39.俺の前でだけ昔のノリって、いや、ちょっと!


「んんーっ……うん? と、そうだった……いてて」


 隼人はいつもと同じ時間に、いつもとは違う部屋で、違和感を覚えながら目を覚ました。どうやら慣れぬソファーで寝たためか、首と背中が少し痛む。

 ゆっくりと伸びをしながら辺りを見渡すと、ダイニングテーブルの上に書置きがあることに気付く。


『昨日はありがと。着替えとかあるから戻ります。それから、昨夜のことは忘れて! いいね⁉』


 最後の方の文字は力強く殴り書きになっており、春希の心境がうかがい知れる。

 その隣には、ご丁寧にもきちんと折りたたまれた春希の着ていたTシャツがあり、手に取ってみれば、ほんのりと甘い残り香が感じられた。


「朝くらい食べていけば良かったのに」


 なんだか自分以外の香りが無性に気恥ずかしくなって、言い訳とばかりにそんなことを呟く。

 根拠はないけれど、春希はもう大丈夫――そんな気がして、隼人はホッと息をついた。


「さて、色々準備しますか」


 月曜日の朝は忙しい。そしてどこか憂鬱(ゆううつ)だ。しかしやるべきことも多い。

 ゴミ出しに学校の用意、朝食の用意に弁当も作らなきゃならない。隼人はこれらのことを慣れた手際で、そして無心でテキパキとこなしていく。

 そうしないと昨夜春希に言った小っ恥ずかしい台詞を思い出して、もだえそうになるからだった。


「ふぁ……あふ。おにぃ、おはよう。あれ、はるちゃんは?」

「色々準備があるから先に戻った。ほら、姫子は顔洗ってこい。寝癖ひどいぞ? その間に朝飯用意しとくから」

「うぐっ、爆発してる……ん? おにぃ、首どうしたの?」

「首? あぁ、少し寝違えて――」

「そうじゃなくてさ、そこ、右のほう赤くなってる」

「右? 痛むのは左だが……って、姫子?」


 起きてきた姫子と背中で会話をしていれば、ふと、調理している隼人の背中のシャツがくいっと引かれた。

 どうしたことかと振り返れば、少し寂し気な顔で、それでいて無理矢理笑顔を作ったかのような姫子の顔が飛び込んでくる。


「……はるちゃん、大丈夫かな?」

「姫子……」


 どうやら姫子も、昨晩の春希の様子に思う所があったようだった。

 もしかしたらスマホでのやり取りから、ある程度の事情も察しているのかもしれない。それでいてこの表情ということは、姫子も隼人同様、7年の空白の遠慮から踏み込めないでいるのかもしれない。


 だけど隼人には、1つハッキリと言えることがあった。


「大丈夫だろ」

「どうして?」


「そりゃ、俺が――友達俺たちが傍についているからな」

「……ぷっ。くっさ!」

「う、うるせぇ!」


 姫子は目をぱちくりさせたかと思えば、急に噴き出して悪態あくたいく。だけど、その顔は笑顔に変わっていた。


「ふふっ……でも、そっかぁ。あたしも頑張らないとね」


 隼人も姫子に釣られて、笑みを溢した。




◇◇◇




 昨晩の中に雨が上がった空はいつもより青く澄み渡っている。

 初夏の早朝の太陽が、通学路を行く隼人の肌をジリジリと焼く。


「あっちぃ……でも、雨上がりか……」


 雨。天の恵み。そう呼ばれるように、雨後の作物は急激に育つ。

 しかし良い事ばかりがあるわけではない。昨晩ほどの大雨ならば畝が崩れてしまう心配もあるし、急激に水分を取って実を破裂させることもある。

 先日の約束・・のこともあって、自然と足は花壇へと向かっていた。


「おはよーっす。豊作みたいだな?」

「あ、霧島さん!」


 校舎の外れにあるそこでは忙しなく収穫に勤しむ、くりっとした毛が特徴的な小柄な女の子――三岳みなもの姿があった。


 昨晩の雨と今朝の天気のおかげで、多くの野菜が実っている。近くには小さな段ボールが2つあり、既に大方埋まっている。雨で流れた土も再び寄せられており、随分彼女が早くからここで世話をしたのかがうかがい知れる。


「手伝う、と言いたいところだけど、もう終わってそうか」

「おかげさまでいっぱい採れました! けど、その……」

「あ、もしかして採れ過ぎて持て余してる?」

「はい……」


 三岳みなもは困った顔で微笑んでいた。隼人と分けたとしても、消費しきれないくらいの野菜が段ボールに積まれてある。特にナスが大量だった。

 豊作貧乏、という言葉が隼人の脳裏に過ぎる。月野瀬の田舎では、出来過ぎて強制おすそ分けされることも珍しくはない。


「トマトならおじいちゃんのところでお裾分けできるのですが、ナスは……」

「一夜漬けにしてみたら? 前住んでた田舎じゃよくお茶請けや酒のつまみになってたぞ」

「あの、それはどうやって」

「じゃあ今度作り方を撮って送るよ」

「あ! 買ったんですね!」

「昨日な」


 そう言って、隼人は三岳みなもとIDを交換する。


(なんとか自然な流れで言えたか?)


 何気ない風に切り出してみたものの、隼人は結構緊張していた。

 春希や姫子と違って、知り合って間もない、しかも異性が相手なのだ。何度か脳内でもシミュレーションもしていたし、無事約束・・を果たせたことにホッとする。


 そんな隼人の顔とは対照的に、三岳みなもは顔を赤くしつつ、どこか申し訳ない表情で見上げてきているのに気付く。


「あのえっと、私とその……良かったのでしょうか?」

「へ? どういう……」

「か、彼女さんとかその……っ」

「彼女?」


 隼人は予想外の単語に首をかしげる。

 どうしたことかと三岳みなもの視線を追っていけば、右の首筋に注がれていた。今朝、姫子にも指摘されたところだ。


「ああ、これ。妹にも指摘されたけど、そんなに目立つのか?」

「な、仲が良いのはいいことでっ! でもっ、キスマークはその……はうぅぅぅっ!」

「み、三岳さん⁉」


 何か重大な勘違いと誤解をしたまま、三岳みなもはボンッと顔を赤くしながら走り去っていく。

 後に残された隼人は、収穫された野菜たちと共に、どうしようと途方にくれる。


『野菜預かっています。それと首は虫刺されです』


 隼人が初めて打つスマホのメッセージは、そんな言い訳めいた、しまらないものだった。




 教室が近付くにつれ、隼人の頭に思い浮かぶのは、ひたすら春希のことだった。

 かつての親友。

 一緒に擦り傷を作り、服も泥だらけになって遊んだ仲。互いの貸しと思い出を積み重ね、いつまでも友達だと誓いを交わした幼馴染。

 しかしいざ再会してみれば、以前とはかけ離れた姿になっていた。


 並んでいた背丈は頭1つ分。

 繋いでいた手は一回り。

 駆ける速さは同じでも、差が出来てしまった歩幅。

 短かった髪は長くつややかに、擦り傷だらけ肌はシミ一つなく白くなめらかに、昨日着ていたものは決して泥なんかで汚すことが出来ないほどオシャレで可愛らしいサマードレス。


 戸惑ったりドギマギと狼狽うろたえたりすることもある。それだけ魅力的な女の子になっていたのだから当然だ。

 だけどひとたび一緒に遊べば、あの頃と変わらず楽しいという気持ちを共有できる、掛け替えのない相手だというのは変わっていなかった。


 たとえ学校では冴えない転校生と清楚可憐で人気者の女の子だとしても、それは――


「おはよーっす……うん?」

「よっ、霧島! その首どうしたんだ?」

「キスマークがついているらしい。残念ながら相手は虫だけど……でアレは何だ? 珍しいというか」

「ははっ、確かに。オレもあんな二階堂を見るのは初めてだ」


 教室に入ってすぐ隼人の目に飛び込んできたのは、自分の席で皆に囲まれている春希の姿だった。

 そこまでならいつもの光景と言える。だけど今朝の春希は、自分から積極的に話を振っていた。


「こっちがひめちゃん――この子と一緒に選んだやつでして、ほら、これもです!」

「わぁ、可愛い!」

「色んな恰好が似合っていいなぁ」

「いくつか明らかにダサい変なのも混じってるけど、そこもなんか遊んでるって感じだよね」

「だ、ダサっ……あ、あはは……」


 二階堂春希は人気者だ。その容姿と物腰から、ある種のアイドルじみた存在でもある。

 放って置いても人に囲まれ話しかけられ、彼女の方から話しかけることはほぼ無いと言っていい。

 そんな春希が自慢するかのように誇らしげにスマホの画面を見せびらかしていれば、それは目立つな、興味を持つなと言うほうが難しい。


(……あんな風に他の奴にも話すんだな)


 隼人は浮かれているともいえる春希の姿を見て、何か釈然しゃくぜんとしない想いが過ぎってしまった。


「例の幼馴染との写真なんだって。なんでも週末一緒に服を買いに行ったとか」

「へ、へぇ」

「かー、反応薄いな、霧島! 幼馴染も美少女っていうし、し・か・も! あの二階堂さんの私服姿があそこに写ってんだぞ⁉ くぅ、オレも見てぇ!」

「そ、そうか」


 興奮気味に力説する森であったが、隼人の反応はいま一つである。昨日の恰好はともかく、持っている私服がアレな春希を容易に想像できたし、映っている幼馴染は生まれたときから見知った実妹だ。何とも言えない苦笑いしかでてこない。


 それでも、皆に幼馴染姫子のことを嬉しそうに話す春希の姿は、今まで周囲にどこか作っていた壁がいくらか取っ払われたかのような気がして、好ましい変化のようにも思えた。思うようにした。


 きっと昨夜の涙をきっかけに、春希の中で何か良い変化があったのかもしれない。

 これは春希にとって良いことなのだ――そんなことを考えながら自分の席を目指す。


「おはよーっす、二階堂・・・さん」

「あ、おはようございます、霧島・・くん」

「朝から人気者だな?」

「霧島くんも見ますか? 私の幼馴染の写真なんです。ほら、これなんですけど、上手く撮れてる思いませんか?」


 そう言って春希はぐいぐいとスマホを画面を見せようとアピールしてくる。


 二階堂春希・・・・・の幼馴染と言えば姫子のことである。隼人からしてみれば、何が楽しくて見慣れ過ぎている妹の画像をとなるし、それは春希も分かっているはずだ。

 先ほどのモヤモヤした気持ちもあって、そっけない態度になってしまう。

 だというのに、春希は執拗とも言えるくらいスマホをこちらに推してきていた。傍から見れば、自分の大切な幼馴染を自慢したいという微笑ましいものに見えるだろう。


「いや、俺は特に――ってぇええぇっ⁉」

「やんっ」


 隼人はその画面を見た瞬間、思わず春希の手からスマホを奪い取ってしまった。

 そして春希の可愛らしい驚きの声が周囲に響き渡り、その突然すぎる隼人の行動に、皆が目を丸くして見ている。


 いったい今の隼人は、二階堂春希の幼馴染を見てどう思っていると周囲に思われているのか――そんな周囲の視線や疑問がどうでもいいと思うくらいの驚きに打たれていた。


「お、お、おい、おま、ちょ、これ……っ!」

「どうです、よく撮れてるでしょう? 私の大切な幼馴染・・・・・・なんです」


 そこに写っていたのは、隼人の制服のシャツを着て腕枕をされながら首筋に唇を這わせている春希の自撮りの画像だった。ご丁寧にもそこにはあおり文句なのか、『隼人ならボクの隣で寝てるよ』という文字まで踊っている。どうやら首筋のうっ血はこれが原因らしい。


 目の前の春希がにっこりと笑う。

 だがそれは、みなの前に見せる楚々そそとしてたおやかな笑みでなく、幼い頃から見慣れてるどこか悪戯いたずらっぽい笑みだ。


 ふと、隼人の頭の中を様々な事が駆け巡る。

 この7年に何があったのかわからない。

 きっとそれはまだ、おいそれとは言えないことなのだろう。

 だけどそれは、この空白が埋められたら言ってくれるに違いない。


『はるき、おれたちはずっとともだちだから!』


 焦ることはない。

 かつて交わした小さな約束が、確かに今も息づいているのだから。

 それでも今の隼人は、心の中で声を大にして言いたい気持ちがあった。


「は、はる……に、二階堂……ッ!」

「ふふっ」



 ――俺の前でだけ昔のノリって、いや、ちょっと!


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