253.大丈夫か?


 春希の噂はあっという間に校内を駆け抜けていった。

 文化祭準備の喧騒に湧く中であっても、その唄声はよく通るらしい。

 数曲練習する頃には、他の学年の生徒たちも一目見てみようとやってきて、廊下でひしめき合っている。なかなか戻ってこないクラスメイトを探しに来て、ミイラ取りがミイラになった人も。

 そうやって集まった人だかりが、一体何事かと他の人の興味も引き、どんどんと膨れ上がっていく。

 必然、大きな騒ぎに。

 だから一度は事態の収拾を図るため、教室を閉め切ろうとした。

 しかしそうすると暴動が起きかねない空気を感じ取り、ならばいっそと客を捌く練習をしようということで、当日の接客のメンバーたちが列整理へと舵を切る。差し詰め本番想定の練習といったところだろうか。

 今の段階でこの様子なら、当日盛況になるのは間違いないだろう。

 それだけ、春希のパフォーマンスは惹きつけられるものがあった。

 教室の端で壁に背を預ける隼人は、廊下から聞こえる声に耳を傾けてみる。


「ドレスのクオリティえっぐ! 歌も凄くね!?」

「アレってソシャゲのやつだよな? 動画の宣伝とか見たことあるけど完成度すげえ」

「背筋震えた! 背後にゲームの世界が見えちゃったよ! 絶対当日も見に行くし!」

「ブリたんまじヤバい。あれまじブリたんだよ。え、これどうすれば課金お布施できるの? スパチャでもいいんだけど!」


 どうやら春希がというより、春希が扮するブリギットが話題になっているようだった。

 幸いにして、これは1-Aのコンセプトカフェ内での催しものだ。

 店内での撮影禁止を徹底させ、よしんば完全にそれが防げないとしても、春希でなくブリギットのそっくりさんとして認知されるはず。

 ちらりとステージで歌う春希を窺う。

 バンドが演奏する円舞曲を、どこかコミカルさを感じさせる身振りと共に奏でている。

 束の間の平穏。

 愛すべき日常。

 幻視するのは壮麗な城の中庭でブリギットが手ずから焼いたお菓子を振舞うお茶会。

 すっかりその催しに参加していたつもりになっている周囲は一様に、ほっこりとして聞き入っている。

 そして彼らの微笑みを向けられた春希も、笑みを咲かせていた。

 先ほどの狂詩曲では熱狂と高揚。

 さらに前の行進曲では勇猛と興奮。

 曲によって様々な姿を披露し、皆を色々な世界へと誘い惑わせ魅了する。

 さながら多様な風貌を見せる月の如く。神秘的でさえあった。

 その意味では、隼人も春希に魅せられた1人だ。

 そして月野瀬、先日のMOMOとのステージを思い返し、ここに至って確信する。

 ――春希は、こうした舞台がよく似合う。

 もっとも、本人がそれを望んでいるかどうかわからない。

 むしろ母親とのことを考えると、忌避しているところもあるだろう。

 だけどこうして皆の心を掴み揺さぶる様は、隼人をして天職と感じてしまって。

 これはきっと生まれ持った資質、才能。

 もし春希がその道を進みたいとしたら、果たして自分は――


『――ありがとうございました!』


 丁度その時、唄が終わった。

 春希が頭を下げると共に巻き起こる拍手の嵐。隼人もそれに倣う。

 その後、春希たちが今の演奏についてどうだったかを話し始めると共に、聴衆たちの移動と整理が始まる。

 何度か繰り返されるセッションと共に、唄の完成度も高まっているようだ。

 それを裏打ちするかのように、集まる人も増えていっている。

 隼人の今日の仕事は内装の手伝いだ。しかしこの状況が収まるまで出番はないだろう。

 このまま教室に留まり、春希たちの練習を見ているだけというのも据わりが悪い。

 ならばこの間に、色々と他の場所の様子を見てこようかと思い立つ。

 ちらりと春希の方を見てみれば、楽しそうに曲についての意見を交わしている。

 ――昔はよく特撮ヒーローやアニメのごっこ遊びをしたっけ。

 形は違えども、根本的にそういうことが好きなのだろう。

 隼人は苦笑と共に、教室を後にする。

 流れ逆らいつつ、人波を掻き分けていく。


「あ、隼人くん」

「一輝」


 すると拓けたところに出れば、ばったりと一輝に出くわした。

 一輝は「やぁ」と片手を上げながら隼人の背後の人だかりを見て、苦笑を零す。


「二階堂さん、すごい人気だね。僕たちのクラスも歌が聞こえてきた瞬間、皆の手が止まっちゃって」

「それで気になって敵情視察に来たってわけか」

「そういうこと」


 よくよく見れば一輝の背後には同じクラスと思しき生徒たちが、そわそわと唄についての話をしている。どうやら一緒に様子を見に行くところなのだろう。

 邪魔をするのも悪いと思い、隼人はそれじゃと手を上げようとして、ある違和感に気付く。


「……うん?」

「どうしたんだい?」

「あぁ、いや――」


 確証があるわけじゃない。

 しかしそれは強くかつての記憶に引っ掛かっているものと酷似していて。

 隼人はまじまじと一輝の顔を見つめながら、眉を顰めていく。


「えっと、隼人くん……?」

「なぁ一輝、何かあったのか?」

「い、いや特になにも……」

「そうか? どこか無理しているような顔に見えるぞ」

「っ!?」


 その言葉で、ギクリと表情を強張らせる一輝。

 隼人はあぁやはりと得心する。

 やけに作り物めいた笑顔だったのだ。まるで周囲に無理を悟られぬかのように。

 あの秋祭り以降、過去のことを吹っ切れた一輝は、積極的に人と関わり始めた。

 そして一輝は色んなことに気を配り、お節介なところも知っている。

 きっと新たに結んだ交友関係で悩みが生じているのもかもしれない。

 隼人は「はぁ」と少し呆れ気味のため息を吐き、ポンッと一輝の肩を叩く。


「ったく、ほどほどにな。何かあったら俺に言えよ?」

「……そう、だね。その時は頼むよ」


 そして一輝は一拍遅れてぎこちない笑みを返す。

 隼人はジト目を返し、大丈夫かなと眉を寄せてその場を後にした。

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