40.ただいま



 夏の夕暮れの帰り道。

 春希は1人、足取り軽く歩む。少し自分が浮足立っている自覚もある。


 1人なのは放課後担任経由で色々用事を頼まれていたからだった。

 春希がそういうことを頼まれるのは珍しくはない。むしろ今までは積極的に手伝いを買って出てきた。


 それは1人ぼっちの家に帰るのを、少しでも引き延ばしたいという想いからなのであったのだが、どうやら今日の春希は周囲にとって少し様子が違って見えたらしい。


(……そんなにボク、そわそわしている様に見えたのかな?)


 用事で寄ったそこかしこで『急いでいるのにごめんなさい』と謝られた事を思い出す。

 もちろん、そんなことを言われたのは初めてであり、春希自身にも気を急いていた自覚は無い。


(うーん、きっと今朝のことで早くゴメンって言いたいのかな……?)


 さすがに今朝の一件はやり過ぎだという自覚もあった。

 この日は一日、隣の席でブスーっと拗ねた顔をしていた隼人の顔を思い出し、苦笑いを零す。

 普通に考えれば、仲が拗れても仕方がない悪戯とも言えた。しかしどうしたことか、春希の口元はほくそ笑み、そうはならないという確信じみた想いすらある。


「あ、はるちゃんだ。今帰り?」

「ひめちゃん。うん、そうだよ」


 大通りから住宅街に差し掛かるところで、学校帰りの姫子と出会う。

 向かう場所は一緒なのでどちらからということもなく、肩を並べて歩き出す。

 どうやら姫子は図書室で友人たちと勉強会をしていたらしい。

 流れる帰路を背景に「疲れた」だの「受験勉強もうイヤ」という愚痴にも似た言葉が飛び出せば、春希は昨夜シャツの件はケロリと無くなっていることに気付く。その辺、姫子も隼人と同じだなぁと、くすくすと忍び笑いが零れてしまう。


「……って、はるちゃん、何か随分機嫌がいいね?」

「へ? そ、そうかな?」


 春希の笑みはどうやら無意識のようだった。姫子に言われて初めて気付く。

 そして姫子は一瞬いぶかし気な表情を作ったものの、まぁいいかとすぐに元の愚痴モードにもどり、再び家に向かって歩き出した。




◇◇◇




「ただいまー……って、おにぃ陰気くさっ!」

「…………うっせ」

「あ、あはは」


 春希と姫子、2人してマンションに戻れば、ふてくされた様子でひたすら茄子と白ネギを短冊切りにしている隼人の姿があった。豚ひき肉と豆板醤が見えるところから、今夜はマーボーナスの予定らしい。

 悶々もんもんとした気持ちをぶつけるようにひたすら刻み続ける姿からは、隼人の不満げな気持ちがよく見てとれる。


 姫子はそんな兄の様子と苦笑いする春希の顔を交互に見やり、呆れたようなため息を吐いた。


「もう、はるちゃん何やらかしたの? ほら、思い当たることがあるなら謝って! あたし、辛気臭い空気でご飯食べたくないよ」

「……あっ」


 そうやってトンと姫子に背中を押された春希は、勢いのままにすごすごと隼人の隣に足を進めては申し訳ないといった顔を作る。

 春希の姿を見とめた隼人は一瞥いちべつしたものの、包丁を動かす手を止める様子はない。それでも春希は隼人の顔を覗き込むようにして首を傾げ、謝った。


「ちょ、ちょっとやり過ぎちゃったかも……その、ごめんね?」

「…………ふぅ」


 そして大きなため息を一つ。隼人は手を止め向き直り、そしてガリガリと頭を掻きながら困ったような、しかししょうがないなといった声色で春希を包む。


「……おかえり」

「……っ」


 春希は一瞬驚き戸惑い、そして言葉の意味を咀嚼すると共に気恥ずかしさと、そして嬉しさを滲ませて思いを返す。



「――ただいまっ!」



 そして、隼人と再会してから一番の大輪の笑顔を咲かすのであった。





※※※※※※※※※


これにて1章終わりになります。

いかがだったでしょうか?

よろしければ★★★をおねがいしますね。

感想はにゃーんだけで結構です!


少し間を空けて、3月5日にエピローグあるいはプロローグ、7日から2章の投稿を開始します。

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