268.文化祭⑥一歩踏み出せたから


 昨日のみなもの顛末は、春希たちにも伝えている。恐らく、沙紀の家で本人からも聞いていることだろう。

 今朝通学路で会った時は、どこか吹っ切れた顔をしているのをよく覚えている。

 それでもみなもの置かれた状況を考えると、やはり気になってしまうというもの。

 これまでのことを思い返せば、みなもの行動には身につまされるものがあった。

 誰よりも早く登校しての花壇の世話、お隣さんで仲が良いとはいえ頻繁に引き受けている大型犬の散歩、先日の文化祭準備の買い出しで皆の分も引き受けていたのも、そうだろう。

 ふとしたことを切っ掛けに胸に溢れてしまう焦燥、憤懣、愁傷。それらを考えないよう、忙しさに身を置く。

 隼人もかつて母が一度目に倒れた時がそうだった。

 それを思うと、ギュッと締め付けられる胸に知らず拳を当てる。

 きっとみなもは押しつぶされそうになる不安と戦ってきたのだろう。誰にも何も言えず、1人でずっと。

 やがてみなものクラスが見えてきた。

 教室内がよく見えるよう窓やドアは取り外されており、目には真っ先に天井から吊るされている太陽系を表す模型が飛び込んでくる。

 壁際には星や星座の物語についてカラフルに綴られた展示。そして中央には目玉でもあり教室の半分を占めるプラネタリウム、その外観には銀河をイメージした絵が描かれている。

 その存在感は圧巻だ。廊下から見えやすくしていることもあって、多くの人の興味を惹き、その出来を一目見ようと廊下にまでズラリと列が並ぶ。かなりの盛況と言えるだろう。


「みなもさんは……」

「ほら、あそこだよ隼人」

「……あぁ」


 春希が示す先を見てみれば、隼人はくしゃりと顔を複雑に歪ませる。

 みなもはお客として列の中にいた。その隣には幾分かラフな格好をした壮年の男性、彼女の父航平の姿。どうやら約束通り来たらしい。

 相変わらず彼の表情は硬いものの、2人間に流れる空気は昨日までと比べれば随分と和らいでいた。

 みなもも同じく顔を強張らせながらも、「アルミに穴空けるの、大変でした」「段ボール、いくら集めても足りなくなって」と、たどたどしい口調で説明している。

 その様子は文化祭にやってきた父親に緊張している娘さながら。現に周囲から彼女たちに向けられている視線は微笑ましいものだ。


「…………」


 端から見れば和やかな光景に違いない。

 けれどみなもは一体どれほどの勇気を振り絞り、どれだけの決意をもってあの場に臨んでいるのだろうか。

 その気持ちを考えると胸が張り裂けそうになり、ギチリと奥歯を噛みしめる。

 思えばみなもには春希共々随分世話になってきたし、助けられてきた。

 だからみなもに、この都会にやってきてできた友達に、力になりたいと強く想う。

 だけどいくら考えたところでいい案は思い浮かばず、歯痒く思っていると、ふいに春希からポンッと背中を優しく叩かれた。


「隼人、待ち合わせ場所行こ」

「いや、でもっ」

「いいからいいから。……それにみなもちゃんは大丈夫だよ」

「…………春希?」


 もどかしさに身を焦がす隼人とは裏腹に、春希はやけに落ち着いていた。

 一瞬、薄情とも感じてしまい声を荒げかけるも、しかし春希の瞳は確信と信用に満ちており、浮かべる表情には安堵の色さえある。

 隼人の頭の中は驚きと困惑に塗り替えられ、手を引かれるままみなもたちに見つからないよう、昇降口へと向かう。

 後からついてくる一輝もまた、春希と同じような表情をしており、なんだか釈然としない隼人。そのことが表に出てしまったのか、春希と一輝は顔を見合わせ苦笑い。

 春希はふと目を細めてどこか遠いところを眺め、何かを思い出しながら言葉を綴る。


「みなもちゃんはもう、一歩踏み出せたから。だからもう、大丈夫」

「……え?」

「ボクもよくわかるよ。どうしようもなく息が詰まって重苦しくて……今を変えたい、抜け出したいと思っていてもどうしていいか分からなくて、膝を抱え込むしかできなかった。けれどあの時、はやと・・・が手を引いてくれたから、ボクは抜け出せた」

「春希……」


 そう言って春希は、少し照れたように笑う。

 何のことかだなんて、聞き返さなくてもわかる。

 あの日、はるき・・・の事情も知らず、強引に子供らしい自分勝手なエゴで連れ出した。

 今なら、それがはるき・・・にとって大きな転機だったのはわかる。

 ただ、それだけなのだ。

 だからそんな大層なことをしたつもりもなく、心境は複雑で、どんな顔をしていいかわからない。

 すると一輝はそんな隼人の胸の内を見透かしたのか、眩しそうに目を細め、柔らかく少し不思議な声色で言葉を紡ぐ。


「隼人くんは、なんてことない風にそういうことするよね。狙っているわけでなく、打算しているわけでもなく。だから、素直に心に響く。秋祭りの時、僕が絡まれた時もそうだったよ」

「それは、まぁ、そうだけどさ」

「……あれも隼人らしかったね」


 春希は苦笑と共に、仕方ないなと肩を竦める。

 一輝はといえばふいに真顔になり、胸に当てた手を握りしめて言う。


「昨日、隼人くんが背中を押したおかげで、みなもさんは変わるきっかけを掴めた。変わろうと思えた」

「……そうかな」

「そうだよ」


 そんなやりとりを交わしていると、春希は笑みを浮かべ、が締めくくるかのように言葉を続ける。 


「歩き出したら、あとは進むだけ。だからもう、ボクたちに出来ることはもうないよ」

「……」


 ふとその時沙紀を、大きな決意をもって都会にやってきて、隼人たちの世界を一変させた1つ年下の女の子のある言葉が脳裏を過ぎる。


『自分が変われば世界が変わるって。だからほら、私は今、ここにいるんです』


 そして差し出された手の小ささと柔らかさも、鮮明に思い返す。

 にわかに胸が騒めく。

 何かが引っ掛かっていた。

 その時一輝が、隼人の心の中でわだかまっている拭いきれない不安を、代弁するかのように口を開く。


「一歩踏み出したからといって、誰もがすぐさま上手くいくわけじゃないよ」

「一輝?」「……む、海童」


 否定的とも受け取れる言葉に、不満気に眉を寄せる春希。

 一輝はそれを受け流し、手を広げ自分を示しながら苦笑を零す。


「僕なんかがそうだよ。さっきも言ったでしょ? 失敗して、尻込みして、なりたい自分はまだまだ遠い。だけど、確かに変化はあった。まずは行く先を定めて、躓いた時に友達として手を差し伸べてあげればいいんじゃないかな?」

「一輝……」

「む……海童の言う通りかも」


 そう言って笑いながら言う一輝はまるで自分に言い聞かせるようにも見えて、だからストンと言葉が胸に落ちる。


「ま、この格好で出歩くのも、この状況を打開する切っ掛けになればと思ってだしね」


 そんな風に一輝がおどけて言えば神妙な空気は霧散し、自然と笑い声が上がった。

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