6-3
223.優れぬ顔色
休み明けの月曜日。
通学路で行き交う多くの人は新しい週の始まりにどこか憂鬱な空気を纏っているが、隼人はといえば彼らとは裏腹に、やけに機嫌がよかった。
口にしている話題は、急遽退院してきた母のこと。
「――それで母さんってば、昨夜は通さんが帰ってきた扉の音が聞こえるなり冷蔵庫にお酒を仕舞って、何食わぬ顔をしようとしてんの。結局、コップになみなみと注がれてるのを目にした親父が、ほどほどにって小言を零したけどさ」
「あはは、おばさんらしいや。けどおばさんってそんなにお酒好きだったの?」
「月野瀬の集まりとかじゃ、特にそれほど呑むっていうイメージはありませんでしたけど……」
「ま、入院生活長かったからな、その反動もあるんだろう。俺も呑みすぎなきゃ文句言うつもりはないし」
隼人の声が弾む。
驚きや戸惑いはある。
それでもやはり、家族が元の形に戻ったことへの喜びは隠しようがない。
それは春希や沙紀にとっても同様で、隼人に釣られて頬を緩ませている。
しかしその中で姫子だけが1人、なんとも陰鬱な空気を纏っていた。
「……じゃ、あたしこっちだから」
「あ、姫ちゃん待ってよぅ!」
「「……」」
やがて分かれ道に差し掛かり、姫子はポツリと言い捨てて中学の方へと去っていく。それを沙紀が慌てて追い駆ける。
隼人は姫子にすげなくされながらもせっせと話しかける沙紀の後ろ姿を見ながら、ガリガリと頭を掻き少し困ったように呟く。
「どうしたもんかなぁ」
「うーん……」
姫子は昨夜、母が家へ戻って来てからあの調子だった。母にどう接していいか、わからないらしい。
気持ちも少しわからなくもない。2回も目の前で母が倒れているところを目の当たりにしているのだ。その心境は複雑だろう。
隼人もまた、そんな妹への接し方を測りあぐねている。
すると春希が難しい顔をして唸る隼人の背中を、勢いよくバシバシと叩く。
「ほら隼人、そんな辛気臭い顔をしない!」
「痛っ、いきなり何すんだよ」
「大丈夫、きっとひめちゃんはきっかけが掴めないだけだって。ほんのちょっとしたことで今までのようにおばさんに甘えられるようになるから、それまでお兄ちゃんとしてドンと構えていればいいよ」
「春希……」
そう言って春希はニカッと歯を見せて笑う。
すると不思議なことに、隼人はそんな気にもなってくる。
「なんならボクもそういう切っ掛け作れるように話題振っていくしさ」
「そっか」
隼人も釣られて、笑みを返すのだった。
◇
学校に着いた隼人と春希は、花壇へ向かった。
その途中で同じく場所へと向かうみなもの後ろ姿を見かけ、片手を上げながら「おはよ」と声を掛ける。
するとこちらに気付いたみなもは振り返り、そして隼人を見て目をぱちくりとさせた。
「お、おはようございます! 隼人さん、随分と雰囲気が変わりましたね? びっくりしました」
「あぁその、昨日、思い切ってちょっと、な……」
「ふふ、素敵でいいと思いますよ」
「もっともおばさんには、色気づいたって思われたみたいだけどね」
「あはっ、おばさんらしいですね!」
「あ、おい春希! ……ったく」
そう言って春希は茶化しつつ、みなもと顔を見合わせ笑い合う。
隼人は少し拗ねた面持ちで「土寄せする」と言って畝に向かった。
文化祭の近付く校内は、始業前にもかかわらずその準備一色に染まっていた。
校舎やグラウンドのあちこちから屋台を作ったり、資材を運んだり、ポスターや看板を作る光景が広がっている。
隼人たちはそんな普段とは違う喧騒を聞きながら、いつも通りの野菜の世話をする。
「そういや春希、昨日は衣装のあれこれ見に行ったりして打ち合わせしたんだろ? どうなったんだ?」
「んー、メインの
「なるほど、動きにくかったら問題になるしな」
「そういうこと。そういやみなもちゃんのクラスは何をするか決まった?」
「うちのクラスは自作のプラネタリムに決まりましたよ」
「「プラネタリウム!?」」
意外な単語に隼人と春希は、思わず作業の手を止め驚きの声を重ねる。
「へぇ、珍しいというか、プラネタリウムって作れるものなんだ?」
「それって投影する装置だけじゃなくて、綺麗に映すためのドームとかも作るの?」
「えぇ、ネット作り方の動画とかも上げられてますし、JAXAにも段ボールで作るドームのしおりなんてものがありますから」
「「マジで!?」」
再び驚きの声を重ねる隼人と春希。
春希は早速とばかりにスマホで検索を掛け、「わ、ホントだ!?」と声を弾ませる。そして画面を見せられた隼人も一緒になって覗き込みながら、「すげぇ!」と驚嘆の声を上げ見入ってしまう。
みなもはそんな2人の素直な反応がおかしいのか、くすくすと笑う。
その笑い声で我に返る隼人と春希。
「っと、あぶない。これは見てると時間が溶けちゃうね」
「あぁ。でも実際、プラネタリウムっていい案だと思う。物珍しさもあって他と競合しなさそうだし」
「ふふっ、私もそう思います。実は今から出来上がりが楽しみだったり」
「ボクも当日絶対見に行くよ!」
「あぁ、俺も!」
「はい、お待ちしておりますね!」
そうこうしているうちに作業も終わる。
いつものようにみなもがささっと道具を片付け纏めると、隼人はそれを横からひょいっと取り上げた。
「っと、それ、俺が返しとくよ」
「え、別に私が――」
「おやおや~、隼人ってばカッコつけちゃって。なに、もしかして髪型変えたついでにキャラもイメチェンしちゃったりするの~?」
「なっ!? 違ぇって!」
「くすっ、そういうことなら仕方ありませんね。頼みますよ?」
「みなもさんまで!?」
またも春希に揶揄われる形になり、隼人は少し不貞腐れた顔で部室棟近くの用具置き場へと足を向ける。
すると春希が「あ、ごめんってばーっ」と言いながら追いかけてきた。その様子を、またもみながくすくすと微笑ましく笑う。
そして「怒らないでよ」「別に怒ってねーって」といったじゃれ合いをしながら歩き、みなもが校舎に入ったことを確認し、隼人はふいに真面目な声色になって呟いた。
「……みなもさん、あまりいい顔色してなかったな」
「……うん、目の隈も隠せてなかったね」
春希も痛切さを滲ませた言葉を返す。
先ほど花壇でのみなもについて思い返す。春希は杞憂かもと言っていたが、先週と比べ顔の血色もよくなければ頬も少しこけていて、明らかにやつれている。寝不足なのもあり、何か悩みがあるのだろう。
だが、それが何かわからない。
「……俺たちに何が出来るだろ」
「隼人?」
「いや、みなもさんには色々世話になってるだろ? 何かしてやりたいけど、どういう悩みかもわからないし、どうしたもんかってさ」
「そっか。そう、だね……」
そう言って隼人が眉を寄せれば、春希も釣られて苦笑い。そして人差し指を顎に当て、うーん、と唸る。
「よし、ここでうだうだ考えても何にもならないし、次に会った時にでもボクが直接事情を聞いてみる!」
「すまん、頼めるか? もちろん俺に出来ることならなんでもするし」
「任せてよ!」
そう言って春希はニッと笑みを浮かべ、ドンっと自らの胸を叩く。隼人も表情を緩ませる。
すると春希は身を翻し、隼人には聞こえない小さな声で呟く。
「ここでさり気なく『
「春希?」
「うぅん、べっつにー」
春希から返ってきた声は、やけに機嫌がいいものだった。
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