫女である少女――村尾沙紀の真摯な願いであった。


(お母さんの入院で引っ越したけど、家とかもそのままだし、よくなったら月野瀬に戻ってくるよね……?)


 親友である姫子一家が戻って来るという事は、彼女の兄――隼人も戻って来るということでもある。

 そう思うと神々へ捧げる舞いにも、一層熱が籠る。


 沙紀は月野瀬に代々1000年以上続く、神社の娘の生まれだった。


 血筋を重要視する風習があり、本人が望む望まないに関わらず巫女として振舞うことが定め付けられて、沙紀は物心が付くか付かないかといった幼い頃から厳しく舞いを仕込まれる。

 小学校に上がるまではろくに外に出されることも無く、それは修行と言ったほうが相応しいほどの過酷なものであり、祖母や両親の指導は苛烈を極める。


 私生活ではしっかりと愛情を注いで育ててくれることもあって、こと舞いの修行に関しては妥協を知らず、別人のように変貌してしまう。

 普段は優しい祖母や両親が神様の為にと言っても、目に見えぬものに対して舞うことへの意味が見いだせず、沙紀にとって舞いは苦痛以外の何物でもなかった。


 その意識が変わったのは沙紀が7歳、巫女としての初お披露目のときだった。



『うわぁ、すげぇ! きれいなだけじゃなくてカッケェーッ!』



 それは、祭場の最前列に居た男の子だった。

 目をキラキラさせて、そんな言葉を沙紀に向けたのだ。


 今まで厳しい視線や言葉しか投げかけられたことのなかった沙紀にとって、その言葉がどういう意味が最初は分からず、理解に至ったときには一瞬にして経験したことの無い感情が全身を駆け抜けてしまった。

 顔は火を噴くんじゃないかというほど熱くなり、胸は口から心臓が飛び出してしまうんじゃないかというくらい暴れ出し、どうして良いか分からなくなってそのまま飛び出したのを覚えてる。


 でもこの男の子――親友の兄である隼人が、それ以来とても気になる相手になったのは確かだった。


 ~~~~♪


 突如、拝殿の柱の脇に置いていたスマホが通知を告げる。

 すぐさま舞いを中断した沙紀は、普段のとろくささから考えられない機敏さで、その内容を確認する。


『夏祭りにはそっちに帰るよー。おにぃも今年の神楽を楽しみにしてるって』

「――ッ!」


 隼人が夏休みに帰って来る――それが分かっただけで、沙紀の顔はどこまでも熱くなり、心も天に昇るかというくらい浮かれてしまう。嬉しさのあまり榊をスマホに変えて、即席で感謝の舞いを奉納してしまうくらいだった。


(我ながら単純だ~)


 そう思う沙紀であったが、続く姫子から送られてきた画像をみて固まってしまう。


『おにぃ、変な虫に刺されてやんの。都会だからって油断してると怖いねー』


 それは春希がつけた悪戯痕だった。

 姫子は変な虫刺されだと思っているが、沙紀からしてみれば、どこからどうみてもキスマークである。


(えっ、ちょっ、どういうことなの~っ?!)


 夜更けの神社の拝殿に、沙紀の声なき悲鳴が響き渡るのだった。

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