184.眼福


 霧島家のリビングは、少しばかり非日常的な光景になっていた。


「ええっと……はるちゃん、ここの『in time』は何て訳すの?」

「間に合う、かな」

「春希さん、こちらの『あへず』はどういう?」

「耐えきれない、と訳した方がといと思う」


 ローテーブルではコスプレした春希に沙紀、姫子の3人が教材を広げて勉強をしている。

 隼人はその様子を、ダイニングで腰掛けながら眺めていた。


 教え方が下手なことで定評がある春希だが、姫子は辞書代わりに使うと非常に便利だということに気付いたようだ。

 順応性の高い沙紀も親友に倣い、分からない単語などを聞いている。

 春希本人も頼られるのは悪い気がしないようで、どこか嬉しそうな笑みを零す。


 なお、文法とか式とのか解説になると姫子たちは無言で教科書や参考書を無言で開き始めるので、春希の顔が微妙に引き攣る。その様子に隼人は思わずクスリと笑みを零す。

 するとこちらに気付いた春希はジト目を向ける。

 しかし隼人が読んでいる本に気付くと、表情を一変させとてとてと近寄ってきた。


「隼人、それ何読んでるの?」

「原付免許の問題集」

「免許、本当に取るつもりなんだ」

「あぁ、冬休みくらいに取れたらなって思ってさ」

「……ボクはどれだけ早く取ろうと思っても春休みにならないと無理なんだよね」


 どこか拗ねたように唇を尖らせる春希。

 これには隼人も困った苦笑いを零す。


「誕生日ばかりはどうしようもないさ。って、春希も原付免許取る気なのか?」

「んー、わかんない。ただちょっと、隼人に先を越されるのがちょっとねー」

「子供か!」


 呆れるようにツッコミを入れるものの、気持ちは分からなくもない。今まで何をするにしても一緒だったのだ。

 もし春希も取る気があるのなら予定をずらしても――と考えていると、「えいっ」とばかりに皺の寄った眉間を人差し指で突かれた。


「それよりもさ、この衣装どう思う?」

「……思いっきりあざとくて狙ってる感じ?」

「あはっ、だよねー! ふりふりのひらひら過多でいかにも女の子って感じだし。それにスカートとか油断すると、すぐに中身が見えちゃいそうになるんだよね」

「こらバカ、持ち上げようとするな」

「ふふっ、ドキッとした?」

「したした。かわいーなーどきどきするー」

「わっ、すっごい棒読み」


 そんないつもの調子の春希にジト目を向け、はぁ、とため息を零す。

 改めて春希を見てみる。

 ミステリアスとあどけなさ、そして小悪魔的な可愛さが同居した衣装と髪型は、普段清楚さと悪戯っぽさを内包している春希にとてもよく似合っていた。

 身体の線もよくわかり、女性らしい丸みと腰回りは折れてしまいそうなほど細く感じてしまう。膨らんだスカートからスラリと伸びる足も目に眩しい。不覚にもドキリとしてしまった。


 そして春希はにへらと笑い、「よっ」という掛け声と共に足を投げ出す形で勢いよく腰掛けるものだから、隼人は誤魔化すように視線を姫子と沙紀のところへと移す。

 春希も一緒にその様子をしばし眺め、ポツリと呟いた。


「うーん、軍服アイドルとメイドさんが並んで勉強してるってすごい光景だよね」

「さっきはそこにゴスロリチャイナも混ざっていたぞ」

「あはっ、それはカオスだ」

「でも、たまにはこういうのもいいな。滅多に見られるような姿じゃないし」


 隼人がそう言って自分の猫耳をピンっと弾けば、春希も「そうだね」と言って笑みを見せ、そしてスッと目を細めた。


「うんうん、隼人にとっても眼福だもんね」

「ははっ、そうかもな」

「アレとか特にね」

「アレ? ……んんっ!?」


 春希が視線で促した場所を見てみれば、思わず大きく目を見開き、そして慌てて身体ごと視線を逸らす。

 一瞬だけ目に飛び込んできたのは、女の子座りした沙紀の踵によって持ち上げられてしまったスカートから覗く、淡いピンク色のもの。

 胸はドクドクと、これでもかというほど脈打っている。

 そんな半ば困惑しつつ赤くなっている隼人の顔を、にんまりとした春希が覗く。


「いや~、沙紀ちゃんってさ、普段の制服のスカートでも膝が隠れるくらいの長さだよね」

「え、あぁうん」

「月野瀬で見た巫女服も私服も足が結構隠れてたし、きっとああいう短い丈のは穿き慣れてないから油断しちゃって、なんだろうね、うん」

「そ、そうかもな」

「ていうかさ、上はきっちりとした隙の無い感じなのに、下はデザインとか色々甘いのって、ギャップもあって妙にエロく感じない?」

「し、知らねーよ」

「エロいといえばさ、沙紀ちゃん最初メイド服だったんだよ。けどアレ胸元が強調されてるでしょ? いやぁ、沙紀ちゃん思ったよりおっぱいあって、谷間が出来て恥ずかしがっちゃって」

「っ!?」

「んふふ~、想像しちゃった?」

「な、その、んなことねぇし!」

「……えっち」

「う、うっせぇ!」

「おにぃ?」「お兄さん?」


 叫ぶ隼人に一体どうしたことかと、姫子と沙紀が勉強の手を止めこちらを窺ってくる。

 うぐっ、と言葉に詰まる隼人。

 バカ正直に言えるわけもなく、まともに沙紀も見られない。そっと目を逸らす。

 隼人が「あー」とか「えー」とか母音を口の中で転がしていると、見かねた春希がしょうがないなとため息を吐いた。


「ほらボク3月生まれだからさ、隼人だけ先に原付免許取れるのって何か年上っぽくて変な感じだなぁって」

「あーなるほど、それちょっとわかる。あたしもはるちゃんが1つお姉さんだってこと、釈然としない時あるもん」

「ひ、ひめちゃん!?」

「あ、あはは……」


 うんうんと頷く姫子に、苦笑いを零す沙紀。

 春希は裏切られたとばかりに恨めしそうな声を上げる。

 ふと、そんな春希と目が合った。かすかに唇が動く。


『〝貸し〟、だかんね』


 隼人はしばし目をぱちくりとさせた後、あぁっと苦笑いを零す。

 すると丁度その時、くぅ、と可愛らしい腹の音が響いた。

 今度は音の主である姫子が恥ずかしそうな顔を作る。


「ほら、何か良い匂いが漂ってきてるから!」

「あ、ほんとだ。なにこれ……バター?」

「確かにお腹が空いてきちゃいますね。そろそろ時間も頃合いだし」


 姫子の言う通り、キッチンからは熱せられたバター独特の食欲をさそう香りが流れてきていた。

 春希もすんすんと鼻を鳴らし、お腹に片手を当ててそわそわしている。


「んじゃ、そろそろ夕飯の支度にとりかかるか」

「あ、お兄さん、私も手伝います」


 そう言って隼人が立ち上がりキッチンへと向かえば、沙紀も同じくして立ち上がり手伝いを申し出た。

 先ほどのこともあって、ドキリと胸が跳ねる。

 改めて沙紀を見てみる。

 折り目正しく堅苦しささえ感じさせるトップスに、フリルとティアードの重ねられた甘いスカート姿。そこからスラリと普段は隠されている白い柔肌が伸びている。ごくりと喉を鳴らす。

 ここで善意からの申し出を断るのは不自然だ。どう言ったものかと必死で頭を回転させる。


「えーっと、衣装が汚れるとマズいんじゃないか?」

「あ、確かに……」


 せめて衣装を着替えてもらおうと誘導する隼人。

 沙紀はくるりと自分の姿を見回し、少しばかり残念そうに眉を寄せる。どうやら存外にこの衣装を気に入っているらしい。


「エプロン付ければ大丈夫っしょ。それにもし汚れても丸洗いできるやつだから問題ないよ」

「春希さん!」

「ほら、隼人もどうせなら可愛い格好した女の子に手伝ってもらった方が嬉しいでしょ?」

「いやそれは……」


 隼人がジト目を向ければ、春希は良い仕事をしたでしょとばかりにグッと親指を立てる。

 そして期待に瞳を輝かせつつそわそわしている沙紀に、極力目を合わせないようにしてポツリと呟く。


「……あー沙紀さんその格好、いつもと違った感じが新鮮で、よく似合ってるよ」

「っ!」


 すると沙紀はみるみるうちに顔を真っ赤に染め上げていき、そして「ありがとうございます」と蚊の鳴くような声で礼を言うのだった。

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