294.変わってしまった日常③いい先輩だよね



 向けられる視線から逃げるように校門をくぐり、足早に教室に向かう。


「おはよー……」


 春希が扉を開けてそのよく通る声で挨拶をすれば、クラスメイトたちから視線を向けられ――ピタリと会話が止まる。

 しかしそれも一瞬のこと、教室はすぐさま朝の喧騒を取り戻す。しかしそれらの声には戸惑いと遠慮が含まれていた。

 それに、こちらのほうをしきりにチラチラと見ているにもかかわらず、彼らから春希の挨拶への返事がない。

 別に無視をされているというわけじゃない。

 どちらかといえば言いあぐねているという方が適切だろう。

 いつも・・・と同じ反応に苦笑する春希に恵麻、肩を竦める伊織。隼人はくしゃりと顔を難しそうに歪ませる。

 春希が田倉真央の隠し子だとバレ、結構時間が経っているものの、クラスメイトたちもまだどう反応して良いか距離感を掴みあぐねているようだ。

 とはいえ、彼らの気持ちもわかる。

 田倉真央といえば彼女が10代の頃から、その魔性ともいえる美貌で老若男女問わず魅了し、卓越した演技力で芸能界の第一線で活躍し続ける実力派の大女優だ。

 ドラマや映画に精力的に出演し、街のいたるところの看板や広告でも起用され、その姿を見ない日なんてない。それだけの知名度を誇り、昔から流してきた浮名は数知れず。

 そんな田倉真央に隠し子がいた。

 しかもこれまでずっと同じ教室で机を並べてきた春希だという。

 そりゃ色々気にもなろうというもの。父親が誰かということが公になっていないから、なおさら。世間だって、そこが大きな関心事になっている。

 だけどあまりに繊細な家庭環境に、興味本位から軽々しく聞けるわけもない。

 まるで腫れ物を扱うかのような空気が流れている。

 隼人だって彼らがやりにくいだろうという感情を、ひしひしと感じ、しかしそれを責められようはずがない。

 はぁ、と大きなため息を吐いて席に着き、ままならなさにもどかし気に低い唸り声を上げると、隣の春希からツンと頬を突かれた。


「ほら、隼人までそんな辛気臭い顔をしない」

「春希…………いやまぁ、そうだな」


 隼人は最初釈然としない声を返すものの、しかし春希の雲った表情を見て自分まで陰鬱な顔をしていたらだめだろうと思い直し、ぎこちないながらも笑顔を作る。

 春希も少し不器用ながらも笑い、軽口を叩く。


「ま、客寄せパンダになるのは慣れてるからね」

「そういや二階堂って、入学当初も色々と目立ってたな」

「そうそう、あの時も部活の勧誘とかで上級生がひっきりなしに訪れてたし」

「あ、あはは……」


 すると伊織と恵麻も茶化すように口を挟んでくる。当時を思い返し、苦笑する春希。

 隼人もこの流れに乗って、明るい調子で言った。


「ま、人の噂も75日っていうしな。そのうちこれも収まるさ」

「ん、そだね」



 とはいうものの、今現在進行形で騒がれているのも事実。

 休み時間の度、面白半分で春希を見にわざわざ教室にまでやってくる生徒も多い。トイレに向かうのも、彼らに捕まってしまいそうで躊躇われる。

 クラスの中には部活繋がりと思しき上級生たちから、春希を紹介してくれと頼まれ困っている人も見て取れた。

 何とも居た堪れない様子の春希。

 そうこうしているうちに昼休みになった。

 隼人と春希は顔を見合わせた後、一目散に教室を飛び出す。

 向かう先は旧校舎にある秘密基地。そこで伊織や恵麻、それにみなもと一輝とも時間をずらして合流する手はずになっている。

 自由を謳歌するための昼休みだが、悪ノリするような生徒たちに絡まれる可能性も高い。それを避けるためだ。

 幸いにして皆の意識は昼食に向かっている。その隙に見つかるまいと、足早に急ぐ。

 奇しくも再会した当時と同じように、周囲から避難している状態。

 しかしあの時と比べ、秘密基地を知る者は随分と増えた。

 そのことを思うと、こんな状況にもかかわらず少し胸に温かいものを感じる隼人。

 しかし階段での踊り場で、春希はとある女子のグループとばったりとかち合い、ぶつかってしまった。


「あ、すみま――」

「っ、あ、この子!」


 普段なら一言謝りを入れ、そのまま後にしたところだろう。

 しかし今の春希は渦中の人。

 先輩と思しきミーハーそうな女子生徒は、春希を見るなり目をキラキラさせながら、すかさずこの場を逃げようとした春希の手を掴み、矢継ぎ早に言葉を浴びせる。 


「キミ、文化祭でブリギットたん唄ってた子だよね!? わ、間近で見るとめちゃかわ!」

「さすが田倉真央の娘って感じ! あ、唄とか上手いのって母親譲り!?」

「スカウトされてたよね? やっぱ芸能界に入るの? 今のうちにサインもらえる!?」

「えっとその、ボクは……」

「っ、先輩たち、ちょっと……」


 最初の彼女を皮切りに、一緒にいた他の女子生徒たちもズケズケト無遠慮な言葉を投げかけてくる。

 たじろぎ、苦笑いしかできない春希。

 隼人もなんとかしようと彼女たちの間に入ろうとして言葉をかけるものの、「え~、これくらいよくない?」「空気読もうよ」となしのつぶて。

 そうこうしているうちに、なにごとか思って他の人たちが集まってきては好奇の目を向け、「あ、例の1年!」「うわ、やっぱオーラみたいなのある!」と騒ぎ出す。

 最悪の状況だった。

 必死に打開策を思い巡らすも、妙案がすぐに思い浮かぶべくもなく、ただただ春希を守ろうと声を上げるも空滑り。

 焦りが募っていく中、ふいに場違いともいえる、やけに明るく大きな声が響いた。


「あ、いたいた二階堂さん!」


 周囲の視線が一気に声の主へと向かう。

 そこにはニッと人好きのする笑みを浮かべ、大きく手を振りながらこちらにやってくる白泉先輩の姿。

 突然現れた生徒会副会長に、さすがに皆も一旦騒ぎを収め、動向を見守る。


「ちょーっと生徒会の方でまた・・手伝って欲しいことがあってさ、いいかな?」

「え、でもボク……」

「いいからいいから、……ね?」

「わっ!」


 その隙に素早くかつ強引に春希の手を取り、この場を離れようとする白泉先輩。

 春希が生徒会を手伝うことはこれまでもよくあったことだ。文化祭の準備期間中、その姿を見ている人も多いだろう。

 生徒会副会長にそう言われると周囲もこれ以上強くは言えないようで、ただ見送るのみ。隼人も慌てて2人の後に続く。

 やがて彼らの姿が見えなくなったところまでくると、白泉先輩は「はぁ~~」と大きなため息を吐いて手を離し、眉を顰めながら言う。


「二階堂さん、大変だね~」

「えっと、手伝いは……」

「あはは、そんなのないない。困ってたみたいだからね。まぁ本音を言うと生徒会に入って手を貸してほしいけど……うちにも同じように騒ぐ人もいるから。それじゃ!」

「あっ……」


 それだけ言って白泉先輩は片手を上げて去っていく。

 純粋に厚意から春希を助けてくれたらしい。粋な人である。

 隼人はその眩しい後ろ姿を見ながら、しみじみと言う。


「いい先輩だな」

「ホントにね。ボクも先輩のためなら、生徒会手伝ってもいいかなぁって思えるし」

「でもまずは、この騒ぎが収まってからだな」

「……うん、そうだね」


 そう言って春希は、ぎこちなく笑った。

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