252.リハーサル
担任教師から簡単に注意事項だけを念押された
半ば吸血姫カフェのセットに彩られた教室は、もうその本来の機能を成していない。
週末の文化祭に向けて全日その準備に当てられており、クラスメイトたちは早速とばかりに完成に向けて動き出す。
隼人もそれに倣おうとして腰を上げれば、やけに目をギラギラとさせた恵麻がやってきて、ガシッと勢いよく春希の手を掴む。
「歌のリハーサルしましょっ!」
「え、あ、うん……?」
突然のことにたじろぐになる春希。
恵麻の背後には、同じく興奮に目を爛々と輝かせたクラスメイトたち。
いつもとかけ離れた勢いの恵麻に春希は一歩後ずさるも、他の面々が春希を囲む。
そんな中、恵麻が彼らを代表して口を開く。
「衣装もね、昨日全員分完成して! もう最高に仕上がってるの!」
「そ、そうなんだ?」
「あとは春希ちゃんに合わせたのを見るだけで、くぅぅぅ楽しみ!」
「そ、そうだね?」
「あ、メッセージで送ったやつ見てくれた? 曲もね、皆で何度も議論を重ねたの。やっぱりブリたんって本当は戦いたくないけど大切な人たちを守るために気丈を装って戦場に出るでしょ? やっぱりその葛藤と想いを伝えるにも適切な歌の順番があると思うの! やっぱり最初はドカンと一発盛り上げたいじゃん? だからそこはブリたんのシナリオの最初のボスから! あそこってさ、ブリたんの全てが詰まってると思うの! 特にあそこだけで流れる歌詞の『灯火を頼りにこの身を白刃の海に投げ出すとも』ってとこ! あの灯火って皆がサプライズで用意してくれた――」
「え、恵麻ちゃん? どうしたの、落ち着いて!?」
熱の籠もった早口で熱弁を振るう恵麻。
そして恵麻を皮切りに、周囲の彼らも「もう会えないと分かっていても再開を願って唄うところとか」「悪ふざけがバレた時、咄嗟に誤魔化す時の歌が」「やっぱり初めて覚醒してカットインが差し込まれる必殺技の」といった熱弁を振るう。
異様な光景だった。だけど既視感もあった。春希がたまに推しを語る時のそれと、酷似する。
彼らに捕まった春希が助けを求めるようにちらちらと視線を送ってくるものの、隼人はただ頬を引き攣らせて軽く頭を左右に振るのみ。
一体恵麻に何があったのかと彼氏である伊織に視線を向ければ、どこか疲れた顔で困ったように言う。
「恵麻のやつさ、内装、衣装、調理、各所の進行調整役をやってただろ?」
「あぁ、色んな所で姿を見たし、八面六臂の活躍で頼りにされてたな」
「だからどこででも意見を求められてな。もちろん選曲と衣装でも。でもそれってさ、ブリギットのキャラを知らなかったら何も言えないよな?」
「なるほど、だから実際やってみて、見事ハマっちゃった、と」
「そうそう。で、オレも恵麻に延々と付き合わされてね」
「はは、なるほどな」
そう言って伊織は「はぁ」とあからさまに呆れた大きなため息を吐けば、隼人も釣られて苦笑する。
目の前ではバンド組も合流し、ますますカオスな様相になっていく。
「よし、じゃあ早速衣装合わせしちゃおう!」
「え、今ここで!?」
「ほら、調理スペースとかおあつらえ向きじゃない?」
「み゛ゃーっ!?」
やがて春希は恵麻たちに引きずられるようにして教室の後ろ、パーテーションで区切られたスペースへと連れていかれる。
その様子を見送った後、隼人は伊織と顔を見合わせ肩を竦めた。
すると伊織はふいに優し気に目を細め、慈しむかのような声色で呟く。
「ま、こういうのも悪かない」
「そうだな」
文化祭に向けて多くのクラスメイトたちに囲まれ、バカみたいなことで盛り上がる。
高校生、今この時にだけ許されたありふれた光景。
その中で春希は恵麻たちに弄られたじたじになって、けれど今この瞬間は何の翳りもない表情をしている。
隼人も、伊織も、恵麻も、おそらく一輝も。そして多分みなもも。
あぁ、きっと。
この先何年も経ち、ふとしたきっかけで思い返した時、キラキラとした思い出になっていることだろう。
――かつて月野瀬で過ごした時のように。
それを鮮やかに彩ることは、今の隼人にだって出来ることなのだ。だから、笑う。
するとその時、ワッ! と大きな歓声が上がった。
隼人も釣られてその騒ぎの中心へと視線を向け、大きく目を見開く。
豪奢、鮮麗、風雅、優美――言葉でどう表していいかわらからない。
そこにはただただ見惚れてしまうほどの美しい少女が居た。
黄金のように目映い長い髪を波打たせ、身に纏うは鮮血のように鮮やかで艶やかかつ華やかなドレス。それに負けない、少し幼さを残しつつも化粧で
皆の視線を集めた春希は少し恥ずかしそうに身を捩らせながら周りを見渡し、「んっ」と喉を鳴らして目を閉じる。
そして左手を胸に当て、右手を広げながら、尊大な態度と言葉で命令を下した。
「『眷属共よ、我が歌を耳にする栄誉を与えよう!』」
「「「「――ッ!」」」」
それは威厳と可憐さが同居した、まさしく真祖の吸血姫の言葉。
春希のその言葉と共に世界が塗り替えられ、皆の意識が切り替わる。
彼らが称える姫の号令の下、
「おい、楽器の準備は終わってるか!?」
「ステージの配置、早くして!」
「本番と同じようにいくよ!」
「何が起こるかわからないから、広めに離れて!」
「オッケー、いつでもいける!」
「ブリギット様、準備が整いました!」
「ご苦労」
舞台のマイクの前に立ち皆を睥睨する様は、
春希が軽く片手を上げれば、皆は口を閉じ音が消える。
それが合図だと誰もが理解した。
一拍遅れてカツカツカツとドラムスティックでリズムを刻まれ、皆の視線が注がれる中、春希はこの教室を変革させる魔法の呪文を紡いだ。
『天魔の雫――♪』
「「「「――ッ」」」」
すると次の瞬間、世界が裏返ってしまったかのように、もしくは異なる世界に侵食されてしまったかのように、この場に居た者は全員、戦場へと連れていかれてしまった。
皆が一様に息を呑むのが分かる。
目の前で鼓舞するように歌を奏でるのは国民を束ねる吸血鬼の姫。
怖い。足がすくむ。血の気が引く。
本当は戦いたくない。平穏に暮らしていたい。
けれど座して待つは国の破滅。
自らを慕う者たちに降りかかる惨劇は見過ごせないと、己の心を偽りつつも先頭に立つ。
そんな気高き憂国の姫の姿を、誰もが幻視する。
いつしか誰も彼もが拳を握りしめ、肩を震わせ、目を爛々と輝かせていた。
春希の唄から滲み出る気丈さ、健気さ、憂いに慈愛は、強く心を揺さぶられる。
彼女のために何かしたい、不安を拭ってあげたい、その為に戦いたい。そんな思いが胸に生まれ、皆の心を束ねていく。
まさしくこの場に彼女の為の軍団が生まれていた。
今にも叫びだし、突撃していきそうな熱気が渦巻いていく。
『――明月、』
「――ぁ」
その時、ふいにギターの旋律が乱れ、演奏が途切れた。
せっかくの盛り上がりに水が差された形だ。
不完全燃焼とばかりに、周囲の非難がましい目がギターへと注がれる。
ひそひそとざわめきが湧き起こり、不穏な空気がさざ波のように広がっていく。
ギターは自分が取返しの付かないことをやらかしてしまったのかと、顔面蒼白。
そんな中この状況にどう反応していいかわからず、アレ、アレっと戸惑う春希を見た隼人は、このままではいけないとハッと息を呑み瞠目する。
そしてパチパチと、わざらしいくらい大きな拍手をし、声を張り上げた。
「どんまい! 初めてにしちゃすっごくよかった! 練習なんだし、次行こうぜ、次!」
隼人のその言葉で皆もはたと気付き、我に返る。
いち早く元の調子を取り戻した春希は、自信なさげな様子で、恐る恐る尋ねた。
「えっとその、歌はあんな感じでよかった……のかな?」
「っ! うんうん、よかった! よすぎだよ!」
「そういやこれって練習だったっけ!?」
「ちょっとライブの凄さを知っちゃったかも」
「わたし、完全に空気に呑み込まれちゃってたよ!」
「わかる! オレ、今にも槍持って突撃しようかと思ってた!」
「これは見入ちゃって作業に手がつかなくなるな」
「てか、既に廊下の方に他のクラスの人たちが覗きにきてるし」
「うんうん、それだけ凄かった!」
春希の言葉を初めとして、クラスメイトたちは堰を切ったかのように先ほどのライブ練習について話し出す。
どうやら隣のクラスからも歌声に誘われやってきている生徒たちもいるようで、一緒になって賞賛の声を上げる。
持ち上げられ気恥ずかしそうな春希と目が合えば、やったなとばかりに親指を立てた。
すると春希は目をぱちくりとさせた眉を寄せ、唇だけ動かし胸の内を伝えた。
――ありがと。
その言葉を受け取った隼人も目をぱちくりとさせる。
そしてバンドメンバーとの打ち合わせに入る春希を見て、苦笑を零すのだった。
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